香港長官「強烈に反対する」 米国で成立の香港人権法に

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自由と民主化を求めるデモは最終的に経済で決着をつける、というのが、いかにも21世紀らしい。最近読んだ本ではハラリのホモデウスが近未来を予測する現在を上手に俯瞰していて面白かった。

 

その中で特に秀逸な指摘は、現在がデータ至上主義と呼ぶべき新しい価値観へ変遷したという視的である。何よりもデータが価値を持つという指摘は、全面的にそれに賛同するわけではないが、自分としては、それを経済至上主義と翻訳する。

 

香港の経済的価値は、中国の経済発展に伴い相対的には弱まっている。経済の規模では深圳市と並ぶ。金融センターとして世界第3位の評価を受ける香港。2019年、ニューヨーク、ロンドン、香港、シンガポール、上海、東京、北京、ドバイ、深圳、シドニー

上海市、国際金融センターランキングでシンガポールに肉薄(中国) | ビジネス短信 - ジェトロ

 

金融センターであることが、香港の経済的価値をどのように高めているのか、それとも低めるのか。香港の金融業、特に西側諸国から資金を集める役割を大陸がどう評価するのか。それらが中国企業の株式にも大きく影響するのなら、香港は大陸政府にとっても重要な地位を占めている。もし、それが他の地域で代替え可能と判断されるなら香港でなければならない理由は消失する。

 

香港の区議会選挙は民主派の圧倒的勝利で終わった。投票率も70%を超える最低限のレベルは超えている。しかしこの結果を逆に言うなら3割は投票行動をしなかったわけだし、小選挙区だからこれだけの差となったが、民主派と大陸派は7:5と緊迫している。

 

投票した人の58%、おそらくこれはたったと形容すべきだろうし、棄権した人を大陸派として(民主派なら投票しない理由がない)とすれば各割合は(7:5):5だから、7:10、実質的には民主派は41%しかおらず過半数に達していない事になる。民主主義の論理に従うならば、ここに香港の危うさがある。決して民主主義を望む地域ではないのである。そして、世代間の格差が問題の核心として急浮上する。

 

香港がどこを見ているのか、将来ではなく、今を見ているなら、当然若者をないがしろにしてでも今の繁栄を謳歌したいだろう。ならば、この闘争は自由や民主の問題ではなく、若者たちの将来への闘争と位置付けるべきだ。これ以上、自由も民主も奪われてどうやって自分たちの生活が向上するか、という絶望との戦いと言える。

 

金融とは、金で金を買う仕組みだから、それまでの農業=自然物を売る、製造業=加工品を売る、サービス業=人間の行為を売る、とは全く異なる業種である。金を売る仕組みの根本に利子があり、当然ながら、これが資本主義の根幹にある。イスラム教は利子を禁止しているから、独特のイスラム金融が発達したと聞く。

 

金を売って利子を取る仕組みは、もちろん、それだけでは何も生み出さない。金を右から左に動かすだけでなぜ利益が生まれるのか。それゆえビジネスとして批判されるケースも多い。なぜ右から左に動かすだけで金儲けができるのか。更には持てるものが圧倒的有利である点も、格差拡大を促進する。

 

しかし、この世界の全ては動かす事で成り立つ。麦の種を手の中から土の上に移動する。水を湖から土の上に移動する。それで農業が成り立つ。金も同様に移動する事で新しい価値を生む。

 

では強い金融業を持つ都市は、経済の根幹であるかと言えば、どうやら違うらしい。経済とは市場から価値を吸い取る(循環と呼んでもいい)ものであって、例えば、市場は油田に例える事が出来るだろう、または市場を、サバの群れに例える事も出来るだろう、現在の資本主義の市場は、自然発生的な、あくまで自然としての市場を相手にしている。

 

だから現在の資本主義は狩猟型資本主義と呼ぶべきものであり、これに対して、牧畜型資本主義を目指したものが共産主義であったと位置付けてもそう悪い解釈ではない。それは一万年前の多くの人が試み失敗した麦の栽培のように失敗した。だからといってその試みを笑う事はできないのである。

 

この自然発生する市場はアフリカを最後に途絶える事になる。これは明らかであるから、最後の狩りをするために中国は一帯一路を構想した。アフリカから収奪したものを大陸に持ち込むための陸路、海路の整備である。

 

だが、それはたった100年の話であろうから、その後の経済体制は変わらざるを得ない。それがローマの都市に雪崩れ込む蛮族よろしく略奪型の経済となるのか、そ例外の何かが主流になるのかは知らない。

 

だが経済的視点で歴史を、例えばローマの滅亡を書き直すのはきっと面白い。そして、そこには明らかに経済的行き詰まりと、その打開策としての滅亡が見えてくると思うのである。その時、自由も民主主義も、直接的な理由ではなかった事を発見することになると思うのである。

 

林鄭月娥行政長官は明らかに民主派に敵対する事を決めたし、そのためには香港の経済的地位を明け渡すことも厭わない。見せかけは憂慮しているが、政治的行動を見れば、経済を問題とするのではなく、民主派をここで一掃する気なのは明白だ。

 

海外からの批判をかわすために表立った暴力的抑圧はしないであろうが、逆に言えば、行方不明になるケースが増えるという事だ。そこまでしなくとも基本戦略は市民が疲れ切るまで態度を変えないという方針でよい。少なくとも、それで香港の行政府が、そして大陸側の政権が傷つく事は考えられない。

 

香港市民に突き付けられたものは屈服か逃亡しかない。香港という地域で自分たちの主張を勝ち取るのは、香港独立と同じ意味になるから地政学的にも不可能だろう。わずかに希望があるとするなら、経済的に自由と民主主義が欠かせないことを証明するしかない。

 

だが、中国にとって香港はそうまでして必要な経済的地域ではなくなりつつある、大外科手術をする事さえ可能であろう。

 

だから、香港の妥結はあり得ない。そして挫折した若者たちが香港という地で活躍してゆく未来は見えない。もちろん、大陸の政治家たちはそれでも構わないわけだ。その代わりとなる優秀な若者を大陸から送り込めばよい。

 

そうなれば香港の文化も大きく変わるであろう。それが香港の行く末をどう決めるのか、それが決め手となるか。それは恐らく文化が経済に影響を与える道である。その先にあるものは、文化が政権を倒す道となるか、という事である。マクロスか。

 

そして、このデモが経済に起因するものであるならば、大陸に飛び火しないはずがない。例えこの火が潰えても。