消費税増税の負担、20~40代女性を直撃 博報堂調査、対策は「外食控えて自炊」「副業で収入増」が上位

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経済状況は、経済指標と呼ばれるものを参照するのがいいだろう。国家規模の経済ともなれば、状況は複雑に絡み合っている。だから、ひとつの指標だけで全てを説明するのは危険だ。それでも、取引金額と取引回数に注目するのは重要な視点だと考えている。

 

例えば、チロルチョコを1000回購入しても1万円の取引だ。この例では回数は金額の前では無意味に見える。当然、一回でポルシェを買えば1000万円の取引になる。千回程度ではとてもお話にならない。

 

経済の規模としてはそう見えるかも知れない。

 

しかし、1000回の購入が起きた事実は、1000人程度の市場がありそうだと推測できる。たった一人の取引では市場の大きさは推定できない。もちろん、アラブの石油王を相手にするなら、一生安泰するビジネスは可能だろう。下手したら数年で一生分の資産だって作れるだろう。だが、それでも市場の大きさとしては一人だけのものである。

 

金額の量が莫大だからといって、それを巨大な市場と呼ぶことは危険だ。なぜなら、その一人に頼るという事は、もし、を考えると非常に危うい。命綱ひとつだけで人生を乗り切るのは、とても賢明とは言えない。

 

だからと言って、一つ数円のものをどれだけ売れば安定した生活ができるのかと考えると気が遠くなる。その場合に必要とする市場の大きさは、数万回程度ではとても足りない。数十万でも不足する。数千万単位の市場が欲しいわけである。

 

ここにきて人口というものが重要になる。人口は最も単純な市場規模の見積もりになる。少なくとも人が多くいる所に市場は立つ。残りの課題は、ひとり辺りが幾ら持っているかであって、市場規模は簡単な掛け算である。

 

一般的に市場の規模が一定ならば、消費税が増えるという事は、取引量は減る。全体で動く金額は同じでも、税金分は国に納められるから、直接的に市場を巡る量は減るからだ。

 

その代わり、税の有益は、市場から抜き取った流れを別の場所に生み出せる点にある。市場の自然に任せていては流れないような場所に新しい流れを作れる。それは新しい流れを生み、新しい市場を生むだろう。

 

そういう意味で、税とは運河のようなものだ。

 

そう考えるならば、時間的には一時的停滞があるにしても、一般的に税金を取る事は、経済的停滞を生じさせないはずであるし、もしそうなるなら、税の再分配が上手くいっていない事を意味するはずだ。

 

すると、この税金はどこに消えたのかという話になる。別の市場に税を投入したものが、経済を好転させないのであれば、それは投入した市場に活力がないという話になる。これは死に金と呼ぶべきもので、一番簡単な死に金は、税で得たお金をそのまま焼却炉にくべる事だろう。そうすれば景気は下降する。

 

一方で、紙幣を大量に燃やすと、市場に出回る紙幣が不足するのでもしかしたらインフレになるかも知れない、不足したら価格が高まるのは市場原理だからだ。だがそんなに簡単にインフレにできるなら政府はもうとっくに実行しているはずであって、よって、この辺りの話は眉づばでよろしく。

 

MMT理論によれば消費税はインフレ抑制効果が最も強い税制との事だ。よって最善のインフレ策は消費税の廃止であり、財政出動で景気を回すべきだという。ケインズと何が違うのか知らないが、そうした場合、国債の利子をどうやって払うのかという問題が残りそうだ。所得税のような景気に左右される税制で、毎年の必要な支払いを計画するわけにはいくまい。

 

支払いの安定性を担保できるのが、消費税の利点であるとすれば、デフレ圧力が強いのが欠点であろう。かといって政府が支払いできない場合の混乱よりはましである。ないならお金を刷ればいいじゃないの、というマリーアントワネット理論は、別の問題があるのだろう。知らない。

 

投資を利益を生む場所に投入すれば、それは何倍もの利益を連れて帰ってくる。税金もそういう部分に投入するのが合理的に見えるが、もちろん、そのような市場には民間が放っておいても勝手に投資するはずである。そういう所で国家が競合相手になるのは合理的ではない。

 

すると、国家の投資先は自然と次のような分野になる。

 

インフラとして必要な分野。直接的には利益を生み出すものではない分野。ただしここが突破された場合は、社会基盤から崩れ落ちるので市場は大混乱する。天災への対策などはこの分野である。

 

まだ小さく、民間では十分に投資が起きない分野。数十年、数百年先に役に立つかも知れない分野。新技術、新理論、新素材などの新のつく分野。主に学術、研究であり、特に軍事は、失敗に寛容なので活発にすべきである。

 

福祉政策。インフラとはまた別の分野で、ある特定の弱者へのケアである。社会的なセーフティネットとして機能し、この分野の充実は、人々の消費、貯蓄の動機と直結する。

 

