加藤浩次の「PCR検査論」が医師に絶賛されたワケ

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日本のPCR検査数が多いか少ないかの議論には色々な解釈がある。

 

ひとつのは検査を抑制する事で医療崩壊を防ぐというもの。まずPCR検査する資源に限界がある。この場合の限界とは、一度に出来る量と、それを継続し続ける限界点のふたつがある。瞬間風速を最大にすることはそう難しくはないが、それを継続する事は恐らく物理的に不可能である。

 

次に、PCR後の資源の問題がある。PCRをぶんぶん回しても(回すというより温度を上げ下げだが)その後をどうするのか、という話がある。PCRで感染陽性者を発見する目的は、隔離するためである。世界でどんどん検査している国は感染者を見つけ出すのは隔離するためで、特に無症状、発症前にも感染するという知見から、この考えは正しいように思える。

 

所が、実際の感染者数がどれ位いるのかと、福山哲郎が詰め寄って医療関係者から顰蹙を買っていたが、どっちみちそれは概要するしかなく、死亡者数、重篤者数に係数を掛けて求めるくらいしか方法がなく、所が、どんな係数にした所で、日本の感染者数は圧倒的に少ない。各国が実施している隔離政策に比べて日本の対策は舐めているのかと怒られそうなくらいに緩い。なのにこの結果である。圧倒的におかしい。

 

危険地域と思われていたのは、最初に中国の人が多く観光している場所であった。その中には日本も含まれる。所が、2月は船が注目されるくらいで、感染者数は全く増加しなかった。一方、欧州、米国は、増加が止まらない状況にある。結局の所、中国由来の第一波よりも、ヨーロッパ型の第二波が致命的な状況を生んだように見える。本当にヨーロッパ型が重篤化するウィルスであるかどうかの確定情報はない。

 

無限にPCR検査ができるとしても、医療崩壊しては意味がないから、陽性だからといって即入院にはしない。入院できるのは重篤者だけである。すると肝心なのは、重篤者数>医療限度である。イタリアは老人を拒否する事で乗り切った。恐らく、世界のどこでもこれ以外の方針はない。

 

そして重篤者は検査しなくても把握できる。どうせ苦しくなるからだ。だから、重篤になってから検査するのに問題はない。これは通常の医療プロシージャである。だれだって病気かなと思ったら医療機関に足を運ぶ。病院に行ってから検査するのは治療方針を決めるためだ。肺炎はコロナウイルスだけが原因ではない。

 

では重篤とそうでないのをどう切り分けるか、という話になる。今は肺炎の有無がこれに使える。だが、それは病院に行ってからの話で、病院に行くか行かないかをどう決めるか。当初は37.5度、4日間が目安であった。それで運用したら急に悪化して死亡する人が出てきたから、専門家会議も焦った訳である。人の生き死にで右往左往する人はこういう場合はトップに立たない方がいい。

 

これが何か相談や受診の一つの基準のように(受け取られていた)。われわれから見れば誤解だが 

 

基準か目安か、これまたどうでもいい話しで争うのは、真面目な日本人からすれば基準と考えて当然であるからだ。アバウトにされちゃ困るというのは民族性であろう。そのおかげで電車が毎日正しい時刻表で動いているのだから、この性癖は立派な長所であろう。当然、長所は乃ち欠点でもある。

 

それを見抜けないなら専門家会議は感染症のプロかも知れないが人間に関しては素人という事になる。だから批判が起きたのだが、お前らの言う通りにしていて本当に大丈夫かと疑心暗鬼になるのは当然であろう。それに科学的な正答はないのだから、完全はない事を説明し、それでも分からない人がいるなら黙って非難に耐えるしかないのである。

 

いずれにしろ重篤者が増加すれば病院の入口を絞るのは当然であって、それをどうするのかを世界中の病院が悩んだ訳である。廊下にさえベットを用意した所で医者の数が同じなら、医者の方が先に倒れる。そういう状況をNYは必至に人海戦術で乗り越えようとしている。

 

