沢尻エリカ 賠償金20億円に!ベッキーの4倍で史上最高額か

jisin.jp

 

ベッキーの4倍というバズワードで知ったが、アプローチする前に調査をしていなかった落ち度を棚にあげて、無能者たちが金にはがめついという感想しか湧かない。

 

基本として沢尻の太ももしか見ていなかったのでそういう噂を知らなかったが、業界の人たちは、基本的に、ああやっぱり、くらいな感想しか湧かなかったはずだし、もし違うというなら無能者で、明日から人間として生きてゆく才能なしのはずである。

 

そもそもそうと知っていてアサインしたのだから発覚する時間が早かっただけの事、単に賭けに負けただけの話、何ら賠償する正当性がない。そういう噂も織り込み済みで彼女の才覚に期待し、違っただけの話。例えば、視聴率が悪かったからという理由で、期待した成果が得られなかったという理由で賠償金が請求できるかという話である。

 

そういうのがしかたければ賠償金ではなく出来高制でやれである。仮に撮影の途中で事故にあったら賠償請求はできるのか、そういうケースもあるだろう。だが、一般的に事故でそういう行為をすれば世間の非難轟轟ではずである。

 

世の中には仕方がないで決着すべきものが、どちらの側にもたくさんある。だからといって仕方がないで済ませてたまるかというものもたくさんある。

 

そもそも彼女は逮捕されたが既に釈放されている。撮影するのに支障はない。更には収監されるとしても半年は先だろう。撮影にこれまた支障がない。事情が事情で、撮影スケジュールはタイトになるかも知れないが、別に犯罪者をテレビに出したり起用してはならないという法があるわけでもなく、なんら困った話がない。

 

そのまま彼女で撮影を続行するという選択肢は物理的にも社会的にも不可能ではなかった。それを選択しなかったのはNHKや企業側の都合であって彼女の都合ではない。つまり賠償請求をする根拠がないのである。迷惑を掛けられたから賠償してくれなど、少なくともNHKにはない。

 

公共放送であるから視聴料を取ることが許容されているのである。犯罪者をドラマに使ってはならないという公共性などなにひとつとしてない。少なくとも、恣意的に自分たちの倫理観だけで動くなら、公共性を取り下げ視聴料をすべて返却してから勝手にやればいい話だ。

 

公共性とは視聴者の意見に耳を傾ける事ではない。そんな正義に屈服するものではない。民放ならば仕方がない。また国営なら勝手にしろである。公共性は例え全ての人が見なくても放送を続ける事が出来る事をいう。そのために視聴料を徴収する事が許可されている。そこは喩えドラマひとつであっても決して引き下がってはならない最後のラインだ。

 

ではコマーシャルに起用した企業には賠償請求する権利があるかという話が残るが、それだけ重要な事に、タレントのしかも少し詳しい人なら極めて黒いグレーの彼女を起用した時点で、自分たちの無能ぶりにあたふたすべきであって、つまり賠償請求する以前に、自分たちが倒産するほど無能ではないかを検証すべきだ。

 

広告代理店の担当者を呼びつけて怒鳴り灰皿を投げつけるくらいはしても構わないが、その企業を選定したのは自分たちだし、彼らを信用したのも自分たちであろう。企業イメージという社会的な重要事がもし彼女によって毀損されたというなら、それは断じて違う、その程度でイメージが悪くなっているというなら、既に企業イメージは地に落ちているはすだ。即刻企業活動は辞めるのが社会のためだ、大衆の気持ちが何もわかっていない。

 

社会的な「何か」に忖度するのは仕方ない。そういう行動をしなければ社会的に批判されるという事がSNS社会ではとても大きなムーブメントとして観測される。所が、SNS社会ではひと月前の事でさえ遠くに忘却される。情報の濃度が極めて多層的で、そのなかで少しずつ沈殿して、何かの結晶が形成される。この新しいSNS空気について、誰もが研究中である。まだまだ足りない。

 

我々はみな素人である。