米子医療生協、「トイレットペーパー品薄デマ」投稿者の1人が職員だったと謝罪

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この事例でうほうほしている社会学者もいるだろう。久しぶりに壮大な社会実験が見事なまでに成功した事例だ。

 

これはデマかも知れないし、本当にそう信じていたのかも知れない。だが、社会に広く浸透するまでには、幾らでも引き返す場所はあった。それを覆すデータなら幾らでも転がっていたであろう。

 

この話に踊らされる人が僅かなら、乃ち流通量に影響を与えない程度なら、別に困る事はなかった。同様に、それが局地的であったなら、これも問題とならなかった。

 

日本経済は非常に困窮に落ち込んでいるので、これまでの年月をかけて様々なコストカットを行ってきた。この余裕のなさは、最終的には人件費の削減、それに伴う市場の縮小となって経済そのものを痛めつけているのだが、日本経済の主流にいる人たちには通じない。

 

彼らは、市場というものを自然現象と同程度にしか理解できないので、例えばウナギが絶滅するのもゾウが絶滅するのも資源減少くらいにしか理解できない。当然だが、人間がニワトリをいつも食べられるのは需要に対する供給を満たしているからであって、それは農耕牧畜によって可能となったのである。採集狩猟では不可能なのである。

 

いずれにしろ、供給と需要のバランスにおいて、在庫と流通がキーになる。日本は在庫を極端にまで減らす方向に進んだので、商品が店頭にある量は極めて少ない。その数は日々の販売量から予想されて+α分である。それに対して流通がどの程度の間隔で配送すれば良いか、この組み合わせで効率的にシステム化した。

 

つまり効率化とは外乱に弱いのである。このトイレットペーパーの騒乱は、銀行の取り付け騒ぎ(bank run)とよく似ている。どの支店も保有する現金は取引量よりは少ない。そのため引き出し量が保有額を超えたら業務が停滞する。最悪、経営破綻する。昭和金融恐慌も政治家のデマから始まった。

 

うわさが拡大再生産される現象は、中性子の連鎖反応によく似ている。反応する量が、その前よりも多ければ拡大するし、小さければ縮小する。制御棒は中性子を吸収する事で反応量を減らす。

 

言ノ葉の場合、この制御棒にあたる仕組みは存在しない。かつSNSが地域性、時間性を超越するため、例えば米子限定の現象であったとしても、簡単に全国に連鎖させることが可能だ。

 

それでも、少しでも知識があったり、正常な判断力がある人ならば、このようなデマに乗せられる事はないであろう。全ての人がそのような振る舞えば、この騒動は抑え込まれていたはずである。

 

しかし、そういう人でもスーパーに行けば、十分余裕があっても手を伸ばすであろう。潤沢にある。だから余分はあるけど買っておいてもいいだろう。あんな話を読んだ後だし。

 

文字も読めない情弱ばかりならこの騒動は起きなかった。そうでない人が少しずつ買い続けた。まだたくさんあるから、とりあえず買っておこう。だいぶ減っているから、とりあえず買っておこう。もう残り少ない、とりあえず買っておこう。

 

この連鎖では買わないという選択肢がない。買わなくても良いという判断は、今日もたくさんある、きっと明日もたくさんある、という幻想に基づく。だから少しでも気になり出せば買う。この負(?)のフィードバックが、品薄状態を作り出した。

 

そしてまず在庫を超え、そして流通量を超えて、品薄になる。これを元の状態に戻すには、同じ時間では足りないはずである。

 

つまり湯舟に一杯の水を張ってある。そこから一気に水を抜く。すると、もういちど水を張るまでには時間がかかる。これは蛇口からの水量は、少しずつ無くなる量(風呂桶一回分)程度しかないからだ。

 

かつ、少量程度では、店頭に出してもすぐに売れてしまう。この場合、家に潤沢にある人までが買おうとする。もう品薄はデマではなくなったのだ。

 

少しづつ仕入れ店頭に並べるなどラインハルトの各個撃破みたいなものである。だから商品を並べるなら商品棚に一遍に一杯に並べないと効果が薄い。弾幕薄けりゃそこから攻められるのである。

 

かつ、それでも当初は本当に足りていない人が買うだろうから、その強襲に5、6回は耐えるだけの商品量が十分になければ混乱は落ち着かない。この心理は陳列によってしか納得させられない。

 

一部の下種な男女が買い漁る事までを考慮するならこの混乱から立て直すのは、この混乱を起こす数倍のエネルギーが必要である。またはイノベーションによって、ある商品が不要となるとか、流通が抜本的に変わるしかないのである(たとえばソビエト連邦の解体とか)。

 

状況が変わるためには、生産拠点が生産量を示し、流通業者が日々運搬を続け、店頭が商品を陳列し続けるという当たり前の方法しかなかった。冷静さを取り戻し、解決は時間の問題である、そう認識するためにSNSは有効だっだ。なお、補給し続ける事は戦争に勝利する唯一の条件でもある。

 

少なくとも、この事例によって国内でパニックは簡単に起こせる事、それを簡単に元に戻す方法がない事を理解した。つまり昭和大恐慌はもう一度起きるという事である。それをトイレットペーパー程度(QOLを考える上で重要ではないという意味ではない)で経験できたのだから僥倖というべきか。

 

失ったものを元に戻すのに同じ時間で済む思うのは、愚者の思い込みである。これは時間は未来に向かって進むからだ。過去に失うのと未来に向かうのでは風向きが違う。風に向かってボールを投げるのと、風に乗せて投げるのでは同じ仕事量ではないと言う事だ。

 

1分の遅れを取り戻すのに、どれだけの速度が必要か。

a + s*h = (a-n) + (s+m)*h を満たすn,mを見つける。

n = m*h, m = n/h 。