「キン肉マン」ロビンマスクを"本物の鋼"で再現しました

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漫画やアニメを種とする工業品には幾つかのアプローチがある。これはプラモデルの作品群を見ても感じられる事だ。

 

ひとつは、原作に充実に作り上げるもの。なるべく原作の通りに三次元化する。Tu-4が誤って明けられた穴まで正確にコピーしていたのと同様。原作上の間違いや矛盾までを再現する方がファンの心をくすぐるというものである。

 

ふたつめは、If 世界とのミクスチャであり、もしガンダムが長年使われたらどうなっているだろうか、という作者の想像が付け加わる。サビだって出るだろう、ホコリだってたまるだろう、水垢だって目立つだろう、こういう想定で汚しを入れる。経年劣化がある方がリアリティという方向性である。

 

例えばタイガーマスクのマスクに血のにじみがあったり、ほつれがある方が本物ぽく感じるだろう。あまりにピカピカだと、これロビンマスク本人が被ってないよね、という話になる。使用済みのリアリティと呼べば分かりやすいだろうか。ま、現実にロビンマスクが被ることはないはずだけど。

 

この手の汚しに初めて触れたのは大河原邦男ガンダムの絵だった記憶がある。ソノラマ文庫の表紙だったろうか。汚れが描かれていてステージが変わった気がした。高荷義之の生活の中に配置されたザブングルにも衝撃を受けた。

 

この延長線上には、汚れだけではなく、作中では決して描かれなかったビスやネジ穴、整備用のパネル、のぞき穴などが追加される世界がある。これらは自衛隊機などリアルからの剽窃であろうが、個人的にはこういう作品を好む。

 

ロビンマスクだってそういう流れで現実の甲冑に似せて可動部を加えたり、構造を強化するための筋を入れたりする事は可能である。頭の上にボンボンを乗せてもおかしくはない。

 

このような方向性をリアル路線と呼ぶのだろうが、姿をどこまで変えるかという点に造形師の信念が出る。これまで最高に変えたなと思ったのは、ハカイダーであろうか。どうも石ノ森章太郎作品でそういう傾向が高い。

 

原作に忠実な無駄を削ぎ落とした極致も美しいが、これはまたこれで溢れるようなイマジネーションに眼の前がくらくらする。

 

こういう流れは面白い。一つの種から沢山の違う花が咲くようで、生物学的にはありえないのだが、そこが生物のジェネシスと文化のミームの違いだろうか。本当のリアリティは必要ない。そもそもファンタジーにリアルもへったくれもないはずだが、約束事はある。

 

古い題材を作り変える場合は、どうしてもリアルの調整作業が必要で、いくら作品が凝っていても、鉄人28号が当時と同じデザインでは見る気も失せる。どうしてもそうしたければ、それ相応の説得力を加える必要がある。プロの腕の見せ所というわけだ。

 

本当に動きそうじゃないかという説得力があれば、作品の色合いも変わる。もちろん、それは現代の我々のリアルであって20年後の人から見ればプププと笑われるのは承知ノ助だ。

 

みっつめは、原作を連想するオブジェである。今回のマスクもそれであって、目をつけて販売するのは飾る事を前提としているからだろう。これは首から上のレリーフと呼ぶべきものと思う。単なるマスクではない。

 

買った人が色々と想像しながら眺め原作を読み直し触れてみる。そこに求められるものはリアリティよりもグッズとしての魅力になる。持っている事が色々なつながりを生む。私はこういうのが好きなんです、と買った人が言えるような作品、買った人の証明書となるような存在である。