EU、財政ルール一時停止=経済対策後押しへ異例措置―新型コロナ

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経済活動が停滞すれば預貯金を食いつぶすしかなく、それが切れたら略奪の始まりである。よくて生活保護の申請、ダメなら刑務所をセーフティネットとして活用する、これは当然の現象であるから、水が流れるくらいに防ぎようがない。

 

その臨界点がどこにあるかは、各国の経済環境と密接に絡んでいる。日雇いが多いほど、その沸点は低い。日本も非正規雇用に舵を切ったため従来より低くなっている。その証拠にコロナで経済活動が低下したら竹中平蔵がぱたりとメディアに出なくなった。コロナに罹患して肺炎にでもなっているのではないか。乾杯である。

 

金銭を稼ぐ方法は一般的には労働である。労働の対価としての賃金がある。しかし、それは非常に小さく絞り込む方向で経済は動いている。これはレーガン大統領、サッチャー首相が目指した方向であって、停滞しつつある経済の刺激策として採用された。

 

最終的にこの政策は製造業から金融業へとシフトし、これらの政策の結実となって、特に減税とペアとなって、格差が増大し(金融業は金がある方が勝利するゲームである)、政府による再分配機能(税の大きさと比例する機能である)は小さくなった。

 

もちろん、1980年代は、ITという新しい製造業でアメリカが世界を席捲する時代である。コンピュータという新しいデバイスが世界の仕組みを変えた。それは丁度、ミトコンドリアを獲得した細胞が、それ以外を席捲したのと似ている。

 

格差の問題が21世紀の中心にある。だからベーシックインカムなどの社会インフラが提唱されてきた。これら有力な方法論も予算の問題から一部の国で実験的にしか行われてこなかった。

 

そこにコロナ肺炎であって、全世界が隔離政策に走った事で、市民に対して無条件で金銭を給付しなければならない状況が生まれた。最低限度まで縮小した経済活動は、あらゆる業界に対してインパクトを与えている。

 

そのためにイギリスは35万/月くらいの支給を検討しているそうである。なりふり構わぬ動きが図らずもベーシックインカムの実施へと向かった。多くの企業が如何に活動を続けようかと模索し work from home など様々な試みの中で、zoom などそれを支えるインフラも注目されてきている。

 

これまでの20世紀的スタイルを全面的に刷新する良い機会ととらえるべきだろう。これだけの大混乱、大縮小に耐える事で、その後の世界は全く違うと見る。その後の世界での競争力は従来と異なる。そういう力をこの厄災は持っている。この災難を乗り切った世界は、いわば、恐竜が消えた世界と同じになるだろう。つまり大量絶滅期に突入したのかも知れない…

 

仕事の仕方が変わる、生活の方法が変わる、インフラの仕組みが変わる。コロナ肺炎が毎年のように常在化すれば、今までのスタイルでは通用しない。だから、現在、多大な被害を受けている国がそのまま衰退するとは限らない。ここで被害が大きいほど、その後の世界では身軽になって立ち回れる可能性がある。

 

肺炎で毎年亡くなる方は10万人程度である。これにコロナ肺炎による死亡者が上乗せされる。1918年のスペイン風邪では20万人。こうして見ると、コロナ肺炎はまだ脅威とは言えない。

 

1000万以上の宝くじ当選者が3000人程度である。その数にさえまだ日本の感染者数は達していない。つまり、現在、コロナ肺炎に感染するのは宝くじに当たるようなものである。350人が1億以上当選者である。

 

だから問題は感染者数ではない。翌日の伸び率にある。その上がり方が3~4日毎に倍々になる。米一粒一か月と同じゲーム(曽呂利新左衛門、Wheat and chessboard problem)になるかどうかが懸念の中心である。

 

この感染者数の増加はそのまま重篤者数、死亡数と比例する。だから問題は医療機関の過負荷である。一度に大量の重病人が発生すればキャパシティーを超えるのは明らかだから、イタリアは若い人を優先する戦術を採用した。

 

恐らくこれはどの国でも同様の状況になれば同様の方法を採用するはずである。楢山節考は決して過去の話ではなかった。だが、先進国で起きている多くの問題は、健康保険と年金であるから、これは解決策になるかも知れない。

 

被害が大きいほど、その後の財政が楽になるという皮肉で残念な結末が待っているかも知れない。コロナ肺炎は貧富の差を区別しない。国境も人種も区別しない。民族も文化も区別しない。これほど平等な死神もいやしないのである。

 

もちろん、通り過ぎればえらく小さな鎌しか持っていなかったなぁという顛末かも知れない。しかし、これだけ世界中を一斉に混乱させたその後が世界を変えないとは思えない。これは世界地図を塗り替える可能性を持つ出来事である。

 

では1918年のスペイン風邪はそういう何かを20世紀にもたらしたのか。第一次世界大戦終戦する原因のひとつにはなった。もしこのパンデミックがなければ、戦争はもっと継続していただろう。それが世界をどう変えたかは知らない。もしそうなっていれば、ドイツ人はもっと敗北を実感しナチスは生まれなかったかも知れない。まあ、その時はその時で別の何かが戦争を始めるだろう。

 

恐竜が滅びつつある時代、ネズミにも満たないわが御先祖様たちは、夜の草むらを走りながら、月を見ていたであろう。その時、自分たちが次の世界を担う綱(class)になるとは思いもしなかったであろう。同様にこの隔離の中、動いている人たちがいる。混乱こそチャンスと暗躍している人もいよう。手を血に染めている人(医者ではない!)だって絶対にいる。

 

その後の世界がどうなるかは知らないが、ここでガラリと何かが変わっても何も不思議はない。幾つかの地域は経済的に衰退する切っ掛けとなるだろう。幾つかの地域は経済的に興隆する切っ掛けとなるだろう。今の所、それらは国家の舵取りに託されている。

 

EUはこれが切っ掛けとなって解体しても不思議はない。逆にもっと強いコミュニティに生まれ変わっても不思議はない。幾つかの企業は国家に見切りをつけ独自路線に走っても不思議もない。実体は別にして、この病気がもたらした恐怖はそれくらいのインパクトを与えている。