相模原殺傷、植松被告に死刑

www.yomiuri.co.jp

 

この事件に特に特筆すべき点は何もない。少なくとも人類史において何か目新しい視点をもたらすようなものは何もない。必要ない人は殺しても構わないなど、この犯罪を待つまでもなく、人類は何度も繰り返してきた。

 

アメリカに運ぶ奴隷たちがどのような姿勢で船に乗せられ、病気になったらどのように船から捨てられたかを聞いた事がある人ならば、この程度の残虐さに驚きはしないだろう。

 

ある小さな島では猟銃をもった人が人間狩りをして、そこに住んでいた人を絶滅させたし、アメリカ大陸では天然痘患者が使っていた毛布をプレゼントして感謝される、そんな出鱈目な話ばかりがある。

 

いまさら障害者を殺したで何が目新しいものか。代理ミュンヒハウゼン症候群で患者を傷つける看護師もいるし、精神障害の患者を痛めつけている人など幾らでもいる。それと比べればこの犯人は愛をもって彼/彼女らに処したと主張するかも知れない。その正義を今も信じている知性に何を驚愕するというのか。大帝かよ。

 

この犯人の思想でさえ、人権という所から始まっている事に注目した方がいい。彼は彼なりに考えて、そういう人たちの命を奪う事が人道的であるという結論を得た。ネットの中の中傷だって似たようなものだろう。障碍者を韓国や中国に変えた途端に、うじゃうじゃ同様の意見が湧きたつはずである。

 

人間は敵を叩く時には正義なのである。自分の世界の外にあるものを破壊するのに躊躇はしないものである。彼は自分を伝道者のひとりと今でも信じているのではないか。その程度の思想に染まるくらい、オウム教の連中だってやった。彼はただ一人で悟りでも開いたのだろう。何が珍しいのかという話しである。

 

今日だって、君は役立たずの一言で職を失い、住所も失う人が幾らでもいる。学校ではテストの成績が悪ければ馬鹿にされ、既に学校カーストなる言葉が市民権を得ている。人を能力で判定してはいけない、など誰に言えるのか。

 

この裁判で興味深いのは弁護士たちである。「大麻の長期使用により慢性の精神障害を発症した故に無実」という主張。弁護側が一致団結しているなら、そういう主張も否定されるものではない。

 

しかし、当の被告から否定されている。つまり。弁護士は被告との間に信頼関係を築けなかった。おそらく、どういう弁護をするかでの合意も取れなかったはずだ。バラバラに、ただ裁判という形式を満足させるためだけに、彼らは弁護に邁進した。

 

犯人の意見、意図、気持ちも理解不能だったのだろう。理解しようと何度も会話を試みたと思う。しかし、彼は狂っているようには見えなかった。だのに彼が語る言葉は、理解の範疇を超えていた。

 

弁護士たちは彼の主張の正当性をどのように組み替えても弁護可能な論理として構築できなかった。論理的にも心情的にも道徳的にも。犯人はそんな風景をみて自分をキリストにでも例えただろうか。

 

それでも弁護しなければならない、だから全力を尽くす。この人、基地外なんです、恐ろしく気が狂ってます。面白い事例なので、どうか死刑などにせずに、精神科の臨床として研究体として活用する方が絶対にいいです、本心ではそう言いたかったのかも知れない。

 

だが、そんな話が通ずるわけもなく、恐らくこの裁判に参加した全ての人が妥当だと思われる帰結に達した。これ以外の結審は考えられない。常識外なのは殺した人数でも、その行動原理でもない。

 

引き返す場所はたくさんあったはずなのに、なぜこの人は一度も振り返らずに行ってしまったのか、何が彼を捕らえていたのか。太陽がまぶしかったから、の理由の方がまだましではないか。

 

ナチスドイツの総統は裁判を受ける事なく自殺した。ポルポトは逮捕され毒殺された。妻と娘は「世間が何と言おうと、私達にとっては優しい夫であり、父でした」と小説のような談話を残した。スターリンは暗殺される事もなく人生を終えた。原子力政策で関西電力に圧力をかけた町長は、死後も新聞をにぎわしている。

 

殺した数が問題ではない。だが殺した数だって問題である。百万人を殺せば英雄であるとチャップリンが語る映画ではビジネスのため金品のために殺人を行った。それが今回の事件ではボランティアであった。

 

多くの政治家や経営者が仕事ではなくボランティアを望んでいたのではないか。オリンピックなどボランティアを強要しなければ運営不可能な状況に陥ったではないか。人の善意に漬け込み、人の善意に金銭などいらないと社会を組み替えたのがこの国ではないか。なぜ殺人だけがボランティアにならないと信じたのか。

 

彼は人が経済上を漂う金銭に過ぎないとした我々の社会が向かう方向に、何の疑問も抱かず、ただ愚直に真っ直ぐ徹底的に全ての制約を取り払って進んだに過ぎない。この事件はその表層に過ぎない。この社会が求める先端まで一足早く進んだだけだと。

 

誰からも罰せられる事なく、恨みを買う事もなく、人を殺すのは簡単である。人類を全て滅ぼせばいい。そうすれば、最後の者は誰からも罰せらる事はない。誰も自分が住んでいる範囲の外にいる人は殺せない。

 

彼の世界はどのような拡がりを持っていたのだろう。この国が銃を入手できる国だったら、この程度では済まなかったはずである。