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書き溜めの集積場

田村淳、こじはる、みちょぱ、大島優子、ノブ、渡辺直美… 有吉弘行の結婚に祝福の声続々

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現在のテレビで一大勢力を築いているが将来は分からない。そういう思いを持っているのは明らかで、芸能人の結婚はどうこういってもプライベートの切り売りだから、この手の人生イベントは必ず、その後に何らかの色味を付ける。

 

だから、この結婚はそろそろ店じまいに向かう事の表れではないか、という感じもする。まさか病気であるとか?いずれにしろ、自分の置き方は変わるはずで、というかこれほどクレバーな人だから、既に変えつつあったと見る方が妥当と思われる。その変化が自分なりの完了を見た、だからこうなったという気がする。

 

結婚とは無縁な感じがしていた。そういう雰囲気があったから少し驚いた。いや、それ以上に驚いたのはそのイメージが数年以上前のまま停止していた事だ。本当は変わりつつあったのに。実際に、面白さの方向が変わっていた、面白さが変わって平凡になりつつあるものもあり、しかしテレビではその力量が遺憾なく発揮されている感が強まって、だのに、それらの事象は無視していた。またはテレビを見ていも意識していなかった。

 

彼の芸事の凄さは、お笑いにはない。「笑芸」だけならそう面白くはない。漫才であってもコントであって、通常のフォーマットでは並み以下の力量だと思う。所が、切り口の斬新さ、鋭さを笑いに変える力がある。またはそれが笑いに結びつく種のような所がある。場に独特の空気にする期待感のようなものを持ち込む。

 

その力量を突き詰められばぎりぎりを攻め込むという点に尽きる。テレビには制約がある。それをよく知っているから如何に限界まで押してみるか、これを可能とするのは、周囲の人とのコンビネーションが成立しているからだ。つまり、笑いが如何に周囲との信頼に基づいて起きるかを体現している。その関係性をテレビやラジオで見せている。

 

だから、本当に周囲の人を良く見ている。その上で、自分が暴れる場合には、誰がブレーキ役になってくれるかを常に把握している。一方で自分がその役割を担うからと他の人を暴走させる事も上手い。状況に応じてよく自分のアクセルを制御しこの自在さが面白い。

 

ウエストランドの井口は悪口が際立っていて、それに突っ込みを入れる河本という構造の漫才だが、それは井口という癖の強さを河本が中和しているから面白さになる。井口ひとりが喚いているだけならただの騒音だ。

 

複数人の芸人は、どちらかが中和剤となって、それで突出と中和を繰り返す。だから人々は安心して笑う事ができる。このバランスの良さが笑いを支える。しかし、暫く見ているとクズは河本の方であって、井口が常識人であると分かってくる。漫才の構図とは全くの正反対になっている。

 

所がこの井口が許容している以上、恐らく河本も信用してよい、ここでも中和という作用が働く。この舞台と裏での立場の交換が更に面白さになる。

 

2020M1で面白かった錦鯉も、ひとりならだたの頭のおかしなおじさんである。所が横にいるおじさんが頭がおかしいを中和して面白いおじさんに変える。だから観客は安心して笑っていられる。笑うためには、心にそういうものが必要で、笑えるなら、安心がある。

 

すると笑いを生むとはこの中和をいつ入れるかという話になる。ウーマンラッシュアワーでは横に中川パラダイスがいるから芸が成立する。もし居なければどうなるか。それは笑い風の論壇になる。爆笑問題も、ナイツも突出しては引き戻しを繰り返すから笑いが成立する。納言の面白さも同様だろう。

 

華丸大吉の漫才は突っ込みではなく華丸をなだめるを理想とするそうだ。彼らの漫才のリズムや間の面白さには、それぞれの素の人柄と感じられる瞬間がある。この人柄が観客にとっては最も重要で、そこでそっぽを向かれたら笑いは起きない。

 

華丸の奔放さに大吉が翻弄される構図が面白い。華丸の自由自在に見える言動が実は常識的で、それは大衆が持っている常識の強靭さそのもので、ふたりでその賛歌を、それは主に博多の、を唄っているかのようにも感じる。

 

笑わせた方が勝ちとは、その人に安心を与えたと同義である。笑いは人柄そのものであるという、芸とはかくも厳しい職業である。人間性の総力戦ともいえる。もともと、芸などというものは華やかな世界であるが故に、社会から外れた人が付く仕事であった。それこでは一般の常識も通用しない独特の考えがあった。だから如何に隠しておくか、それが重要になる。

 

それがテレビが中心になり、人々の生活の中に深く根付くようになって、人々の信頼を裏切れば明日の仕事を失うという怖い世界になった。そう簡単に隠す事ができなくなった。だからそこには人としての信念がなければ折れてしまう。そしてその人の信念と周囲との妥協のせめぎ合いを観客に見せるという点で、人前に立つだけでそれを成立させる凄い芸である。

 

考え抜いて起こした行動が必ずしも成功に結び付くとは限らない。良い人では笑えない。悪い人でも笑えない。プライベートも含めて笑いに直結する、第一声に注目が集まる。果たしてこれまでと同じ芸に見えるのだろうか、それとも違って見えるのだろうか。ゴールデン向けが中心になるのだろうか。

 

確かに、これは単なる赤の他人のプライベート。芸とは何も関係ない話だ。だのになぜ斯くも不思議な喪失感を味わっているのか。とても重要だ。ここには何かある。