水の都ベネチアで「モーゼ計画」 浸水防ぐ巨大水門稼働

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こういう古い町並みに、最新技術が投入された実は先端都市というのは、その時代格差が遠い程、興奮度合いが強いもので、映像作品では見せ所のひとつだ。エヴァンゲリオン第3新東京市のギミックは、ちょっとしたカッコよさがあった。

 

多くのギミックが無駄で意味のないもので、その殆ど多くが景観のためにある。狼の皮を被った羊みたいなもので、印象のギャップこそが正義の世界観である。

 

ベネチアの場合は、通常は海流を通して高潮の時だけ防御するという訳で普段は海底に沈めておく。あと数年もすれば牡蠣殻とか海藻まみれになって、新しい観光名所になるだろう。

 

そういう意味ではギミックの必要性はその世界観を表す。そしてギミックというものを技術的に真剣に考えたら、意味なし価値なし予算なしになる事請け合いである。

 

秘密基地のギミックを日本に輸入した映像の最初期は、サンダーバードであろうか。子供相手にはこういうギミックが必要なのは、もちろん、子供の世界観と深く関係している。

 

あれが普通の広大な敷地にあって、通常のエアポートで整備員が駆け回っていたら大人はその合理性に唸っても、子供はどっちらけである。エアポートなど現実の空港である。何も変わり映えしない。面白くないとなる。現実で見た事のないものを観たいという心理は、恐らく、現実を深く知らないから、比較項目をあまり持っていないという意味でもある。

 

見た目が9割と語っていた人だって表層でしか判断しないと自白しているようなもので、面白い慧眼という訳ではない。深みというのは、例えばトゲアリトゲナシトゲハムシみたいな所に宿るのである。多くの学者はほんの違いに死活を賭けているような所がある。採集され解剖され標本にされたムシの哀れさ。

 

ギミックというのは、アニメなら基地とか艦船とかロボット相手に多数考案されている。人型ロボットなどギミックの集合体であるが、その多くの基本設計は外骨格系である。その為、実際にアニメに描かれたようには動かない。それはプラモデルが証明している。それを無理やり動かすのだから、安彦良和の描画力、恐るべしである。

 

多くの外骨格系ロボットでは肩関節がまとも動かない。外骨格のまま人型を形成するにはどのようにすれば良いかの研究はないと思うが、アニメーターたちは、その合理性の前に、これは装甲ではない。ゴムであるというコンセプトで描くわけである。

 

内骨格系のロボットに装甲という形式で押し通そうとしたのは、これまたエバンゲリオンだろうか。だから装甲が鎧というより骨格毎の組み合わせ、鱗のように形成されている。西洋の甲冑の通り、内骨格でも装甲を施せば自由度は下がる。だからチェインメイルが重宝された訳である。

 

では外骨格で人間と同様の腕関節は実現可能だろうか、可能としたらどのような外骨格で形成すればいいか。参考すべきはカブトムシなどの節足動物だ。各関節の可動範囲は内骨格より少ないので、腕を伸ばすとか、数を増やす方向で自由度を高めると思うのだが、どうだろう。

 

少なくとも胴体に関節を付けただけでは足りない。その前段階に動く部分が必要で、すると腕関節には、前肩、肩、肘、手首と4つ以上必要なはずで、そう考えると、初期の蛇腹の腕は合理的に見える。

 

胴体の内側にも関節を設置するという事は胸部の可動部は平たい装甲で覆う訳にはいかない。可動な形式にしておく必要がある。すると、そもそもその上に頭部を置く必要はあるのか、という話になるが、そこを譲るとロマンも形無しである。

 

現実の実用型の人型ロボット(原発関連で開発中のはず)が誕生するまでは、古いシステムの半歩先でいくしか許されない。

 

例えば古いSF映画にも無線機は登場するが、基本的には時計の延長戦にある。携帯電話という未知のデバイスを作家たちは想像しても、それを登場させるには読者の理解を置いてきぼりにしてしまう。SFでも固定電話(その延長の通信テレビ)が登場するのが妥当で、携帯電話が日常の世界観を描くには、当時の読者を置いてきぼりにする可能性が高い。

 

一気にステップアップする事は現実的には難しいだろうし、そういう違和感を抱えたまま小説を楽しむのは難しいだろう。現実の延長戦上の無理のない範囲でしかサービスは提供できない。ソビエト連邦がずうっとあるとは思っていなくても、同時の小説家の近未来SFが登場させるロシアはソビエト連邦としか書けない。後世に読む読者はそこになんともない時代性も含めて近未来の話を楽しむ。

 

所詮は絵空事ではないか、されど来るべき未来とリンクした絵空事なわけである。