101日後に炎上したワニ 「電通案件」否定、作者は涙の釈明

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裏で電通が仕組んだマーケティングであるかどうかは知らない。作者の言う通り違うと思う。だが、個人で始めた作品が話題になって多くのフォロワーを得た後に、色んな関係各所がコンタクトしてきたのは間違いない。

 

権利が商売になるというのが現代のビジネスモデルであるが、書籍化、映画化、グッズ販売、イベント開催、これらが個人だけで可能なはずもなく、本当に多くの嗅覚鋭い関係者が飛びついた。

 

作者としてもそういう話を断る理由がない。書籍化や映画化を断るなど余程の偏屈屋である。だからこの作者の行動は何もおかしくないし真っ当なビジネスである。

 

だから例えば映画化で東宝東映がくらいなら誰も否定はしない。アニメ化にジブリが、GIが参加なんて話になればみんなが賞賛するはずだ。

 

だから「電通」というキーワードが重要なのだ。これが電通でなければここまでバズる事はなかった。この社会的な通奏低音に意味がある。

 

社会の閉塞性と階級化において、電通がどうやら色々な仕掛けをしているらしい。その多くはテレビを通じて支配的に動いている。なんせ人を殺しても誰も罪に問われない企業である。人の命がたった50万で済む企業である。

 

恐らく、ここまで嫌われているとは当の電通の社員たちでさえ驚きであろう。電通という名前が出る事はビジネス上のデメリットでしかない。そういう世論が形成されつつある。

 

もちろん、多くの人が今日も見ているテレビ、ラジオに電通が係わっている事は誰もが知っているであろう。テレビで見るCMに電通が係わっているのは常識であろう。

 

そういう古いシステム、オールドストラクチャにおいては仕方がない。既得権益だもの。それが多くの人の考えである。だから新しいシステムに参入し傍若無人に振る舞う事は許さない。そういう事を是認する作者の作品など支持しない。

 

ここはフロンティア、既存の価値観で荒らされてたまるか。もし自分たちのこの感動が、この気持ちが、この感情が、電通の掌で踊らされたと思ったら反吐が出る。

 

そういう気持ちが表出した。これはワニの物語とは何も関係ない事だ。そしてこれは大衆が電通を引きずり落とした事例だ。もし作者が既得権益側に行くなら我々はこの作品を否定する。この感動もお返しする。

 

そういう気持ちだと思う。電通という企業がこれまでの事に如何にツケを払ってこなかったかの証左であろう。そして今後も払う気がないのは明白だから、恐らく電通はこれらの層に対して敵対的行動を取るかも知れない。そして最終的にはどちらかが屈服するまでの戦いとなる。

 

電通が何をやってるか分からないが悪徳企業である事は間違いない、この噂、半分は本当だと思うが、そういうレッテルが確定すれば、彼らは自分たちの顔を見せないわけにはいかなくなるだろう。

 

市場に拒否された企業が生き延びる術はない。それがしたければこの国を社会主義国に変えればいい。電通は本気でそれを狙うかも知れない。そういう危惧がこの事件の遠因にある。

 

これは電通という企業がオープン化するかどうか、つまり民主主義を支持するかどうかを、見定めるためのスタート地点となる物語だ。