イラン大統領「深くおわび」、ウクライナ機撃墜で

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アメリカがイランのガーセム・ソレイマーニーイスラム革命防衛隊ゴドス部隊司令官を殺害した所から状況は急転直下の動きを見せている。この状況で明日がどうなるかを予告できる者はひとりもいない。例え居たとしても偶々に過ぎない。アメリカのホワイトハウスや軍の当事者たち、イランの指導者たちでさえ分かっていない。

 

もしこの追撃事件が人間の感情を巧みに読み切った的確な確信犯的な行動なら、このシナリオを書いた人を僕は無条件で尊敬する。180人近くの人命、イラン人さえも含む、と引き換えに、イラン国内で暴発しそうな反アメリカ勢力の潮流を打ち消そうとしたのだとしたら。たった180人の命で戦争が回避できるなら安いものだ、そういう信念さえ感じる。

 

最初に手を出したのはアメリカの方である。これは今回の事件もそうであるし、イラン革命の原因となった石油利権もそうである。これがイランの主張であろうが、おそらく世界史的にも正しい見方なのだろう。そういう契約を正式に結んだというのは正当な反論であろうが、おそらく歴史はその反駁を評価しない。

 

イラクで起きた殺害された人物はイランの重要な地位にある司令官であり、この殺害は明らかな国際法違反である。これが世界の認識である。それ以外の反論は死ぬほどあるだろうが、それらは本流になりえない。誰であろうと殺す事で問題を解決する事を我々の世界は認めない。しかし、殺す事が最も安価で効果的な場合があるのも確かなのである。

 

当然だがイラン国内では反アメリカで一色になる。もちろん、それを嫌な気持ちで見ているイランの人だって沢山いるはずだ。だが、あの状況でそのような事を主張できる訳がない。自分の部屋で顔を出した映像を投稿するだけで女性が逮捕される国である。こんな熱狂にある中では、どのような国でもよくて半殺しである。

 

だが、その市民の主張が、果たして指導者の意図と同一かは不明である。指導者が戦争を回避したいと考えるのは常識的な判断である。そしてイラン首脳部も常識的であろうと考えるのは、これまたこれまでの推移からも明らかであろう。

 

恐らくイラン国内は一枚岩ではない。当然だが、クーデター(coup)の懸念さえある。そういう点で、イランの国内体制と一番近似するのは、戦前の日本であろう。天皇を最高権威とした軍と政府の両輪で政治が動き、そこに国民がいる。軍が政府に対して独立的な権限を有する点も、ほぼ同じと言ってよい。

 

数百年前には市民がどれほど世論を形成しようが相手にする必要はなかった。だが新聞が登場したあたりから、世論は無視できないものになってゆく。日比谷焼打事件で政府が倒れた事は記憶に新しい。市民デモはイランでも行われている。それを暴力的に抑え込む事は出来ない。すべてのジャーナリストを遮断しない限り、つまり、中国では香港ではなく、ウイグルのようにしない限り不可能だろう。それでもウイグルで大虐殺が起きているという話は聞かない(2009年には起きたらしい)。

 

そういう状況で、軍の意向を政府は無視できない。そしてこういう構造では最高権力者は簡単に追放される。ここが独裁制とは異なる。ナチスドイツやソビエト連邦のような強固なそして追放されない終身的な権力構造は、たぶんイランには存在しない。

 

だから、伝統的イスラームを変える事はできないだろう。別に伝統的であることが悪いのではない。そういう国は世界にたくさんある。民主主義で西欧的価値観の開明さ(どこが?)だけが世界の標準でもベストプラクティスでもない。

 

軍の暴発を抑えながら、しかし、国民の暴動も回避し、それでアメリカと和平状態を維持するのは難しいであろう。核開発の再開は、世界に対する主張というより軍を説得する材料である、と読むのが妥当ではないか。イラン国内で炎上しつつある反アメリカ的な熱狂を如何にして鎮めるかは直近の最重要課題のはずであった。

 

当然だが、ここで問題なのは、軍部がそれぞれ独断で動く事であろう。その場合、国家としての統制は取れない。政策を一致団結して遂行する事が難しい。日本はこれがために開戦が不可避となった。中国からの撤退という国際的な要求に対して、その方針を拒否したから開戦に突き進んだのではない。政府がどのようにしても、軍部の独走を抑え込む事はできなかった。

 

もし、強引に進めたらどうなっていたか。おそらくクーデターが起きた、彼らが最も気にしたのは515(1932)、226(1936)の次であって、政府首脳が学んだ最大の懸案はそれであった。日本はクーデターを回避するためにアメリカとの戦争を決断した国なのである。

