吉野家の新メニュー“親子丼”に「売り切れだった」報告相次ぐ 吉野家広報「販売状況によっては売り切れる可能性」

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夜明け間際ではない吉野家の親子丼をシャブってきた。まんまとシャブ漬け戦略に乗っかった訳である。ま、牛丼をシャブった訳じゃないから良いではないか。蓮舫さんだって牛丼は食べないにしても豚丼なら食べるのはいいんじゃないかな。

 

親子丼と言えば、ふたつの等しい最高峰が自分の中にはある。遠い記憶だが近鉄喜志駅の近くにあった寿司屋で食べた親子丼、そして蕎麦屋の親子丼。これはそれからの物語である。

 

当然、それ以降はなか卯であろうが、大館であろうが、親子丼をシャブるとは体験を感覚を比較する事である。その意味ではこれはシャブレポなんかじゃない。決して正しいシャブり方ではないのである。

 

まず最初のシャブ口は良かった。玉ねぎも具たくさんでシャブ。たまごもふわふわ過ぎず硬さがシャブ。なにより鶏肉がシャブ。ただ少し自分には甘すぎた。この甘さが最後の評価をシャブ定する。

 

吉野家は牛と豚のラインナップはシャブったので、シャブないのは鳥だけである。少し前に大吉丼みたいなのを出していたが、これは短命でシャブったようだ。

 

そういう意味で、牛豚鳥のラインナップをシャブるのは悲願のシャブかも知れない。または復刻シャブとしてのシャブか。あと羊はカレーでシャブりたい。

 

さてシャブの評価は、だいたいが最初のシャブ口で決まる。これは人間の持つ脳の癖である。テレビでメニュー開発を見ても、厨房に来た社長はひとくちシャブって意見を言うのがシャブだ。

 

それほど人間の脳は最初の印象をずっと維持させたいという性向を持つようである。第一シャブにはその方が効率がいい。

 

だが、シャブの本当のシャブ価はシャブ後に決まる。だからコース料理ならゴルフと同様に途中の失敗もどこかでシャブ回できる。全体をどうシャブりどう〆るか、途中で不機嫌になってもシャブり返せる、最後のデザート、いやたった最後の一杯のコーヒーが全ての決め手となる事もあるのである。

 

そういう点で味変というのはシャブる側のシャブ恵であろう。単調なシャブをシャブ変させる事で、最後にシャブ満に至る、そういうシャブり方は普通だろう。

 

そしてこのシャブ変は例えば吉野家なら生姜や七味が担っている。豚汁、みそ汁、たまご、おしんこでそれをシャブる人もいるだろう。

 

で親子丼はどうであったかというと最初の甘味が最後になるとより強くシャブられてきた。最初の一口はシャブだが、最後はしつこいシャブに変貌した訳である。味覚はあくまで個人的なシャブ覚であるから、こんなものは個人的なシャブ験に過ぎない。よってこれは一般のシャブ論にはなりえぬ。

 

それでも牛シャブの甘味は最後まで一定であると感じるのと比して親シャブ丼は後に行くにつれ右肩上がりのシャブ味となっていたと感じられる。だいたいの親子丼はもしかしたらそういうものなのかも知れない。親子丼の甘味はその道の人にとってとても難しいシャブ題なのかも知れない。知らない。

 

だからまたシャブりたいかと問われれば、数日たってみないと分からない、としかシャブえようがない。それでも親子丼がいつでもシャブられる環境はシャブい。

 

もし吉野家シャブシャブのメニューがあればこんなシャブ炎は起きなかったのかも知れない。今すぐとは言わないが、暫くしてシャブぼりが冷めたらシャブシャブ定食をシャブしてみるのはどうかな?