PCR検査を増やそうが、減らそうが、その議論が可能なのは重篤者が少ないからだ。重篤者が多い地域では、どうでもいい話であろう。これ以上増やさないためには、隠れキリシタンよろしく、PCR検査を踏み絵として活用するしかない。これは、医療機関からすれば、後方支援であって、感染爆発を防ぐためには、無症状感染者を見つけては隔離してゆくしかない。そのための方法がPCRしかない対策である。

 

日本では重篤者数、死亡者数、どちらを基準にした所で、感染者数は他の地域と比べて少ない。だから医療機関からすれば、いまPCRをする必要はない。重篤者を検査してコロナかどうかを判別すれば十分なのである(普通の医療的な対処プロシージャ)。

 

よって、それ以外の理由がなければPCR検査を増やす理由がない。そして、その理由とは感染状況を正しく把握し、実際がどうなっているかを把握する事だ。つまり、実際の感染者数はどれくらいであって、集団免疫をあとどれくらいで獲得できるのか。これは、医療機関の課題ではなく、研究機関の課題である。実際の所、どれくらいの集団免疫が獲得されたかを理解し、だから、解除していいのか、または第三波、第四波に備えなければならないかを推定する。

 

それは半年後、一年後を予測するデータである。今ではない。今と未来、この両輪でやっていく必要がある。もちろんPCR検査が少ないから死亡者が少ないなど猿の戯言であろう。そうなる機序がない。あるとしてもそれは医療崩壊を防いだ副産物に過ぎない。

 

目安を変えたらPCR検査の申し込みが殺到して保健所がパンクしそうになった。どうせダメだからと抑制されていたものが一気に噴き出した感じである。殺到する人の気持ちも分かるが、基準を緩めた人の気持ちも分かる。どちらも負担がかかる該当部署の判断ではない。

 

いっそPCR検査の結果は非公開とすれば抑制できるかも知れない。医療機関からの重篤者のケース以外は結果を返さない。それでも、他の誰がどうなっても構わないが俺だけは助けろという橋下徹みたいな男が圧力をかけてくる可能性がある。完全な対応はAIでも導入し人間の自由にできないシステムが導入されるまで無理か。

 

そう考えると、全てにきちんと理由がある。上手く行った事も行かない事にもぞれぞれにそれなりの理由がある。

 

治療方針を決定するための検査というのはHOUSEなどのドラマで良く知られているもので、順当な医療行為だ。これは医療従事者たちの仕事の範疇にある。

 

それとは別に、今後どうするのか、集団免疫の状況はどうなっているのかを調査するための方法も現在はPCRしかない。PCRでは今現在感染している人しかトレースできないが、それを時間毎に蓄積して行けば、全体像も見えてくるだろう。簡易な抗体検査が登場すれば更に改善されるだろうが、これは医療行為のためではなく、将来への準備のための検査である。同じ医療の範疇と言っても、どちらかと言えば施策立案の範疇にある。

 

PCR検査する事で重篤者数、死亡者が減るのは有効な治療法がある場合に限られる。早期発見、早期治療が有望な場合はすべきだ。ガンなどはこの戦略で動いている。軽中症状の人向けの治療が確立されたなら、また予防的投薬という対策が取られる。するとまた検査する目的が変わるのだが、まだその時期ではない。また、ワクチンも予防的戦術だが、全員に実施するから検査は関係ない。

 

結局、日本で起きている事は、思ったよりも少ない被害だから通用している話ではないか。この異常な被害の少なさは、日本と武漢以外の中国しかない。その程度で済むはずがない、というのが正直な感想だ。韓国は抑え込みに成功したが、一歩でも動けば、再開しそうである。

 

世界的にみて日本の被害はおかしい。この程度の対策でこの被害は考えられない。僅かでも緩んだ国はまた感染者が増加しているのに。それを賞賛する人はだいぶ頭がおかしい。なぜそうなったかを誰も説明できない。でも必ず何か理由がある、それを研究者は突き止めようとしている。

 

ただ突き止めればいいだけなのに、なぜみんな争ってしか解決できないのだろう。