 

イランも同様の状況にないか。イラン軍の中にもイスラム革命防衛隊の中にもアメリカとの戦争に対しては、急進派、積極派、消極派、反対派、中立派が居る事は確かなはずである。彼らはみな自分たちの意見を持ちつつも、全体の流れに沿う事しかできまい。

 

おそらくアメリカが襲撃したのは急進派、積極派の人だ。国民にどう説明しているかはそう重要ではない。それよりもその人の背景、そして真意を過去の言動から見抜かなければならない。それさえも状況次第では別の決断をその人物に強いる。

 

だから、急進派の人がひとりでも消えてくれれば、それだけイラン全体での方向性に強く影響を与えるはずだ。だから急襲した。軍部の意向に強く影響を与えるであろう国民の熱狂はイランがどうにかするしかない。そして、今回の民間機事故により、熱狂はいったんは落ち着くはずである。

 

人は自分の側に罪悪感がある場合、一歩引く。これは世界中のどのような場所でも通用する心理だ。もちろん、どのような行動に罪悪を感じるかは地域や文化、貧困などによって異なる。窃盗に何の罪悪も感じない地域は幾らである。だが、心理テクニックの殆どは、この点を使用して行う。そしてこの民間機の撃墜は、どのような地域でも通用する心理的罪悪感である。

 

民間機撃墜といえば、日本なら大韓航空機追撃が近しい。領空侵犯に対して追撃するソビエトの言い分は国際法に照らせば確かに正しい。何度かの警告を受けながらも侵犯を続けた大韓航空の飛行経路は確かに怪しい。

 

だが、この事件でソビエトという国家への見方は決定的になったように思われる。そのような国家は信頼できない、というのは、世界共通の認識のはずである。そして撃墜されたのは大韓航空だけではない。イランの民間航空機もアメリカによって撃墜(1988)されている。しかもそれは誤ってではなく、軍事オペレーションの中で、明確な目標として撃破しているのである。もしこれが誤認識ならUSSヴィンセンスの艦長は相当な無能であるが、事後に処罰はされていない。

 

民間航空機の撃墜を切っ掛けに戦争が始まったことはどうもなさそうである。だが、どのような理由であれ、それを行った者は非難されるべきだろう。ヴィンセンスが事件後にアメリカに帰港すると英雄として迎えられたと話にはあるが、如何にアメリカ人がイラン人を毛嫌いしていたか、彼らの大好きな正義の理念よりも憎しみが上であったこれは証左であろう。

 

この事件はアメリカが賠償金を払う事で一応の決着をみた。1996年2月22日、10年後の事である。これを実行するために、交渉し、説得し、実行にまで漕ぎ着けた人物がアメリカにはいたのである。2時間の映画で見たい話である。

 

アメリカでさえ世論が熱狂したらイランとの開戦圧力が高まる。これに対するトランプの戦争回避コメントは不思議である。たんなる戦端をひらくまでの時間稼ぎか、それとも選挙戦に向けての何かの思惑か、知らない。

 

なお、民間航空機で最大級の事故(単独機では世界最大の死者数)は、日本航空123便墜落事故だそうだ。この事故に関しては、報告書に対して幾つかの疑問がある。そのため、護衛艦「まつゆき」が実証実験した誘導ミサイルが衝突したためという話まで浮上するのだ。

 

これはこれで説得力のある説が展開されているのだが、起こす可能性はかなり高いとしても、これを完全に隠す事は難しいのではないか。特に事故から何年も経過すると真実を話す人が出てくる。当然だが、真実でない事を話す人まで出てくる。坂本龍馬の暗殺を告白した人は何人もいる。

 

そもそも、隠蔽するなら、なんらかの命令系統が絶対に必要であって、そんなもの現場の艦長だけでまとまる話ではない。現場の人々が沈黙しておけば済むような話でもない。即日対応が必要な事案である。命令拒否をする人だって沢山いるだろうし、そういう人を脅して屈服させたとしても、何年も黙らせておく事はできまい。

 

そもそも自衛隊に、そんな一糸乱れず、事故を隠蔽し、のみならず、山中に隠密部隊を派遣して、証拠隠滅して引き上げてくるなど不可能ではないか。他国にいる誰かを暗殺するくらいならきちんと予算を取って極秘に訓練しているとしても、国内の不祥事を隠蔽するための行動をそれなりの規模の組織で長期間に渡り極秘のまま準備し維持し続けるのは不可能だろう。

 

