「遊☆戯☆王」のキャラクターが政治的な発言 高橋和希氏のSNS投稿が物議「独裁政権=未来は暗黒次元」

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当たり前だけど、物議をかもした以上、反対派がいるに過ぎず、当然だが、この記事も、反対派の立場で書かれている、または、タイトルでの釣りを目指して、ターゲットはそういう層である。

 

争いがあれば、助太刀するために敵味方入り乱れて参加してくる。そうして炎上が拡すればいいという記事である。だいたい応仁の乱もそうやって始まった。

 

人は反対か賛成かで言葉使いが明確に変わる。当然だが、”それ”に対する立場も違う。掛け違えたボタンと言うが、賛成、反対は、ある”出来事”に対して最初から変わっているもののひとつだ。

 

それを訂正するには、議論の途中で余程、慎重に論議を進め、ある一方からの意見であったり表明であったりで、それは危険な見方である、または、見落としを生みやすいという観点からの自制が必要である。でなければ訂正されない。

 

それができないなら、当然ながら、賛成や反対に向かってまっしぐらで、というか、それを補完する形で論拠は更に強化される。そういう類の意見に集約される。イランではないが、核濃縮と同じ工程で、思想も濃縮されるのだ。

 

純化は哲学でも重要だが、当然だが、使い道は限られる。我々にとって、周期表メンデレーエフ/ベギエ/マイヤーetc)は異星人と出会った時に真っ先に提示する知識体系の一つであるが、実際にこの世界を理解するには余りに足りない。

 

Na が何と結びつけば生命に欠かせない元素となるのかをこの表から見いだす事は難しい。何よりも重要な知識で、全ての基礎で、何もかもを説明する強力な武器であるにも関わらず、この世界の何もかもを説明できるわけではないという、純化にはそういう側面がある。

 

当然だが、政治的発言をして物議をかもすのは何も日本だけの話ではない。民族的習熟度が低いから、日本での政治的発言が嫌われると言う訳でもない。アメリカだってさんざん著名人が発言するのは、逆に言えば、それだけのインパクトがあるわけで、トランプとtwitter上でケンカするのも有名人だから成立する。

 

政治的発言は、それは自分と同じ陣営だったら嬉しいし、敵対する陣営なら残念に思う。この残念については考え方は人ぞれぞれで、もうファン止める、から作品と作者は別だと割り切る人もいる。尊重すると言いながらも陣営が違えば少し変わるのは人の常だ。

 

いずれにしろ、そんな悩みは徳川と豊臣の時代からあって、毛利や真田だって、全く同じ悩みを抱えていた。時代は変われどみな一緒である。政治は否応なく引き返せない敵対関係を生む。昨日まで仲良く暮らしていたイスラムイスラエルが突然殺しあう。フツ族ツチ族の殺し合いも凄まじい。

 

こんなの未開の地だろう、と思うがヨーロッパでもチトーが死去すれば、コソボセルビア人が大虐殺を始める。対立が行き着けば虐殺になる。特に彼我の比が一定数を超えた場合に、それは顕著な様だ。

 

だから拮抗する事が重要であって、そうでなければ大翼賛会的な慣れあいしか残らない。それは問題の先送りで、現在の虐殺を回避し、未来の大虐殺を待つようなものである。

 

何かと日本人は和が好きで、それに聖徳太子を持ち出すのだが、彼は意見が異なる事を咎めた事は一度もない(彼の生涯には詳しくないが)。ただよく話し合え、話し合えば理解できない事はない、という風には言った。

 

そう憲法に書いたという事は、彼だって、物別れに終わる事など百も承知である。それでも書いたという事だ。物部氏の滅亡を目の前で見ていた彼がそれを知らなかったはずがない。どこかに落としどころはなかったものだろうか、これが彼の生涯の課題ではなかったろうか。ムロタニ ツネ象の漫画を思い出しながらも、そう思う。

 

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当然だが、この作家の意見は反安倍政権である。だから僕は、物議を醸すも何も”当然”と書くのだが、当然だが、安倍政権の支持者からしたらとんでもない話である。ここにある深い溝が両者の間で埋まるとは思えない。お互いに使う数値も未来像も見ている風景(ニュース)さえ違うのだ。

 

転生ものがライトノベルで流行しているが、異次元に行かなくとも、この国の中に、ちゃんと異次元が存在している。「昨日まで左翼だった俺が、右翼に生まれ語った件」など構造上も物語上も異次元転生と何も変わりはしないのである。

 

だからどちらのサイドにいるかというのはとても異なるバックボーンに支えられているという事が分かる。これは人間のとても深い所にあるアイデンティティに根差した話だという事でもある。それを変えるのはハードな問題だ。

 

どの程度の知識であれ、論拠であれ、多くの人が”それ”に惹かれるのにも理由がある。梅と桜とどっちが綺麗かで論争しても結論が出ないように答えがあるはずもない。

 

だから、誰かが何かを主張している場合は、よく見極める事だ。彼/彼女は何に賛意を持っているのか。それ故にそういう見方をするのか。そういうバイアスが存在する以上、公平はありえない。なるべく公平であろうとする痕跡はあるだろう。それでも公平はない。追い詰めれば必ず豹変する。

 

民主主義とは極めて良く出来たシステムである。だが、誰かに投票する理由をよくよく聞いてみれば、これほどバカバカしい話もない。どうしてその政党を選択したか。それを箇条書きにしてみればいい。

 

なんと俺は馬鹿か、と嘆息するのだ。それが全ての人に当てはまるのが民主主義というシステムだ。選挙とは自分が如何に馬鹿者であるかを知るためにある。それが国家を最も健全にする最大の力である。これが民主主義の秘密である。

  • 望ましいのは二大政党制。常に別の選択ができる状況を生み出す事。
  • ひとつが自民党になるのは現状からして当然に見える。
  • ならば対抗を見いだすしかない。
  • 政治家で信頼に足るのは岡田克也枝野幸男菅直人である。
  • だが、岡田克也は第一線から身を引いたので除外。
  • だが、菅直人は先の滅亡危機で壊れたので除外。
  • 自分が支持する政策にけっこう近いのは安倍晋三である。
  • だが、安倍晋三は馬鹿なうえに姑息である。
  • どんだけ奇妙に見えても、残ったものが真実だよ、ワトソン君
  • When you have eliminated the impossible, that which remains, however improbable, must be the truth.