380万年前の猿人の頭蓋骨、ほぼ完全な形で見つかる 顔を復元

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現在でも多毛症と呼ばれる人は、顔中に長い毛が生えたりする。産毛なら誰でもあるから、毛根は部位によってどのような生え方をするかを知っている事になる。それが少し変われば、そうなるとしても別に不思議はない。現代では永久脱毛という方法もあるだろうから、治療法があるという点では先進国ではそう大きな問題とはなっていないだろう。

 

猿人にどれくらいの体毛がはえていたかは興味ある。一般的にチンパンジーとの共通祖先との勢力争いに負けた側が平原に移動したのが我々の祖先だ。環境の変化、森林の減少なども理由に挙げられよう。

 

我々が草原に立った時点でチンパンジーホモサピエンスは分化を始めたのであるが、さて、この頃の猿がどれくらいの体毛を持っていたかはたぶん、誰も知らないはずだ。この頃の猿が裸であっても不思議はない。

 

その後の進化で、森にする猿はみな体毛を獲得した、という話だって有り得る。が、現生する多くの猿が体毛を持つこと、曲鼻亜目のキツネザルなども体毛を持つ事から、最初からみんな体毛をもっており、裸ではなかったと考える方が説得力はある。

 

猿人に分岐したのち、原人、旧人、新人と多くの種を生み出した我々という種では、ホモサピエンスのみが生き残るのだが、そこにはまるで猿人の小爆発と呼んでよいくらいの多様な種を生み出した証拠がある。猿人が草原へ適用する事が、如何に革新的な適用であったか、なんと豊かな可能性を秘めていたかを化石たちは示唆しているように思われる。

 

森という天国から追われた猿人たちは、草原で生きてゆくために、幾つもの困難を克服していったはずである。隠れる場所も逃げる場所も少なく、食料にも乏しく、どのような食物を採取してきたのだろうか。植物の種や根などを食べていただろうし、それだけではエネルギーが足りないので虫や小動物なども捕食していただろう。

 

より多くのエネルギーを確保するために、巨大な獲物への指向性を持った事は確かだと思うが、そのためにどのような狩りをするのかは想像の域を出ない。最古の石器は300万年前とも言われる。樹上生活から遠のいて100万年もの時間が必要だったのか。たった二千年の歴史で滅亡しかけている現代文明人と比べるとなんと優れた生物だったのだろう。

 

いずれにしろ、草原に降りた事で、二足歩行、手の自由度を獲得し、身体の巨大化も可能となった。我々の進化が巨大化する方向だったおかげで、適切な大きさの脳を獲得するに至った。

 

草原に対応するのは、森林での生活で有利だった様々な特質は邪魔であったはずだ。樹上で自由に動くための腕の長さも邪魔なら。前傾姿勢も歩くのに不適だった。不幸にして、我々の祖先は草原に適切な四足に戻るよりも、二足化を進める方に進んだ。それが身体機能上、楽だったのだろうが、今も肩こりや腰痛に悩む原因はここにある。

 

所で、草原で生活するのに黒い体毛(チンパンジーと類似する色と仮定)は、目立つのではないか。

 

草に隠れる必要がある動物は、草原や土に近い色をしている。ライオンやインパラなどはそういう色だ。ハイエナもそうだが、生まれたばかりは黒である。これは巣穴を持つことと関係してるのだろうか。一方でカバやゾウ、水牛などは黒に近い。彼|彼女らは隠れるには体が大きすぎる。そういう中でシマウマの白黒が生存に有利であるのは面白い。

 

草原の色に合わせるために体毛を失ったのはかなり早い時期ではないか、と想像すると、強い太陽光に対応するために肌が黒くなるのはそれ以降のはずだ。すると、体毛のない猿人として復元図を作る必要がある。彼|彼女らへの印象はかなり変わるはずである。草原に対応するために猿人の体毛が金髪のような色であったと仮定するのも面白い。だが、黒人の体毛がそうなっていないので、黒になる理由が必要だ。

 

体毛に対する印象は、人間には強いものである。全裸監督ではないが、ムダ毛を嫌う風潮がとても根強く文化にある。どうやらそれは服飾の歴史と関係しているようで、肌を出す服飾が一般的になるのと比例してムダ毛処理も流行ったようである。その根底にあるものは、恐らくその前からあった。この流れは最初に女性で起き、男性には遅れて到来した。

 

なぜ毛というものが人間の認識に深くかかわってくるのか。ここには清潔というイメージとも深く結びついているのだが、そういう表層の感情を除外すれば、根源的には毛に関する人の違和感があるのではないだろうか。毛だけが傷ついても痛くない部位である。身体性でいえば、毛は常に人間の外部にある。

 

元来、ペイント、入れ墨などを行い自らを装飾する事で、外の世界に対して呪術を繰り返してきた。毛にもそういう部分が担わせている。

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という事は、そこにある事が自然であるし、そこにない事が自然でもある。その自然さには、人間の世界観が投射するはずである。

 

いずれにしろ、毛が残っている部位というのはどこも「擦れる」部位であるから、役割の一つとして摩擦を軽減して、肉体を守る役割があるように思われる。

 

裸のメリットとは何であろうか。草原の中での隠れやすさがあるだろうか。汗の蒸発を促進するというのもありそうだが、多くの動物が毛を持っている以上、説得力はない。性淘汰として毛のない方が好まれたというのはありそうである。

 

どちらにしろ原人をチンパンジーと同じ体毛で描くのは想像性に乏しく詰まらない。ご先祖様、アフリカの平原はどうでしたか?