山ちゃん電撃結婚、『たまむすび』赤江珠緒も前日まで知らず ピエール瀧被告からも“祝福”

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瀧被告は、確かに被告だから嘘ではないが、嘘でなければそれで良いのか、この記事のタイトルを書いた人は、もちろん、報道でもジャーナリストでもないので、彼|彼女らにそのような事を考える義務はない。だが、義務がない事は考えなくてもよい理由になるだろうか。

 

この記事のタイトルはピエール瀧で十分ではないか、そういう気がする。内容的にも、ここで被告であることを強調しなくても十分に知ってる話だ。犯罪者には十分すぎるほど厳しい罰を、社会的にも詰難すべきである、という話にも一理ある。刑期を務めたからと言って許されない罪もある。社会復帰は決して犯罪をチャラにするものではないのである。

 

あらゆる笑顔を犯罪者から奪う必要はない。反省の色を見せるためだけに深刻ぶらせる必要もない。どれだけの悲しみであっても排泄を止める事はできないのだ。だからと言って、屈服しない人間に寛容である必要もない。

 

書き起こし 

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山里の芸風から言えば、この結婚はどういう境地をもたらすか。彼は自分の不遇を切り売りするキャラクターを構築してきた。それがすべて「演じている」架空のキャラクターであってもだ。

 

例えば鬼嫁とか不幸な結婚という形がよいキャラクターもあれば、幸せが似合うキャラクターもある。芸能界はキャラクターの百花繚乱であり、それを作り上げる事に全員が全てを賭けている。要は肩書勝負な所がある。チケットを入手するまでが大変な世界である。

 

だから、結婚というイベント、家族という形も、本人のプライベートよりもキャラクターという属性である。この属性が変われば戦略も方向性も見直す必要がある。自由業とは言え、彼らも契約によって生活を営む。

 

もともと芸能は社会的な発信ではなかった、目の前の観客と場を共有するものだった。ハレの日に開催される見世物であった。それが大量消費時代に集客する場としてのテレビが誕生する。

 

やっている人は芸のつもりでも、視聴者は本物と受け取るような差異が生まれた。なぜなら芸能人はカメラを見ているのに、視聴者はテレビという世界を見ている。この双方向の非対称性が、両者の形を規定した。

 

この非対称性を変えたのが SNS である。ここで発信者も受信者も同じインターフェイスで向き合う。フォロワーや注目度は圧倒的に違うが、基本的には対等な立場である、そうすることで少しだけ本物感が増した。そういう時代である。

 

人間が社会的な動物であるという事は、多かれ少なかれ、その行動は他の人からの視線によって制約されるという点で重要だ。誰れも好き勝手には生きられない。社会という意識が多くの文化を生み出す。法律の理念を形づくる。

 

船舶と同様に社会もまた復元力を持っている。全体で安定しようとする圧力は、ある突発的な状況に対して、引きこもっていた人が殺人を犯す事も、その結果、引きこもった人が親に殺されるのも、カウンターとして発生する。これらの復元力が働いたのなら、その反対側に傾いていると考えるべきである。

 

すると、あれだけ真っ直ぐに捻くれたこの人の結婚にもカウンターが起きるだろうと想像する。結婚や家族というものは強固な価値観であって、それは生物学的に絶対的な価値観である。結婚には不可侵の理想があり祝福以外の括りはない。


だからどうせすぐ離婚するだろう、という話が起きる。同様に、話題作り、番宣という見方も起きる。最近見なかった女優がテレビに出るようになれば離婚間際の兆候である。こんな番組に出る人だっけという場合は宣伝である。そこまで商売が落ち込んでいるのか、という感慨である。

 

現在のテレビはとても動きが早い。一月の話題も既に忘れている。この忘却の速さは、まるで10年前の話題が同じに見えるほど強力だ。これは現在が超微分的である証拠だろう。極度に現在の最大風力にだけ注目する社会価値観がある。その消費を続けれてゆけば積分も最大になるという思想がある。

 

さて、我々は山里の結婚を望んでいただろうか、こういう形の結婚を求めていたか。我々は彼の不幸を魚に酒を飲んできたのである。田中みな実への失恋などを彼のクレーバーさで包んで笑いながら聞いてきた。それが変わるのかと思うと、随分と思い切った決断だと思う。

 

彼が自分のキャラクターに気付いていないはずがない訳で、蔑まれる事に存在価値があるキャラクターをどう変え、どう別の場所に行こうとしているのか。このアップデートによってどう変化するのか。

 

実はラジオさえ聞いてないので興味はない。だが多くの先人や他の人の動きなどを見て、決断したようにも思える。まるで囚人のジレンマである。

 

もし彼がこれで幸せになるなら、何も失うものはない。仕事が減っても生活に困る事はあるまい。それどころか、一生に一度あるかないのかの幸せを手に入れた。ここで掴まなければ何のために芸能人になってプライベートを切り売りしてきたのか。

 

だが、仮に失敗したとしても、それならそれでネタになる。不幸は金になる。其れどころか陣内智則の例を見れば分かるように、ある程度の時間が過ぎれば必ずプラスである。女優と結婚した芸人に失敗なしは経験的鉄則である。

 

どう転んでもうま味しかない。流石に百戦錬磨の人なのである。数年後はいざ知らず、この幸せは本当に良い。