日本沈没 #7

www.tbs.co.jp

 

最近は狂ったようにイアーワームに憑り付かれている。この病気に罹患して、かれこれ2カ月だろうか。感染源はとにかく明るい安村で有吉の壁のサタデー・ナイト・フィーバーだった。不思議な事に既にアルバムは入手済みだった。

 

音の力は、当然ながら、ヒッチコックの映画などでも顕著であるし、ドラマでも音楽は欠かせない。これはサイレントで人を泣かせたチャップリンが如何に凄いかを物語っている。逆に言えば音楽を使えば幾らでも人を泣かせる事は可能なのである。音楽の力を最も効果的に使ったのは近年ではヒットラーだったか。

 

物語はこれまでの対立が次々と解決してゆく。人は群れを作る動物だからそれまで反目しあってきた人たちが手を取り合い、忌憚なく意見を言い合う関係は見ててワクワクする。

 

そのためには杉本哲太である官房長官がちんけな嫉妬に端を発する理由で退場しなければならなかった。この辺りの理由は何でもよかった。科学的な根拠も人間心理も特に期待する必要はない。沈むものは沈むと一言あれば十分である。

 

世界中のたった二人の研究者がお墨付きを与えればドラマが動くのである。この程度の底の浅さは黙ってスルーしておけば十分である。

 

故に、そこには音楽を流すのである。優れた音楽があれば、人が惨殺されているシーンでも人を泣かせる事は可能である。それを感動と言わせる事も易しい。しかし、音楽で笑わせるのは難しい。鼓舞するだけならちょっとしたナレーションを入れればちょろい。人の正義を操るのはそう難しくない。

 

背景に理由さえしっかりとあれば、その役どころを超えてその役者自身への憎しみを感じさせる事ができる。それは相当にヘボであってもそう難しくはない。だが、そこから印象を変える筋書きにする時には相当に演技力や存在感を必要とする。

 

その点で、仲村トオルとタッグを組んでいる石橋蓮司の存在感、香川照之の殆ど精神異常者を中和し、和解によって人間性を変えてしまう國村隼の好々爺さ。俳優が説得力を持つというのはこういう場面だ、という好例だろう。

 

この展開に切り替えるために杉本哲太というキャラをスケープゴートにしなければならなかった、これは脚本としては相当にお粗末だが、恐らく脚本家にも言い分はある。

 

しかし面白さは際立ってきた。やっと問題と正面から向き合ったじゃないかという感じがきちんとするからだ。幾つもの説得力のない描写はこれはこれで無視すれば我が航行に影響なし。

 

中国とアメリカと同時に交渉に入る。その想定は余りに楽観すぎるし、幾ら契約しても秘匿するとは限らない。少なくとも相手は相当に足元を見てくる。弱い立場はどちらかは明らかだし、結果も決まっているなら、相手は時間稼ぎをするだけで望んだものが手に入る。故に時間に限りがあるからそれまでに投げ売りをする。早く着手するほど得であると思わせないといけない。これは相当なゲーム理論が成り立ちそうな感じである。

 

アメリカの裏切り、中国の裏切り、さて、どうする、というのが次話への宿題となった。今後は世界中の全ての人が知った前提で戦略を立てる。日本円は大暴落を起こす。世界に占める円の価値は一斉に0に近くなる。国土が沈む事が問題ではない。国家が消滅する方が余程に大きい。それは日本円の経済圏が0になる事である。市場がぽっかり失われるとなれば、世界経済は大混乱を起こす。

 

日本円を刷る事が可能でない限り、物事はそういう帰趨を辿る。だが、どのような国がそれを許すというだろうか。極めて可能性が低い。これが百年前ならば、石炭で船が動く時代なら、きっと海外のどこかの土地を蹂躙していたはずである。

 

多くの資産が国内から引き上げられるだろう。そして他への投資に回す事が検討される。それが世界で一斉に起きる。その激しい落差に日本国内に経済は成り立つのか。備蓄された石油だけで日本脱出を検討しなければならない。1973年の情報の伝わり方とは違い過ぎる。その差が今のリアリティを反映する。

 

ここに来てようやく物語が動き出したのは良い感じだ。しかしここで感じられる高揚感が、あと2話、3話でケリが付けられるだろうか。それは少しもったいない。起伏はあと2~3回はあって然るべきだ。

 

かつ、最後は一気呵成に最終回に向かわせないといけない。そこに至るまでの面白さは相当な物量があって、ポテンシャルはかなり大きい。

 

つまり、テレビはキャラクター紹介とその前哨戦であって、狙っていたのはその後ではないか、という事である。つまり映画化ではないか。それを手応えを得るためのテレビ版ではないのか。

 

映画でならこの後の高揚感をきちんと描き切れると思う。3月までテレビでじっくりと描くには少し長すぎる。じっくりではなく一気に描き切る方が良い気がする。

 

12月で全10話のテレビが完了する。その最後にプロジェクトに絶望から光が差しこむだろう。その光に向かって全員が努力するのが映画版の始まりだとしたら、ここから数話では巨大な絶望に押しつぶされそうになる所で踏ん張ってゆくシナリオが挿入されるはずだ。そして最後にこうすれば打開できる、さあ時間がない、いますぐ始めようで終演する。

 

ジャンプの打ち切りではあるまいに、俺たちの計画はようやく始まったばかりだ、日本脱出というはてしなく遠いこの計画を、である。

 

と妄想する。