アマゾン森林火災、ブラジル軍機が散水活動 国際的な批判受け

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大火災で失われるものは、多様な生態系、原住民の文化、地球環境の悪化など様々である。特に地球の肺と呼ばれ世界的な酸素の供給源でもあると言われるアマゾンでの火災であるから、世界中の懸念も当然だろう。もしかしたら我々は窒息して滅びるのではないか、と危惧しても決して杞憂ではない。

 

だからといって、これがブラジルだけの問題のはずがなく、さんざん好き勝手に自然を破壊してきた先進国のエゴを後進国に押し付けるのもどうかと思う。全員で守らなければならない地球であるのは確かだが、その負担が平等(イクオリティ)であるのは、当然ながらフェア(公平)ではあるまい。

 

自然が全人類の財産なら、それを守る事には相当の対価を払うべき時代が来ている。搾取するという経済体制が見直さられる時代が到来していると言っていいのではないか。

 

これは何も資源だけの話ではない。市場でさえ現在の経済は搾取型であり、太古の人類の行ってきた狩猟時代とそう変わらないスタイルである。もし歴史が繰り返すなら、個体発生が系統発生を繰り返すなら、経済も狩猟型から農耕型に移行して当然と思える。

 

少なくとも、中国という市場が円熟し、残された場所はアフリカにしか残っていない。その地域の後はどこへ行こうというのか。これまで新しい市場を見つけては開拓して発展してきた資本主義は終焉を迎えつつあるはずだ。我々の資本主義は市場の狩猟を行う、そして、終焉が見え始めている。だから新しいスタイルを開発する必要がある。

 

ヨーロッパは環境への価値を重く見る。かつてCO2排出取引という考えがあった。この考えは、自然環境にお金を投資するという意味では注目に値したが、逆に言えば、先進国が後進国にお金を払う変わりに環境破壊ができる免罪符という役割でしかなかった。だから、失敗したのは良い結果である。

 

ではどうすればいいのだろうか。どうすれば自然環境にお金が循環する仕組みが作れるだろうか。関税のように自然環境への負担が課税ができるようになればいいが、誰がどう評価するのか。それは新しい巨大な利権だから、恐らく人がたくさん死ぬ。

 

お金を動かす以上、課税という形でしか資金の投入はできない気がする。でも、その考え方、発想自体が既に古すぎる気もする。何もかもが上手く回り始める好循環を作り出すのは難しい、少なくともお気に入りのアイデアはない。だが、貿易の中にそれを組み込むしかない、というのは確かだと思う。

 

自然環境への資金の投入からリターンが生まれる形が望ましい。アマゾンが世界中に酸素を供給しても、今はだれもお金は払わない。だからといって、彼らが肉牛を育てるために焼き尽くされるのが人類の明るい未来を約束するとは思えない。

 

だから、貧困と繁栄のトレードオフの中に自然環境が組み込まれるしかない。どうすれば、アマゾンの森林は利益を生み出すのだろう。それが見つからなければ、何度も何度も焼き尽くされる事になる。いつか、その再生能力を超えた時、急激に砂漠化するかも知れない。

 

温暖化による異常気象というか、天候の局地化、顕著化が激しい。痛めつけられた森林がそれに耐えうるか。それが世界規模で起きている。ヨーロッパを襲う強烈な熱波、アメリカの農業は地下水でなんとか持っているが、もし水の循環が止まればどうなるのか。

 

もし穀倉地帯を大規模な異常気象が襲えば世界中が混乱する。食料や物資を略奪するために戦争が起きるかもしれない。太古のローマを蛮族が襲ったように、まったく同じ理由で近代兵器を持った軍隊が国境を越えてくる。まじか、おれたち21世紀に生きているんだぜ…

 

分かっているのに止められない、これは、そういう恐怖を象徴する事象だろう。我々が抱えている問題点の最も先鋭化した部分であって、これを解決できるなら、次のステージに進めるのではないか。

 

問題は誰がビジョンを持っているかだ。