イラクの新首相候補が指名辞退 後継の人選でも混乱か

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この様相は、戦前の日本をますます思い起こさせる。帝国憲法では、君主を天皇とし、内閣が行政を行う体制にあった。しかし、軍部は内閣になく、天皇の直轄であった。

 

すなわち、内閣に属する海軍省陸軍省の他に、海軍ならば軍令部、陸軍は参謀本部を持ちこれで大本営を構成し、軍令権の主体とした。これらが統帥権を持つ組織である。

 

そのため、内閣は陸海軍に対して命令する権限を持たない。これはシビリアンコントロールの立場からはセオリーを無視した構造とも思えるが、多くの国で君主が軍部を統制するのはイギリス女王もアメリカ大統領も同様のようである。それは日本国憲法でも総理大臣が統帥するのと同様である。

 

その点で天皇統帥権を持つ君主制もそう間違ってはいないはずであった。しかし、天皇立憲君主であって絶対王政でも独裁でもないから、臣下に対して拒否権を持たない。その構造では、明治の元勲たちが内閣と軍部の間を取り持つ役割を担っていた。元老たちの存在は、憲法のどこにも記載されていなかったが、実際の機能としては必要不可欠なものであった。ここが帝国憲法の致命的な欠損部分であった。

 

政府が戦争を欲した時、それは天皇を仲介して軍部に命令される構造である。軍部が戦争を欲した場合、裏から政府を通じて上奏する仕組みであった。政府は軍部に対して予算権を持っていたらから、本質的には統制可能なはずであった。逆に軍令権を政府に持たせないのは戦争に対する軍事的な独立性を高め、政府からの介入を排除するためである。

 

ヤンがトリューニヒトからの停戦命令を拒否しなかったのが法律的にどうであったのか。惑星自由同盟の憲法を持ってこいという話である。

 

山県有朋軍部大臣現役武官制を導入したのは、選挙によって選ばれた人が内閣を組閣するようになった議会制と無縁ではない。当時の軍部からすれば、素人である政治家たちが自由に海外に派兵しようとするのがもっとも憂慮すべき事項であった。

 

これに対抗する手段として導入されたこの制度は、軍部と政府が合意しなければ戦争できない仕組みを担保するものであった。だから政府がむやみに戦争を欲するのを軍部が抑え込む手段と想定していたはずである。その当初の頃は。

 

元勲たちが去り、元老がその役割を果たせなくなった時、軍部が自分たちの主張を通すための手段として軍部大臣現役武官制は最大限に利用されるようになった。これに対して政府は予算編成で対抗しようとしたが、515、226のクーデターが様相をがらりと変えた。

 

政府は軍部の暴走を抑えるためには譲歩するしかなくなった。加えて、石原莞爾たちのような暴走する者たちを軍部は銃殺刑で断固処罰する統制をしなかった。これは人材を重視するあまりに温情的な人事考課が強かったせいと思われる。

 

身内に甘いは、逆に言えば、集団としての団結力が強いという意味になる。永田鉄山の暗殺でさえ、派閥内での親身さの情は強かった。彼らは法よりも人情を重んじた。それは国が潰れるまで、潰れても続いた。

 

いずれにしろ、組閣に失敗するという状況は、よい兆候ではない。軍部の発言権が強くなる可能性が高い。

 

それに拍車をかけるようにイランはコロナウィルスの蔓延を止められない韓国、イタリア、日本と並ぶ主な国のひとつである。疫病は国家を打ち滅ぼす遠因になる。人間という種は悪法がもたらす未来に対しては無頓着であるが、死をもたらす疫病に敏感でいられる程度には知能が高い生き物である。

 

しかし、病気が蔓延している間は、多くの紛争や軋轢が棚上げにされる状況を思うと、これも悪くはないかとも思う。しかし難民の人たちに対してはこれは明白な脅威となるから、誰かが感染を持ち込めば、そこには惨劇が待っている。

 

それを憂慮する人、準備を始めている機関は既にあると思う。そこが重要なんだと思う。