北朝鮮が日本非難「弾道ミサイル、遠からず見ることに」

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どのような国でも、報道官、特に対外的な発表をする場合は、テレビ映像を意識しない訳にはいかない。もう談話だけでは通用しないという技術的要請から誰も逃れられるものではない。

 

かつての鈴木貫太郎総理は、哀悼の意を示す事で和平への道を閉ざしていないメッセージを送った。受け取った相手がメッセージをどう分析したかは知らない。だが、敵と交わす談話にさえ、本心を込める事はできる。

 

そういう点で、アメリカと敵対している国々の談話には外交的工夫の総力戦みたいな所があって面白い。北朝鮮、イラン、ロシアなどの各国のアメリカへの態度は、国内向けのメッセージと海外向けのメッセージ、そしてそれを視聴する当然アメリカ向けのメッセージが含まれており、あえてコケ降ろす場合もあれば、以外と落ち着いたものの場合もある。

 

当然だが、日本などアメリカと比べればそう重要でない国は、当然であるが以外と本心が直接的というか、うっぷん晴らしのようなものがあってもそう驚くには値しない。

 

例えば次のアメリカ向けの談話。

対話をするにしても、交渉姿勢が正しくなければならず、話が通じる人と交渉すべきであり、まともな対案を持って来てこそ交渉が開かれる。

結果を出すために動こうとするなら、時間的余裕がそれほど多くはないだろう。

私たちの再三の警告は決して口先だけではないことを肝に銘じた方が良いだろう。 

 

談話は次の3つの要素から構成される。

  1. 現在の状況の説明
  2. 要求事項
  3. 要求の価値の強さ

 

これは通常のビジネスでも同じであろう。

我々は現状これこれの立場にあります。ですから必要なのはこれこれです。それをするための費用はこれほどです。 

 

これを外交の言葉に置き換えると

現在の条件は我々は受け入れできない。至急、代案提示すること。決裂した場合はミサイル発射も考える。

 

外交は、我々の世界に残った数少ない自然状態にあるから、そこにある程度の取り決めは存在するとはいえ、基本的に野生のルールである。油断した方が悪い、騙されるのが間抜け、結果が全て。

 

もちろん、参加者が二人ではないから、問題は非常に複雑になっている。だから、平衡関係が成り立つともいえる。もしふたりだけなら等の昔に武力制圧されている。そういう意味で、我々はまだ世界政府を構築する方法を知らないままである。

 

弱い側は当然であるが、最終的には恫喝する方法がない。脅迫するとは自分の立場が不利であることを相手に表明しているのと同じで、それでも引き下がれないのは、自国民がその姿勢を見ているからで、それは相手国も当然承知している。領土を放棄しても支持率が落ちない政権は世界的に見ても安倍くらいなものである。

 

だから

我が国の超大型多連装ロケット砲の発射実験について、まるで核爆弾が日本の領土に落ちたかのように騒ぎ立てている安倍総理は、愚かで性悪だ 

 という主張には、なるほどと思わないでもない。

多連装ロケット砲とミサイルの区別もつかないのに日本の軍事大国化を夢見ている、まれに見る無知 

 もまあそうかも知れない。

奇形、卑劣、不道徳、チビで不格好 

 は子供の悪口だから、ある意味、この談話は幼稚園のケンカとして受け取って欲しいというメッセージかも知れない。

政治的に(取るに足らない)小さな国、沈みつつある島国、希望のない荒廃した国 

 はちょっと正鵠を得ている気もする。実はよく分析しているじゃないか、という気もしないではない。

無知と愚昧を完全にさらけ出した安倍首相にぴったりな言葉だ、世界がわれわれの今回の試射についてロケット砲試射と正しく評しているが、ただ一人安倍だけがロケット砲をミサイルと言い張っている 

 

さて、こうして見ると彼らにしても、世界がどちらの味方をしているかには重要な価値があるらしい。それがこのコメントからも理解できる。世界からの支持を完全に失っては成り立たないという事を理解している。そして世界への参加者はふたりではない。だから、そこに勢力が生まれる。そういう意味ではこれは日本にもこの問題にもっと参加して欲しいという招待状かも知れない。ならば無視するのは最強の外交カードになり得る。

 

アメリカには常に敵対する勢力があった、という事が世界史においては重要かも知れない。アメリカは世界史の中でとても重要な地位を占めてきた。アメリカの失敗の殆どは、国際世論を完全無視し裏で画策したCIAの失敗によるものであるはずだ、その事実ときちんと向かい合えばよいのだが、我々が知らないだけで、それによる成功体験も沢山あるはずだから、今もアメリカはCIAをコントロールしきれないわけだ。

 

トランプ政権は世界史のひとつの曲がり角になるかも知れない。アメリカがあれだけ標榜してきた自由と民主主義がこの世界から失われつつある。初めから幻想であった可能性に気付いただけかも知れない。それでも、その次は、まだ見つかっていない。

 

中国の好んで使うバズワードがある。

戦略的協力パートナーシップ
政治的相互信頼
経済上のウィンウィン
人的・文化的相互交流
多角的互助をしていく良いパートナー 

 

とても綺麗な言葉だが、裏読みも出来そうで怖い言葉でもある。一部の政治家に見返りを与える代わりに合法的に一方的な略奪を可能とする協定を両国は結んだ、と読めなくもないからだ。このしたたかさが中国の強みである、つまり弱みでもある。

 

確実に言えるのは、経済の強さが自由を凌駕しつつあることだ。そして新しい貴族制度が各地域で生まれようとしているという事だ。マルクスが警告し、共産主義が対抗しようとした資本主義が、ついに敵を失い、本性を発揮し、本能のまま富の略奪を開始した世界ともいえる。

 

自由?いくら払えば売ってくれるかね?これが本気で通用する世界が到来しようとしている。政治さえ金で買える世界である。命にさえ値段は付けられる。

 

最貧の人を救うためにNGOや国際機関が最も頭を使っているのは予算の額である。これだけの寄付があれば何人救えると広告もしているではないか。

 

自分で自分の命に値段を付けられる人はいない。これが自由主義が掲げた理想であった。しかし、自分の命に他人が値段を付ける、それが到来しつつある、これが資本主義の本質ではないか。

 

全体主義を目指しこの国の資本を搾取するために政治家と強く結びつき私腹を肥やす竹中平蔵一派のなんと多い事か。国家は既に、この世界の最上位組織ではない、それをもうじき我々は見る事になる。