「終わり見えぬ」みずほに異例の「応急処置」、背景にいらだつ金融庁

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コンピュータシステムの最も重要な特徴のひとつは、人間がどれだけ怒ろうが怒鳴ろうが、まして厳罰を与えようが、動かないものは動かない事である。この特徴が、いわば、今ではカンバーバッチの顔を思い浮かべるチューリング曰く、どんな計算機もある演算が有限時間で停止するかどうかを正しく解くアルゴリズムは存在しない、の意味と言っても良い。

 

金融庁がどれだけいらだとうが、それは問題の解決に1mmも寄与しない。という事は役に立たないが邪魔にはなるという意味である。みずほの首脳陣が辞めようが給与を減らそうが結果は同じである。

 

人間の責任問題など何の役にもたたない。コンピュータは命令された事を命令された通りに実行する。もし期待通りでないなら、命令した方が間違えている。コンピュータが間違う事はない。例え故障であっても故障した通りに正しく動く。これが前提だ。

 

システムのこの人間のとの完全な分離性、独立性は、AIを考える時に極めて有用であろう。つまり人間を完全に排除して社会インフラを構築可能という事なのである。王であろうが富裕層であろうがAIが管理するシステムの前では平等である。人間の姑息な知恵など見逃す筈がない。それがディストピアなのかユートピアなのか。それはは人間の都合でありコンピュータは命令通りに動く。

 

命令通りに動くという意味では生物を構成する様々な機構もその基盤に化学変化があり、化学変化は量子力学の一部だから、生物は物理学に従っている。物理現象は命令ではないがそのルールを超える事はありえない。ではその化学変化と電気回路の集合体である人間の中に生まれた感情だの心理だのは何なのだろうか。

 

いずれにしろ、菅義偉らが得意とするような圧力だの脅しだので動くのは官僚組織として構成される人間までの話しで、それでさえも、人間が自在にできる範疇でしか効かない。だからコロナウィルスの前では菅義偉は脆弱である。それを悟り自分が自在にできる警察人事を置き土産に職を辞す。この程度の人間でもここまでやれた社会に驚愕すべきであって、ここには特に注目すべき個人的な能力の発揮はない。

 

みずほがシステムについて全くの無知であって、どうしてそうなったのかを上層部は把握できていない。恐らく現場であったり、契約が切れた派遣社員の中には、極めて正確にこの問題を指摘できたり修正イメージを持つ者がいるだろうと予測される。

 

ではそういう現場感覚、この場合は危機意識がどれくらい上に届いているのか。既に課長との間にさえ断絶が起きているのではないか。もしかして、みずほは現場だけでシステムを回しているのではないか。

 

問題はシステムにではなく運用にある。これは人の問題という事だ。極めて短絡的に考えるなら、この一年で退職した人(死亡、病欠も含む)、派遣が切れた人、配置転換された人の中に、生き字引みたいな人がいるのではないか。専務や社長が名前さえ知らぬ、もしかしたら月50万程度で雇っていた派遣のエンジニアがみずほのシステムの全景を見ていただたひとりの人だったのかも知れぬ。

 

そうでないとここに至り立て続けに障害が出てきた理由が不思議なのである。もちろん、バックアップが動かないというような原則的な部分でも不具合があった事は、単にソフトウェアだけに問題ではない。ハードウェアの構築にも爆弾を抱えているのだとしたら誰も予感をしていなかったとは思えない。この辺りはメーカーの言い分をきちんと聞かないと分からない。

 

みずほは恐らく問題を把握しきっていない。起きた問題に対して対処的にしか手当ができていないのがその証拠だろう。それが表層的な現象を繰り返す理由だし、その根本が、みのりというシステムの潜在的な欠陥なのか、それとも運用を重ねて改修してきた間に、原則論、設計思想が失われて、安易だが危険な修正が蓄積したためなのか。

 

それを饒舌に語れるエンジニアが日本にも数人はいるはずだ。その人たちが既にみずほのシステム部門の中核にいないとすれば、それは残念な話である。

 

終わりのない夏など欲しくない。