WHO、新型コロナを「パンデミック」と表明

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2019年度の中国の経済失速を裏付ける様々なデータが公表される事はない。しかし、それは少数の共産党幹部をたじろがせ、習近平に強い危惧を強いた。このまま行けば、中国は根底から経済危機を向かえる。その先で確実に世界大恐慌のトリガーを引く事になる。

 

それはどれだけの工夫、隠蔽や謀略を含む、をしても、2022年には表面化する事は避けられない。その頃の世界がどのようになっているか、優秀な人材を揃えた戦略会議室の若手たちもはっきりとは見通せなかった。アメリカの大統領選、ヨーロッパの難民問題、イギリスのEU離脱、中東の騒乱など、世界は混乱に向かっている。

 

資本主義経済も自由主義も終焉を迎えつつあるという認識は一致していた。しかし、その次に来るものが何であるか、どの地域か。誰も知らなかった。だから一帯一路なのだ。世界を横に縦断する事で、どの地域の変化も見逃さないネットワークを構築する。そしてインドという人材の巨大な宝庫を海と陸から締め付ける事。この中国の戦略は上手く進んでいるはずだった。

 

しかし、経済的失速は政権をひっくり返すどころか共産党の支配さえをも揺るがせかねない規模である。その頃、武漢の一部地域で病気が蔓延しつつあるとの報告を受けた。当初、それは国家的問題として大したことはない、低いプライオリティとして捉えられていた。

 

しかし、その拡大は尋常ではなく、あっと言う間に蔓延するに違いないという報告を受けた。死亡率は普通のインフルエンザと変わらないとも添えられていた。それならば、早急な体制の構築は必要ない、普通の風邪と同じように扱えばよい、そう多くの者は判断した。

 

しかし、そうではない、これは僥倖であると感じた人がいた。その人の名は明かせないが、すぐに幹部にその提案をした。これが如何なる病原体であれ、最強の隔離政策を取りましょう。その結果、中国の経済が冷え込むなら、中国経済の減速には正当な理由が出来ます。

 

その後の世界的な拡がりは、彼らの予想をも超えていた。世界がこれだけの影響を受けるとは誰も予想できなかった。しかし、1月が終わる頃には、それは明らかだった。

 

だからWHOに対してパンデミックの宣言を遅らせるよう圧力をかけた。何故ならそれによって、他国の対策が後手に回るはずだから。そのうち、幾つかの地域でクラスターを中心とした巨大な感染地域コロニーが生まれる。このコロニーから他地域に病原体は次々と拡散するだろう。

 

その間に中国は感染からの立ち直りを完遂する。世界で最初の感染地になったのなら、最初に立ち直る地域となるだろう。他国が経済封鎖をしてウィルスと戦っている時に、最初に経済活動を再開できる事のアドバンテージは最強である。

 

そして、パンデミックの宣言は、中国の経済活動の再開時期とリンクすべきである、これが全員の結論であった。調度、一か月の時間が中国を利するであろう。そして、民主主義的、個人主義的、資本主義的指向が強いアメリカでは健康保険制度の綻びひとつとっても、この疫病を抑え込む事はできない。

 

これが中国の目論見であり戦略であった。彼らがどういう形でこの病を克服するかは知らないが、必ずアメリカの経済は衰退する。その間に中国が台頭すれば、その優位は揺ぎ無いものとなるだろう。

 

着々と中国はその戦略に基づいて行動を起こした。幸いにアメリカは大統領選挙がある。このパンデミックに対してアメリカの取れる唯一の手段は、隔離も封じ込めも放棄し、全員が罹患し、全員で健康回復をすることだけである。どれほど病気に罹患しようと経済をフル回転で廻し続ける事である。そうすると、貧困者や持病を持つ人、保険を持たない者がたくさん倒れるだろう。それでも構わない、所詮風邪である、インフルエンザで1万人が死んでも何も問題とならなかった国である。

 

もしそのような戦略が取られたら我々の戦略は失敗に終わるかも知れない。しかし、WHOが適切なタイミングでパンデミックを宣言した。トランプはこの疫病を絶対に無視できない。例えインフルエンザと比べて遥かに被害が小さく終わるとしても。

 

幸い、この病気の致死率は2~0.5%と考えられている。実際の所、中国当局の報告書を見ても本当の数字は解らない。何の免疫も持っていない場合、それが強く働く事が多い。だから当初の死亡率はあまりあてにしてはならない。最初のピークを越えた頃、弱毒で終わった免疫保持者によって、多くの人が緩やかに抗体を獲得するはずだからである。

 

この国難に対してアメリカがどのように振る舞うか、を注視する、そう話し合いをしていた時、総書記に一本の電話がかかってきた。「葬った」その一言で、電話は切れた。それを聞いて、彼は一息をついた。

 

武漢よりももっと奥地にある村でひとりの水死体が発見された。誰も身分が解らず警察は浮浪者として処理し、火葬し無縁仏の墓地に埋められた。

 

この者こそ実は極秘施設の研究員で、感染率が高く適度に弱毒なウィルスの開発に成功した人物その人であった。