2千万もの貯蓄が必要といわれたら貯蓄に走るのは当然である。そのぶん、消費が冷え込むのも当たり前である。もし財務省がインフレなど景気好況を目論んでいるなら絶対に出さない話のはずである。

 

宮崎哲弥の主張する通り、この話が厚労省ではなく財務省から出たのが、貯蓄ではなく、株やFXなどへの投資を煽る宣伝である可能性が高く、つまり財務省が民間企業の丁稚に成り下がった事実を意味する。

 

もちろん、財務省からすれば、当然の事だが、国家による税や徴収による福祉は終わる、これからは個人の投資による福祉への政策転換が必要である。その準備を始めたという話であるが、これは近くこれらの制度が破綻する事を意味する。破綻する理由は知らないが、おそらく、思ったより受給者が減らなかったからだろう。

 

福祉も、最初の話の通り、量と人数の掛け算なのである。人数が減らなかった、または、受給額を増やさないといけない状況になった。それが原因であろう。人口減だから全体量は減っているのである。A=B*CでBもCも増加しているなら、A<B*Cとなるのは当然である。

 

この式は少なくとも A > B*C でなければ成立しない制度であることを意味する。つまり、破綻とは、ない袖が振れなくなった、という意味であろう。

 

中国には政府に政策あれば民衆に対策ありと言う格言がある。これは中国の人々が根底では政府を信じていない状況を雄弁に語る故事であるが、それでも物事には限度というものがある。

 

現在の日本の状況は、崩壊という言葉がよく似合う。今の人たちは、戦後の体制しか知らない。だから年金制度も医療保険も、これが当たり前の唯一解だと思っている。だが、世界の制度はぜんぜん違うものも多いし、日本だって長い歴史を見れば、違う制度もあった。

 

現在の制度が最良とは言えなくとも、世界的に最高なものの一つであることは多くの人が指摘する所である。所が、これが維持困難になってきた。その原因は超老齢化社会であるという。

 

この状況が永遠的に続くわけはないのだから、今後100年を語るならば、どの程度をどれくらいで乗り切れば状況は好転するのか、それとも、その先は更に悪化するのか、その程度の見通しは出すべきだし、様々な政策、移民政策などとの兼ね合いも議論して公開する必要がある。

 

日本人だって多くの人は国を信用していない。それは貯蓄額を見れば明らかだ。戦争に負ける無能な政府、その責任を取ろうともしない官僚たち。水俣病など公害病における政府の無策、官僚たちの無責任体質、医療従事者たちへの不信感は今も残っている。もし、細川一というただ一人の日本人がいなければ、水俣病は今も原因不明の奇病であっても不思議はない。それくらい日本人の日本人への不信感は根強い。

 

だから人々は貯蓄という方法を選んでいるわけだ。これが理由だ。貯蓄こそが不信の証拠である。これは、どの民族であれ、どの時代であれ、人々の基本性行である。

 

投入した税金が巡ってこない、だが、これを止めれば、状況は更に悪化する。それが生み出している雇用はなくなり、失業率は増加する。この状況はどういう袋小路だ。お金をくべてもくべても燃え上がらい暖炉のようだ。我々のお金は一体どこに消えているのか。

 

この現象は妥当性なものか、妥当であるが、手を子招いて受け入れるしかないものか。それとも、これは先進諸国が見舞われる当たり前の現象なのか。世界中の先進国で発生している格差と貧困の原因は同じものなのか。

 

我々多くの生活は、確かに徳川家康よりもずっと良いものである。彼はウオッシュレットさえ知らないし、プリンを食べた事もなかったろう。胃がんに対しても自製の漢方薬しか持たなかった。

 

それと比べるとなんと向上した環境にいる事だろう。だとすれば、我々が目前にしているものは、今よりも更にもっと良くなるという幻想ではないか。それがこの閉塞感の原因ではないか。

 

今の方法は既に限界点に達しつつある、だから伸び率は下がるのは当たり前で、それを停滞と感じるのは動物的には自然であるが、理性的な解釈ではないのかも知れない。我々が、更によくなる/する事を現状維持だと考えるなら、確かに更に多くの投資が必要となるだろう。

 

だがそれが本当に必要な現状維持であるか。問題点は0ではない。それらは放置すべきではない。だが、解決する事と、その方法に転換が必要であると事は矛盾しない。

 

どうやら我々の社会は、高コストすぎるように感じる。いろんな問題点を塞ぎ、様々なクレームに対処してきたために、運用、保守費用が、損益分岐点を超えてしまっているように感じる。これが問題の本質となるか。

 

人間は気の持ちようという。だが、その気だって周囲の環境、状況から強い影響を受ける。Cause と Effect である。確信はない。