10 million bugs from my polish @nanoris

書き溜めの集積場

槇原敬之容疑者のSNS、続々と非公開に

www.sanyonews.jp


薬物依存の人に対して出来る事は、手を差し伸べる事を決して止めない事だけだろうと思う。そう思うのだが、それだけで何かが良くなるような甘いものではないという覚悟はしておく。結局、薬物依存は本人がどれだけ抗っても連れ去られてしまう津波のようなものだ。

 

どれだけ反抗しようと、気が付いたら手を出している、人間の脳は意識だけで出来ていない。例えば、気持ちが足りないとか、心を強く持ってという人は、自分の意志の力で、今日食べたパンを消化してみろというようなものである。

 

だから依存症を病気と呼ぶ、そして病は気からというが、いったん病に罹患してしまえば気では治らない事はよく知っておくべきだ。病気を治癒するのに必要なのは免疫システムであるが、では免疫不全は病気ではないのか、免疫の暴走は病気ではないのか。健全は意外と難しい。

 

脳が持つ不思議な力。我々は意識だけでは決して生きて行けない。脳の中で起きる様々なニューロンの絡み合いが、時に聖人のような行為をなし、時にヒーローの振る舞いをさせ、時に変態の嗜好から逃れられなくする。依存症はそこにあるものが化学的な刺激という点で強烈なのだ。

 

何度も手を差し伸べた所で立ち直れるとは限らない。人は愛では変われない。パンがなければ生きて行けないとキリストでさえ言った。時に、差し伸べた手が当人に対して甘えを生み出すかも知れない。その甘さがフラッシュバックを呼ぶかもしれない。田代まさしがバリバラで話題になった事と、彼の再犯が無関係とは思えない。

 

同様に、槇原敬之が手を出したのがいつからであるかは知らないが、当然だが、ずうっと昔から続けていて、でもこの人はきっと上手く付き合えていたのかも知れない。我々は恐らく薬物に対しての知見が足りない。だから、その依存性を治癒する方法をまだ知らない。脳のメカニズムについて無知である。

 

ペディアトリクス(Pediatrics)が小児科を意味するように、Pedは古代ギリシャ語由来で子供の接頭語である。だからペドフィリア(pedophilia)が小児性愛者であるのも納得である。これだって脳に原因がある。それを病気とする学説もあるが、自然発生的な個性のひとつという考え方だって出来る。

 

人類の長い歴史の中でこの趣向が肯定的に働いていた時代だってあるだろう、と考える。それは鎌状赤血球がマラリアに対する特殊な対抗であったようなものだ。病気は時代が定義する。

 

では薬物依存もそうなのか、それは知らない。少なくともこの依存性の強さは現在の社会では違法として断固処罰すべきだろう。かつて、薬物依存は、深川通り魔殺人事件のような幻覚として無差別殺人を起こす怖いものであると理解されてきた。

 

しかし薬物など使わなくても人を殺せることを秋葉原通り魔事件が証明し、理由さえあれば人を殺す事が正義になる事を相模原障害者施設殺傷事件が証明した(ドストエフスキーが既に小説にしていたという話はある)。どうやら孤独ほど人を狂気に誘うもののようだ。それ(孤独)もこれ(薬物)もすべて脳である。

 

花屋に並んだいろんな花は、もちろん、同じ花ではない。どれも種が違う。下手をしたら、門(被子、裸子など)からして違う。ところがひとりひとり違うのは同じ種であるホモサピエンスでの個体差である。

 

種の違いと個体差を同列に比べるのは、比較としては間違ってると考える。確かに世界に一つだけのは花はある。小林秀雄も美しい花がある。花の美しさなどないと語った。ひとつひとつの花を見よ、美しさなどという観念で花を見るのは順序が違うくらいの意味かな。

 

だからと言って大きい花、小さい花は種の違いであって、個体差ではない。花屋に並んだ花は規格外のものは市場に出る前に廃棄されているのである。全てが同じ規格で揃えているから異なる種のものとも組み合わせることが出来る。それだって根は切られ、花が種子を結ぶことはない花たちである。

 

No1 にならなくてもいい、誰かにとっての Only One になればいい。この歌は Japan as No1 が幻想だったと誰もが気付いた頃の時代にあって、バブル崩壊後にどうやら我々は立て直しにも失敗したという時に人々の発想に気付きを与え価値観の転換を促す重要な役割を果たした。

 

もちろん誰かにとっての Only One とは、誰かにとっての No1 とほぼ同値であって、ならば、No1 でなくてもいいよと言うのは、全員にとっての No1 である必要はない、僕だけの Only One になってよ、という意味だろう。

 

世界の中での No1 を目指す必要などないという決別の詩と思えるのだが、もちろん、アメリカは Make US Great Again を標榜し世界の No1 を奪還する気だし、中国も No2 に甘んじるつもりはない。

 

これは逆に Only One になる事は No1 になるための必要条件である事を断言しているのかも知れない。少なくともこの歌はそう主張する事で平成 number 1 Single Song の不動の地位を達成した。

 

そもそも No1 とはどういう意味か。最高、至高という意味があるらしい。だが、これが意味するのは No1 は必ず陥落するという事だ。No2, No3, No10 と下がるしかない。

 

しかし Only One は決して陥落しない。Only One でなくなった時は One Of Them になるだけだ。ベーネミュンデ侯爵夫人の悲しみのように。

 

こんな事件でも彼の身に起きた事に彼は向き合う必要がある。しかし、それは決して彼の作品の価値を貶めるものではないし、彼の功績に傷をつけるものでもない。まして、作品を封印する必要もなく、まして、今流しているのを止める必要もない。

 

それでもマスコミは流すのを止めるだろう。マスコミにも言い分がある。この世界にはこんな歌に本気で感動するような馬鹿しかいないと彼らはよく知っているだろうから。それらに説明し説得するくらいなら止めてしまう方がコストは遥かに少ない。半年もすればまた流せばいいと考えるのが我々の方法だ。

 

その時に、全てが手遅れになってなければいい。どうもこの国の人は昨日と同じ今日が来たから明日もきっと今日と同じだと考える風がある。