香港デモ、警察が感染防止理由に警告 催涙弾で強制排除

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香港の地に生まれ、香港で教育を受けたにも関わらず、1997年にイギリスから返還され、わずか20数年で若い警察官が民主主義を求める人々に銃を向ける時代が来る。どうやら黒社会にいる人々も民主主義など欲しないらしい。自由など売り飛ばしても構わない、自由は金で買うものだ、そういう思想でもあるのだろうか。

 

香港にいる自由を求める人々は台湾やアメリカへの移民を考えるはずだ。その結果、台湾と中国の対立が先鋭化する危惧もある。だが、あからさま過ぎると香港などの金融市場から世界が手を引く可能性もある。それに対する対策に何があるのか。中国の長所はその経済であるが、同時に経済が中国の弱点でもある。では中国には経済以外の理念はないのか。

 

イギリス統治下においても、中国復帰を強く求める人々はいたはずだし、そのためになら民主主義は必要ないと考える人もいたであろう。

 

中国にも民主主義はもちろんある。例えば共産党の中は強烈な民主主義の原理が働く。誰かの子供が政権を継ぐ事例も起きてはいない。アメリカや日本、北朝鮮では、起きている現象であるにも関わらずである。

 

これを中国国内での正統な競争原理の証拠と見る事もできるし、如何に共産党体制が能力を重視した強力な選出を実現しているかの証拠とも見做せる。統治者をどう選ぶか、その過程で、どのような淘汰圧が起きるか、そこに国家の競争原理が色濃く反映される。

 

この競争原理は、それぞれの国の統治機構に相応しい人材を選ぶ国毎の特殊性であるから、もちろんそこに正解はない。独裁者が生まれる地域にもそれなりの歴史と事情がある。それが人間の強欲の発露に過ぎないとしても、それを抑え込む仕組みが欠落した理由は様々だ。

 

世界を制覇したと言える最初の国家はスペインであろう。このアメリカ大陸を蹂躙した大航海時代の覇者は、しかしその経済的基盤は略奪であった。だれよりも早く世界の果てに辿り着こうとする冒険的な航海術というアドバンテージから享受したものは、しかし、その次に続くものたちに敗北する。

 

その後の技術革新に成功したイギリスが世界の覇権を得る。それは新しい海軍の出現である。海軍という存在がスペインの冒険型の海洋技術を駆逐した。海洋はこのとき冒険する場所ではなくなった。制覇する場所になったのである。

 

イギリスの帝国主義は、世界中の農作物を安価に手に入れるための方法論に過ぎない。世界中の香辛料を消費する市場がイギリスに生まれ、それを支える農場を世界各地に確保した。彼らの覇権は、貿易という形で実現する。イギリスは貿易なしでは成り立たない国家であった。

 

世界の覇権を取るとは、つまり、世界の消費の殆どをその地域で行うという事であり、物を入手する事である。消費とは乃ち弱点になる。その消費を支えるものが、決して永久的に存続するものではないからである。

 

イギリスの覇権は、世界中に混乱の種をまき、ナチスの終滅と共に終わる。それは世界の中心がヨーロッパではなくなったという意味でもある。と、共に農業中心の帝国主義が敗北し、重工業中心である資本主義経済が勝利した事を示す星の輝きのようなものであった。

 

重工業は車に集約した。アメリカが世界経済の中心である。アメリカはしかしその国家的成り立ちとして民主主義と自由を理念とする国家であった。それが故に他国の石油を奪う時にでさえ、民主主義と自由を輸出する見返りとする正当な利益という考え方から逃れられなかった。もちろん、奪われた側の国は今でも薩賊会奸のようにアメリカを嫌っている。

 

中国の覇権は、何が支えているのだろうか。今、世界は経済だけで中国を支持しているように見える。だから、金の切れ目が縁の切れ目になるのは明らかだ。また、統治機構に弱点を持つため、どうしても共産党体制が優先される。その内政の延長に外交がある。そのため、どこかで各国の反発を得るのは明らかである。

 

どのような覇権も、世界へ進出する必然があり起きるものだ。そして、それを手中に収めるには様々な条件のタイミングが一致する必要があるとは言え、根本で共通しているのは、その覇権を取った必然はそのままその国家、集団の弱点でもあるという事である。長所は乃ち弱点である。

 

スペインはその冒険心により世界の覇権に先んじたが、その冒険心故に、その後の安定期を維持できなかった。イギリスは第一次産業の貿易を生命線としたが故に、重化学工業への経済シフトに出遅れた。あの産業革命の発症の地であるイギリスでさえ、アメリカの工業化、大量消費社会に追随できなかった。そして情報産業革命がどのような社会的変化をもたらすか。

 

中国の人々もまた略奪をするために世界に出ている。そのバックボーンに国家がある。この構図はスペインの時代から全く変わっていない。そこで生じる憎しみの激しさの違いは、そうでない部分の問題に尽きる。それが何であるか、ちょっと分からない。

 

中国は長い歴史の中で、統治思想を鍛えに鍛えた国家である。その連綿と続く伝統は、100年程度の共産主義という思想では消え失せまい。策略と裏切りと打算といたわりの舞う幾つもの歴史から、この伝統こそ中国の強みであると考える。そして、このアジア独特の統治思想がヨーロッパのものと合致しないとしても、どちらが優れているかという競争ではない。融合が起きるべき時である。

 

共産党という思想の多くは中国の覇権を邪魔するはずだ。敵対するものから国を守るためではなく、共産党体制を守らなければならないという基本原理が、中国の取るべき手を狭める。しかし、民主主義となった中国は、もっと世界の脅威となるはずだ。なぜなら、その民主主義は簡単に独裁者を生み出すだろうから。彼/彼女らは民主主義を経験した事がない。その時、最大の行動原理となるのは伝統に基づくはずだ。

 

このジレンマが中国の覇権に対して、幾つもの大国を懸念させる事項となっている。そしてこの対立がどのような結果を見出すかは、三つしかない。中国が覇権を掴むか、アメリカが覇権を維持するか、それ以外の地域が覇権を掴むかである。

 

そのコアは情報であり、情報の市場となるべき地域が覇権を取るはずだし、今起きている事は、世界経済の中心が重工業から情報に変わるという経済的再編成であろう。

 

今回のコロナパンデミックは恐らく情報化を促進させる。それが世界レベルで起きる。という事は、未来の中心となる技術や社会体制の創出が世界のどこでも実現されており、未来の中心となるものがどこで発生してもおかしくないと言う事だ。アフリカのどこかの村がそうであっても不思議はない。

 

市場を形成するが世界の覇権を取るという意味であり、どの時代でも、その中心となる技術や物がある。それを支えるインフラや物流の流れが生まれる。その市場がどうやって形成されるのか、どうやって形成された市場が衰退してゆくのか、そこにはメカニズムがある。