「専門家の意見踏まえ対応」 GoTo批判に西村担当相

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「感染状況の分析を頂く」ので私ので責任ではない。
国土交通省に伝え」たので私の責任ではない。
「専門家の意見を踏まえて」ているので私の責任ではない。
「適切に対応されると理解している」ので私の責任ではない。

 

責任を取らない事が政治家の処世術になって久しい。もちろん、政治家はあらゆる事柄についての素人である。決して専門家であってはならない。

 

なぜなら政治家はあまねく広く考えなければならないからである。専門性で偏るのを恐れる立場にある。専門分野の人でさえ真っ向から意見が対立するのに、そこに政治家が専門性を掲げて対立に参加するなど有り得ない。

 

政治家とは争っている両者の意見を聞き、総合的に判断するのが仕事だ。適切に処す、それが仕事である。それをやるのに、必要なのは2つ。常識と責任だけである。この場合の責任とは、自分の常識に鑑みて私が決断したと宣言するだけの事である。

 

責任を負わされるのに必要な心構えは開き直りである。その強さだけがあれば良い。所が、人間は私事には開き直れても、組織の一員となるとそうはいかなくなる。多くの人の事を考えると、正しい選択は難しくなる。

 

ではどういう選択をするかと言えば、時間稼ぎである。今はダメでも明日には突破口が開くかも知れない。チャンスを待つのだ、諦めなければ勝負は終わっていない、そんな気分でも許されるのは先を見通せない無能の戯言だ。

 

可能性がゼロでない事は決して勝利の条件ではない。閾値がある事を知っておくのが基礎学力を身に着けるという事である。近似値について知ると言い換えてもよい。

 

現在の政権が、他の諸問題と同様に、コロナ対策でも時間稼ぎに走っている事は明らかである。もちろん、世界中の基本方針も同様であって、今でも抑え込むとか言っている政治家は、沖縄戦の直前にもこの戦争には勝てるとか言っているようなものである。馬鹿でなければ無能か、そうでなければ狂っている。

 

ワクチンはどうなのか、RNA型ウィルスはAIDSも同様だが姿を次々と変える。だからワクチンは難しいのではないか。ワクチンが効く効かないという話ではなく、次々と姿を変えるから合う合わないが激しいという話である。それでも世界にはAIDSに決して感染しない免疫を持つ人もいるように、我々人類はいまだ免疫の事を良く知らない。

 

早い話が、手あたり次第にらしきものを投入しては結果がどうなるかを試しているようなものである。

 

西村康稔という人は馬鹿ではない。しかし、しがらみも多そうだ。コロナ対策はロックダウンが医学的には最も望ましいのが分かっている。これは医学の勝利ではなく、ほぼ医学会の敗北と言ってよい。

 

既に半年が経過するのに、未だに感染を防止する有効な手段を提言できない。今も究極的にはロックダウンしか見つけていないのである。この半年間、何をしていたのかと言いたくなる本心も分かるのである。

 

その一方で経済的には、特に観光業が限界を迎えつつある。観光業は、一度倒れたらそう簡単に復活できない。交通というインフラ、店舗、食品、土産モノなどの製造業、特に日本が脱重工業を目指し主要産業を他へシフトしようとしていた矢先の事件である。

 

もし日本がまだ重化学工業を主産業とするなら、農業が主産業なら、違った対策が取られた事だろう。だからと言って、人の移動が医学的要請から最も危険視されている事は明らかで、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移動したから、アステカ文明天然痘によって滅びた。スペインがパンデミックに見舞われているというニュースを聞いても、今頃になって復讐されているのかな、という気がしないでもない。

 

一回、大流行した地域は、真っ先に免疫的に弱い個体が死滅し、それに耐えた個体、暴露されたが感染しなかった個体など、耐性を持っている可能性が高い。地方に広がるとは、まだ感染していない地域に侵入するという事だから、同じ地域で大流行するのとは状況が違う。つまり、死亡者の増加が予想される。

 

その一方で医学的に目指すのは緩やかな感染拡大であって、急激でない限りは耐えられる。では3000床を用意した東京都が、週あたりどの程度の感染者数に耐えられるか、そういう発表はない。見積もりも聞かない。誰も(医学者を含む)最初から真面目に見積もっていないのである。

