45歳定年制導入を=コロナ後の変革で―サントリー新浪氏

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サントリーの製品はもう買えない。二度と買えない。製品の品質が確保できないのが自明だからもう怖すぎて買えない。

 

45で定年というのは実質解雇と同様である。退職金に3億でも払うなら別だが、そんな事はしないだろう。雇用条件を現在と大きく変える気はないはずである。つまり新卒で優秀な人材を初年度から二千万程度を払って雇用する気などないはずだ。つまり僅かな金で雇用し続ける気だ。

 

よってサントリーで労働するとは20年後に来る次を雇用を探すのが業務上の第一の目標になる。その片手間で社員はサントリーという企業の業務をこなす。それ以外の労働形態は存在しえない。

 

当然だが45歳で定年となるのは全ての人ではない。取締役などは70、80才の老人になるまで居続けるはずだ。新浪剛史でさえ62才だ。この制度を始めても辞める気はないだろう。

 

45で定年なら40歳にもなれば次の雇用を探す事に注力する。そこで次に有利な就職先を見つけるなり起業するための準備が重要だし、お金も必要になる。その時のためにどのような強みをもっておくかが必要になる。当然だが、新しい製品案があってもサントリーでの開発に生かすはずがない。

 

次のステージへの戦略だから、特許を企業に渡すはずがない。必ず自分たちで取る。もしサントリーが45歳の定年時には退職金を3億は払うというならリタイアを夢見る人は志願するかも知れないが、その人物にとってもインセンティブは何であろうのか。最低の労働で最高の報酬を。それ以外の勤労があるはずがない。

 

日本企業の強みは忠誠心であろう。それを支えるのは終身雇用であって、終身の保証の代わりに安月給でも家族を養い子供を大学まで行かせられる程度で十分である。単身赴任も受け入れる。忠誠心と献身が日本企業の強みだったはずである。

 

これは小室直樹が書いていた戦前の共同体の崩壊を戦後は企業が受け皿として出発したという点でも合致する。人材に対するコストを十分に抑えながらも働く意欲が期待できたのである。

 

その方法論が通用しなくなったのには幾つかの理由があるが、80年末のバブル崩壊を切っ掛けに政府は新しい雇用を模索し始めた。馬鹿な経済学者に乗せられて古い方法が失敗の原因である、この社会は改革しなければならないという号令によって日本の強みは解体された。

 

その実体は改革という名の新しい搾取であり、新しい階級の誕生を狙ったものである。政府を私腹のために利用し法を変えた。この流れはまだ止まらない。自民党の政治家は金に群がる事を優先している。金がなければ国は立たない、それは確かな真実だが、愚劣な守銭奴どもに国を好き勝手させる理由にはならない。

 

いずれにしろ、サントリーは今後、トップは売上しか見ないし、社員は退職後を常に考えて労働する企業になる。売上を上げるためには何でもするだろう。それしか自分たちの評価を上げる方法はないからだ。それはこれまでの自分たちの製品を創造する作品や我が子と呼ぶ状況を捨て去るに等しいという事だ。物としてしか見ないという事だ。

 

売りまくるために製品についていちいち考えていては効率が悪い。ものを数多く売る。必要なら安くする。それでも売り上げが立つためにはコストをとことん下げる。

 

徹底的なコスト管理、原料を如何に安くするか、如何に手を掛けないか、必要なのは安全よりも価格である。そうなる以外の道はない。それで競争力を得るしか道はない。誰もそれを止めるはずがない。誰も愛社精神など持ちはしないのだ。

 

サントリーとはステップアップのための足場に過ぎない。自分がいなくなった後にどうなろうが知った事ではない。そういう方向に動くのは明らかである。だから、サントリーは必ず健康被害事件を起こすのは約束されている。森永、カネミ、雪印のような事件が起きるのは確定している。

 

しかし、企業体がこのような体制である以上、まともにリカバリする事もできはしないはずだ。社長以下、全員が数字しか見ていない。エクセルとにらめっこするばかりの人材である。自分が飲んでいる飲料がどこの製品かも興味ない人たちの企業となるだろう。社員の関心は定年後の身の振り方しかないのだから、良くて倒産だ。

 

役割を終えたとはこういう事だ。人事にそれは顕著に表れる。中国の歴史を読めば、賢人たちが王の言動から国の終焉を知るのはよくある事である。サントリー製品を買える時間はもうあるまい。