田代まさし氏、Eテレで“薬物依存症”の特別授業「あしたはどうなるか分かりません」

www.oricon.co.jp

 

7月4日/11日放送のEテレ『バリバラ』教えて★マーシー先生

www6.nhk.or.jp

 

アメリカのドラマでは意識的に依存症を取り上げているものも多い。正面から扱うことはなくても、キャラクターの背景として、アルコール依存症である(detective Briscoe)、ドラッグ依存症である(Sherlock in NY)、というエピソードを入れる。もちろん、その恐怖、困難さも当たり前のように描くから、視聴する人も自然とその知識が身につく。

 

日本にいると、アメリカの著名な人が何度もドラッグで逮捕されて、金の力で釈放されて、施設に入って、退院して、というニュースしか触れる機会はない。しようがねえクズだな、くらいの気持ちである。70年代のミュージシャンがオーバードーシスで死亡したなどという記事に触れて怖いね、もったいないねと思うこともある。

 

マンガなどで身近に知る機会としては、西原理恵子の漫画がある。その強烈さは鮮烈である点で、とても価値のある作品だった。

 

依存症というのは、もちろん、ジャンルを選ばない。だから、依存していても社会的に問題ないものと、完全にアウトなものがある。ドラッグなどは後者のものであるが、アルコールなどは割かし見過ごされる。ギャンブルなども悲劇であるが、どうしようもなく金貸しが群がる。

 

どの依存症も見過ごせない、というわけではないはずである。一般的に日常に根差しており、誰も不思議と思わない依存症があっても不思議はない。全員が罹患すればそれはもう病気ではないのである。性欲は他の動物種から見れば依存症に見えるだろう。そういう点で脳はまだ不思議の器官である。

 

依存症が病気であるというのは、風邪が病気であるのと同じ話であるが、原因が病原菌でないというだけで理解できない人には難しい考え方だろう。そういうのは知識ではなく、センスの問題とも思うが、芸能人ともなれば、多くの非難を受ける。

 

だが病気という側面を見るならば、依存症は他の病気と同じで適切な治療を受けなければ治らないものである。意思の力や愛で癌が治るか、というのは依存症にも完全に当て嵌まる。かつ、依存症は決して完治しない。もうずうっと毎日、向き合わなければならない。

 

何かのドラマで見た話しでは、毎日起きるたびに、今日もきちんと乗り切れますようにと祈るそうである。その繰り返しで10年、20年を過ごす。そして25年目のある朝、手を出してしまうかも知れない。それが何の不思議もない。そういう完治できない面、慢性である面がある。脳は、生命を保全するためだけの器官ではない。簡単に破滅さえも厭わない衝動を発する。

 

それともうひとつ、ここまで元気になって話せるようになった僕ですが、あしたはどうなるか分かりません。これからも一日一日を積み重ねて、依存症から回復している姿を見せていきたいです

 

田代まさしのこの言葉はそれを自覚している事を明示する、彼は毎日を祈るように生きているはずだ。回復とは決して完治しない事ではない事も知っているだろう。それは、これまでとは違うようにも見える。何度でも、何度でも、繰り返す。遠い未来を見てはいけない。過去に戻ってもいけない。フラッシュバックを受けたらどうするか意思を強く忘れないようにしなければならない。その自覚で今を生きる。

 

恐怖だけでは勝てない。使命だけでも勝てない。意志なんかで勝てる相手ではない。ずうっとずうっと一歩一歩を綱の上を歩く。

 

たった一度の過ちは、取り返しがつかない。それはたった一枚の船底だったのである。そこから落ちたら、その先はずっと泳ぐしかない。そういう所にいる人が、人前に自分を晒す彼の生き方を僕は支持する。

 

僕は祈るしかない。彼と同じように。