 

出来る限りの用意をしてから嵐に突っ込む、そういうプランしかなさそうである。その上で、全員で感染拡大を加速しようという政策である。それを政治家は止めない。止めたら、代替え策が必要だ。市民に財布を開かせる気はあるが、国庫を開く気はない。トレードオフとして感染爆発を許容するという結論である。

 

これは官僚が机上で計算したような話で、まさに戦争に突入した軍事官僚とそっくりだ。つまり真面目に戦争する気などない。もともと官僚は数字とにらめっこしてこうすればこうなるを積み重ねる。その結果、こうすれば動くはずという計算に基づいて計画を立案する。

 

しかしこれらはいずれも平和裏には有効だが、戦時は計算が成り立たない。それは外乱が多すぎるからで、予定の範囲を簡単に超えるからだ。だから、戦争というのは天才の総力戦なのである。

 

しかし、今の日本官僚に、これが総力戦であるという自覚はあるまい。彼/彼女らは今も自分の職務に邁進するのが仕事である。それをまとめ上げて、全体設計するのは官僚の仕事ではない。そのように日本は国家を作り替えている。

 

ダイアモンドプリンセス号でも顕著であったように、汚染地域と非汚染地域に区分けする。そして地域レベルでのゾーニングを導入し、居住地域によって人の移動を許可禁止する。もし江戸時代ならこれでいけたはずだ。

 

しかし、恐らく地域でゾーニングする事は現憲法下では許されない。しかも地域によって差別するという下らない伝統を未だに死守している民族である。官僚たちのベストオプションは、この民族では使えない。それはコロナによって人が死ぬ以上の禍根を残す事が明らかだからだ。命より大切な未来はある。当然である。

 

すると最終的には、これこれという指針を示して、守るか守らないかはあなた次第、特に若い人は自分たちへの影響は少ないのだから、勝手に飛びまわれ、とういうのが妥当な結論になる。

 

多くの観光業は若い人だけが支えている訳ではない。すると若い人が来る事は、食堂のおばあちゃんのリスクである。この旅行解禁は、ある意味、訪れる人が攻撃側、おもてなしをする人が守備側のゲームである。攻撃者は是非とも訪れたい。それがその地域を助ける術だ。守備者はぜひとも攻撃されたい、その上で、地域を守りきる。

 

これはオフェンスとディフェンスのコラボレーションと考えるべき事案だ。

 

結局、医学会は、密を避けろ以外、なにひとつ提言をしていない。屋内を避けろは分かったが、では屋内でどうすれば感染率を下げられるのか、そういう肝心要な事が何一つ提言されていない。多くの人は屋外でもマスクをしているのだ。何のために?

 

これといった啓蒙もなく、新しい知見も発見できず、古臭いスタイルしか提供できていない。これではダメだ。赤とんぼでUSSエンタープライズを沈める気か。

 

病院の現場の人が、医療崩壊を回避しつつ、医療提供に踏ん張ったら、なんと夏のボーナスが出ないという笑い話である。これについて政府は何も手を打たない。経済学者は何も進言しない。医学会は経営の素人である。

 

研究職の人たちも、ワクチンや薬の研究に邁進しているが、結果はまだ出ていない。この短期間は当然予想外の話だ。アメリカ海軍でさえ真珠湾から立ち直るのに半年を必要とした。つまり8月以降が反撃開始である。

 

さて、それまでどうするか。

 

だからデパートも食堂も、ライブハウスも自分たちの自己流でやっている。素人が、

  • 検温による感染者の発見
  • マスクによる飛沫防止
  • フェイスガードによる飛沫付着の防止
  • アクリルシートによる飛沫付着の防止
  • セーフディスタンスによる飛沫付着の防止
  • 発声による飛沫防止
  • 飲食禁止による取り込み抑制
  • アルコール飲料禁止による取り込み抑制
  • 空調によるウィルス濃度制御
  • 除湿によるウィルス濃度制御
  • 空気排出によるウィルス濃度制御
  • 滞在時間短縮による可能性制御
  • 手洗いうがいによる感染予防

の組み合わせで乗り切ろうとしている。

 

指示を伝えるまで、各艦は各個撃破に専念せよ、である