沢尻エリカ出演の大河ドラマ、「そのまま放送すべきか」議論勃発

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えりかタンが良い女優かどうかは知らない。ほろよいの太もも以外、何も印象に残っていないから。それでも多くの作品で存在感を、例えくだらない脚本で価値の微小な作品であろうと、多くの作品で主役級を演じてきた力量は、たぶん、認められていいのだろう。

 

一般的に演技に関しては女性の方が圧倒的に上である。これは冷静に作品を鑑賞すれば明らかであって、主人公に男性が多いのは、単に社会的な要請に過ぎず、作品を下支えするのは、演技に長けた女優たちの存在である。

 

これは、海外のドラマでは猶更顕著であって、演技でぱっと目を引くのは圧倒的に女性が多い。男性で演技力があるといっても、それは突発的なものと感じる。通奏低音のようにずっと支えているのは大体が女優である。バラエティの多さが違う。

 

力量のある俳優を精力的に搔き集めているひとりは DICK WOLF であろう。LAW AND ORDER、CHICAGO FIRE、CHICAGO PD 全部がそうだ。これらは男性俳優も力量があるので演技が拮抗する良話が多い。

 

最近特に注目しているのが LUCIFER のローレン・ジャーマン。HAWAII Five-Oでの演技も圧巻だった。兎に角うまい。見てて気持ちいい。

 

さて、某井上トシユキはNHKは公共放送だからと頭の悪い事を堂々と主張しているが、「受信料を払っている国民の声、意見に耳を傾ける」ならば、自分としては放送して全く構わない。他人の意見を代表してもらいたくないし、こんな中途半端な視点の正論ごっごで満足できる知能でよく人間として生きてゆける気になると感心さえする。

 

意見を聞けば拮抗するに決まっている、多数決で決めるなら、NHKは報道を返上すべきだ。自分たちで報道とは何か、という事を考えるのをしないのなら、放送権は返上すべきである。少なくともNHKにスポンサーはいない。国民もNHKのスポンサーではない。

 

NHKの建前は、全国民が見なくても放送を続けられる仕組みだ。国民の全員が政府を支持したとしても、報道として、ジャーナリストして、政府を批判するための仕組みがある。視聴率を気にしたり、国民の声をスポンサーの声として扱いたいのなら、即刻、民放としてリスタートしなければならない。

 

さて、今後もえりかるタレントは沢山出現するだろう。その都度、作品を停止するのは企業の判断である。私企業ならそれでよい。だがクラウドで音楽を聴く人は、自分が買った作品が勝手に停止されるのを良しとすまい。損害賠償を要求してもいい話し。それは返金程度では済まない問題だ。他人の生活に介入し奪い去るのと同義だから。本当に大切なものは手元に置いておく、という物質的安心感が復活するのだろうか。

 

薬物汚染という点では、日本よりもアメリカの方が深刻だし、中国やシンガボールでは死刑もやむなしである。

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MDMAはPTSDへの治癒効果があるとして FDA(Food and Drug Administration)で臨床試験が実施されているという話がある。医療大麻抗がん剤の苦痛を和らげる薬として処方される地域もある。

 

勿論、認証されたから安全なのではない。HOUSE では承認されている鎮痛剤バイコディンの中毒がひとつのテーマになっていた。認可されても依存性の高い薬剤がある。これは安全性の問題ではない。医療現場で使用されるベネフィットとリスクのトレードオフの選択である。

 

だからMDMAが安全であるとか、たばこやアルコールと比べると依存性が低いなどという意見は聞く必要がない。本当に依存性が低いのならえりかたんは一年に数回、アメリカやヨーロッパでやってれば済んだはずである。

 

仕事がすべて吹っ飛ぶことを知った上で、数十億を超える賠償請求の可能性を知りながら、日本国内で所持しなければ済まなかった。その事実だけで、依存性の強力さを明示している。

 

煙草への依存性は確かに高い。しかし、解雇を覚悟してまで仕事中に吸う人は少ない。もちろん、たばこも依存性が高いものだから一生そういう欲求から逃れられはしない。

 

人間の依存性は多岐に見られる。その多くは人に迷惑を掛けない、合法だから問題にならない。困るのはせいぜい家族くらいだ。ラーメンを食べないと我慢できないのも依存なら、かっぱえびせんが止まらないのも依存みたいなものである。仕事中毒だって依存だろう。きっと法で禁止されてもなお闇ラーメンを食べて逮捕される人は後を絶たない。

 

一方で法的に禁止されているものにはそれなりに妥当な理由がある。特に依存性のある薬剤はそうだ。その辺りは医学的知見もあるし、社会的妥当性も考慮されている。我が国はそんなに出鱈目には運営されていない。

 

違法なものに依存性を示したり、興奮する人は不幸だ。そういうものは単純に犯罪だからとステレオタイプな思考停止をすべきではない。もし、治療できたり依存性から脱却できるならそれが望ましい。しかし、人間の本能的なものに強く依拠しており、治療などできないものもあろう。

 

地域によってはLGBTは現在でも重罪である。ある人はそういう地域に生まれて苦しんでいる。それを依存症と診断されたら反論したくなるだろう。だからといって薬物中毒も同等の権利という主張に組する人はいまい。

 

百年後ならいざ知らず、現代の薬物には正当性がない。恐らくだが、百年後もきっとない。これらは脳内麻薬によく似た化学配列だから効くという話を聞いた事がある。ならば、今世紀中には純粋な脳内麻薬が合成されるのだろうか。

 

すると、人は生活の基盤を生活費をAIに稼いでもらい、犬儒派ディオゲネスよろしく、薬で快楽を味わい続ける生活スタイルだって夢ではあるまい。だが、ギリシャ哲学が多くの学派を生んだように、全ての人間がそれに満足するはずもない。

 

いずれにしろ、暫く忘れ去られるのが彼女にとっての幸運と思う。だからといって作品を公開しないのが正しいとは思わない。忘れ去られるためには日本以外のどこかに行くのがよいのだろうか。幸い、言葉に不自由しないようだから。

 

それで寛解できるのか、それが彼女の望む道であるかは知らない。田代まさしは、状況がよくなって、芸能界にもう一度近づいたら直ぐにフラッシュバックしてしまった。恐らく、当人も警戒しまくっていたはずである。それでもどうしようもなかった。

 

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病気と呼ぶには余りに強烈な、激烈な、脳のメカニズム。