さて、イランの背後には中国やロシアがいる。その近くにはトルコもある。アメリカにとってイランの難民が何百万人うまれようが痛くも痒くもあるまい。だが、ヨーロッパというコップはもう溢れる寸前にある。もし難民がこれ以上増えるならば、ヨーロッパは断固と戦争を反対するだろう。それはヨーロッパとアメリカの軋轢を生む。

 

ヨーロッパとアメリカの戦争?というと不思議な気もするが、WW1,2ともヨーロッパとアメリカの戦争である。今回はEUvsUSの戦争になるかも知れないが、単にドイツの側にフランスがいるだけの話しだし、WW2も同じ構図だったので、何ら不思議はない(フランスは両陣営に政府を置いていた)。

 

だが、そこまでエスカレートするには、たくさんの条件があるはずで、ある時点で雪崩が連続して続くように全部が、ある時点で全て揃っておく必要がある。そんなのどの程度の確率だろうか。だが、可能性が0でなければ起きる。0%でない以上、杞憂ではないのである。

 

何がイランの問題をこんなにエスカレーションさせたのか、この背景に石油があるのは間違いない。核兵器は石油などなくても開発可能であることは北朝鮮が証明した。核兵器の開発に金などいらない。そして北朝鮮が核を売りたい相手としてイランは最初の国のはずだ。

 

しかし、それだけではこの対立を説明するには不十分で、この地域の歴史がある。アラブとペルシアという対立。イスラームの対立。そしてイスラエル。石油という利権。こんごらかった釣り糸か。

 

歴史的には、シュメール人になるメソポタミア文明、チグリス/ユーフラテス河が流れる現在のイラクに文明が起きた。農耕は、恐らく、人類にとって初めての収奪可能な資源だったのだろう。恐らく穀物の長期保存性と関係すると思う。

 

この地から文明が始まったのかどうかは知らない。しかし、この地から始まった多くのものが現在まで続いているのは間違いない。

 

イランはペルシャ人が中心となる多民族国家だから、民族的には他の地域の人たちとは異なる。中東では民族よりも、部族が重要とも聞く。そういう構成の成り立ちの違いは、理解できない部分もあるが、日本だって戦国時代は豪族が跋扈し独自のルールを作ったし、幕藩体制では、各藩をひとつのStateとした連邦制であった。まったく知らない世界ではあるまい。

 

いずれにせよ、イランは国家として一枚岩ではないと思う。この事故は現場の独断によるものだと思う。それでも戦争か平和は、イラン国内でも各勢力が争っていて、そのどれが選択されるかは、何が決め手になるか分からない状況にある。

 

たったひとつの出来事が決定的な役割を果たす。アメリカが下手を打てば、イランは引き下がれなくなる。一方でイランが下手を打っても、アメリカは決断するしかなくなる。そして世界はアメリカとイランだけのものではない。

 

この機に乗じて、イランを滅ぼしたい勢力は、必ずアメリカが決断せざるえない事件を目論むだろう。イランがやったかのように見せてトランプを暗殺するくらいのプランは検討しているはずだ。

 

果たして、この事件は、この対立は、世界に何をもたらすか。オバマが切り開いた和平をトランプは否定した。多分に選挙のためだと思う。この問題の行く末にトランプには責任がある。

 

そして彼のコメントの多くが恫喝から経済的協力へという流れを作るものであって、イランに対して取った行動は、北朝鮮に対して取った行動とよく類似する。彼は腐っても経済人だから、余程の利益が見込まれない限り戦争など望まない。だが、実際には北朝鮮との交渉は暗礁に乗り上げかけている。

 

そういう先例を見てイランは、アメリカは戦争をしないと見た。ほう、それでは説得力が欠けるか、とトランプは暗殺を許可した。これはもちろんイランだけへのメッセージではない。

 

絶対にやらないとは確約しない、トランプの交渉術を支えるのはこの点である。北朝鮮はもうじき潜水艦を完成させるだろう。そうなれば核交渉は別のステージを迎える。それをアメリカ軍が知らないはずはないし、日本軍だって知らないはずがない。だが、マスコミのニュースにそういう話は流れない。水面下で何かが動いてなければおかしいはずだ。

 

イランは国内をまとめる事は不可能だと思う。まして、伝統的イスラム主義を捨てられもしないように思う。そして国民はこれについて懐疑的なのではないか。イスラム教に限らないが、現在は、宗教の各聖典に対して、如何に原理的であるべきか、いかに現代の価値観、主に科学が齎した新しい知見との間での両立可能性、信仰の問題と世界の問題の調和、そういう課題に対してリクオンサイル(reconcile)を目指すべき段階にあるのだろう。

 

そういうものでなければ戦争は悲しい。