マイナンバーカード義務化を=自民幹部

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政治家の「徹底的」にやるは素人の頑張ったと変わらないので意味がない。もし保護に失敗したらこの命をくれてやると言っても、敗戦で逃げだした陸海軍軍人のなんと多かった事か、信用できない。どう好意的に解釈しても、何か利権を狙っている以外は思い浮かばないのである。

 

今回のコロナウィルスパンデミックで明らかになった事のひとつに、日本のIT化の遅れがある。もちろん、財務省であれ、経産省であれ、厚労省であれ、民間であれ、先進的な人は幾らでもいる。そういう人材のひとりひとりを列挙して行けば、世界のトップクラスと比類して何ら引けは取らない。超一流の人材は、この国にも沢山いる。

 

所が、全体で見れば、それらは回らない歯車というか、駆動系とは異なる場所で動いている風車というか、効率的とは言い難い。インフラに対してちっともコミットメントしていないのである。

 

この国の基本インフラは FAX の時代に完成した。その後に Windows の来襲があり、iPhone 襲撃があったが、インフラを見れば殆ど刷新されていない。その頃の日本はバブルの後始末に手一杯で、社会インフラに投入する資金は圧縮された。のみならず、その投入は従来の延長線上でしか行われなかった。

 

FAX をこの国からなくす、そう考えない限り、日本のIT化は敵わない。

 

それくらいFAXのUIは優れている。あまりにも良く出来ている。データの作成は手書きでも印刷でも問わない。紙であれば何でもよい。これはPCとの連携性も高いという事だ。送信するのに知っているべき事は電話番号だけでよい。電話を使える者ならだれでも使えるという意味だ。

 

これほどの高機能をこれほどの下位互換性の高さで実現した。電話を使う所からFAXを使うまでの階段は一段もない。しかも同じ流れの中で理解できる。更には受信側も何の技術も要求されない。ほっておけば勝手に紙が落ちてる。

 

電話とコピー機の複合としてFAXを考えれば何も困る事なく、紙切れランプが光っている事さえ注意しておけばよい。受け取った紙を読むのは人間の仕事だから何も難しくない。慣れれば5才の子供でも目的は達成される。文字であろうが絵であろうがたったひとつの方法で送れる万能性を持っているのである。

 

これをITに置き換えたらどうなるか。テキストも写真も画像も別々のファイルにある別々のファイルである。手書きを送りたければスキャナで取り込まないといけない。そのファイルはどこに作られるのか。送るにはメールアドレスが必要だ。そこに添付する作業も発生する。さてどのフォルダにあったけかな。

 

FAXは電話の線につなげれば使えた。ではパソコンでメールアドレスを手に入れるためにはどうしないといけないか。プロバイダって何?メールアドレスって何、pop?smtp?まあ gmail でも使いましょう。所で google って docomo より信用できる会社なの?googledocomo を幾つ買えると思っているのと言っても説得力はない。

 

パソコンでメールアドレスが使えるまでのハードルの高さは確実にFAXより高い。下手をしたら壁である。それをだれかに説明できる人は猶更に少ない。電話番号はただの数値の羅列だったが、メールアドレスはそうはいかない。長い。大文字小文字漢字を区別しないといけない。送信に失敗した?どうすればいいの?失敗する可能性がFAXと比べても段違いに多い。

 

メールで受け取る側はどうか。メールで届くなら、それを開かないといけない。紙が床に落ちてるのを拾うのと比べるとなんという煩わしさ。しかもコンピュータウィルスに気を付けろと言われる、このよく知らない amazon  からのメールは開いていいの?クレジットカードを入力しなさいって言ってくるけど、何これ、コロナの新型?

 

世界の多くの国は、それでもIT化に向かっている。恐らく置いてきぼりを食らう人だって多いだろうが、そういう人を捨ててでも進めた。さずが護送船団方式を国是とする日本である。抜け駆けで一部の国売り者たち(竹中)だけが先富論を実行した国である。ちっとも進んでいない。このコロナウィルスの感染者の集計さえ全国から厚生省へFAXでやりとりをしているそうである。

 

一般生活だけでなく、インフラにおいても、行政においても、IT化に立ち遅れている。もしかしたらIT化という言葉さえ古いのかも知れない。世界では別の標語が台頭しているかも知れない。世界最高の火縄銃を製造した頃には、世界はコルトアーミーが普通の世界だった。

 

ひとつに日本は FAX というハードウェアには対応できたが、IT というソフトウェアには対応できなかった事が考えられる。この転換に失敗しているように見える。ハードウェア脳だから、ソフトウェア脳が理解できない。その証拠にこの国の技術立国で取り上げられる技術者の殆どは、中小企業も含めて、ハードウェア分野である。

 

もちろん、ゲームやi-modeなど先進的なソフトウェアは存在していた。所が、これらも社会インフラとしての成功としてハードウェア軸として理解されていた。それはソフトウェアを主軸としなくとも理解できた。よって i-mode とは docomo の携帯の代名詞として理解されたし、その凄さを最もよく理解するために必要だったのはカメラの画素数であった。

 

ではハードウェアとソフトウェアの違いは何か。それが社会インフラをがらりと変えるとはどういう作用か。マインドが変われば、体制が変わる、体制が変われば設備が変わる。設備が変われば方法論が変わる。

 

どんな違いがどんな異なる作用を生み出すのか、それがどう全体に派生してゆくのか。それについて日本はかなり遅れている。20世紀ならば大した差ではなかったものが、21世紀には致命的になる。

 

だから、その違いと作用について決定的な説明が出来ればいいのだが、観察した結果と、それが実はこういう機序であると説明できる事は全く異なる。一万年前の人だって重力の存在を知っていたが、それを説明するには長いゝ知識の蓄積とたゆまぬ人々による刷新、そしてニュートンの登場を待たなければならなかったのである。