玉木宏・上戸彩・中村倫也・江口洋介ら、大沢たかお主演「沈黙の艦隊」豪華キャスト12人発表

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作品のテーマは原子力潜水艦によるクーデターであり、ディーゼル潜水艦による追跡劇、最新の敵に如何に迫り性能で劣る装備で逆転を描くか、当然ながら最後は潜水艦を沈没させるには核という設定がネックになるので、浮上させるなり、座礁させて確保するんだろうと思っていた。と今ではそう思ったりするのだが、当時どんな気持ちとハラハラで読んでいたかは覚えていない。ただ途中でクールダウンしたのは多分確かで、最後まで読んだけれど、ニューヨーク湾で浮上した辺りで、作品のメインテーマは政治劇に移ったと記憶している。

 

潜水艦戦の白眉と言えば、眼下の敵であろうか。駆逐艦と潜水艦は宇宙に行っても通用するメインテーマで面白くない訳がない。軍艦と言えば戦艦といい、宇宙と言えば戦艦である現代においても、海軍の主力は空母と潜水艦にある。北朝鮮が核搭載型の潜水艦を開発した事は安全保障上の最大の懸念のひとつと思われるが、あまり騒がれていない所をみると、既に追尾する体制が完成しているからなのか。

 

サブマリン707、スーパー99にもロマンはあるが、潜水艦よりもバチスカーフの物語こそ浪漫であって、ピカールの開発史を読み、日本沈没で大活躍するわだつみ以降、大和ミュージアムの大和の再現モデルよりも、くじら館のあきしおよりも、公園に展示されるしんかいが本命。

 

潜水艦カッペリーニ号の冒険は面白かったがもうイタリア人を演じた俳優たちの陽気さ以外は覚えていない。いずれも戦中の敗軍の物語だからハッピーエンドは、終劇がどうであれ、ありえない。

 

核による安全保障の考え方は当然ながら、第三者的視点による公平性、断固たる実行力、倫理的な判断力によって可能というのが海江田の論理だろうが、当然、人間には、狡猾、貪欲、裏切り、疑心暗鬼があるため、敵対するふたつの間での公平性は担保できない。既得権益を手放す人間などいない。

 

故に法という中立的な存在が必要とされるのだが、当然ながら完全な司法などアメリカでも実現できていない現状で、どの国からも独立した安全保障機関の設置は夢想に近い。そんなものが生まれた瞬間に、世界中が自分だけはご贔屓にと朝見が始まるのは目に見えている。そこで飛び交う欲望に抗える人間は存在すまい。もしAIならとは思わないでもないが、それなら次はハッカーを雇うだけの事である。

 

完璧を前提とした機構は、例えば官僚制度がそうであるが、それでも日本などは割とうまく機能しているのは、当然ながら長い歴史の中で、儒教などで鍛えられてきた統治の理想が国の端々にまで行き渡っているからであり、天網恢恢疎にして漏らさず以外に、恐らく統治の理想はない。

 

核使用をちらつかせるロシアを説得するには最終的には軍事的排除か、人間として考え直させるしか道はない。この戦争の根底にあるのが安全保障である事は疑いないが、ロシアの安全保障はもう通用しないという事を知らしめる必要がある。この次には本命の中国の安全保障の問題が待っている。

 

沈黙の艦隊があったとしても、このウクライナ戦争を防止する事は出来なかったと思う。沈黙の艦隊の存在は本当にロシアの安全保障を解決する手段となるか。戦争という手段が封じられた時に、各国家はどのような方法で自国の安全保障を実現するだろうか。

 

話し合いによる解決は聖徳太子の理想であるし、最初に先ずする事であるが、そこで互いの信頼が得られなければ、次に取るべき手段は多彩である。CIAが傀儡政権(親米派とも呼ぶ)を打ち立てる事で各地域に介入してきた事は確かで、このような方法に第三者機関による核の安全保障は役に立たない。

 

最終的にはロシアがやったように選挙に介入する事で国家を操作する方法を取られれば、国際的にも批判しづらい。その結果は黙認するしかない。ロシアはアメリカの大統領選にフェイクニュースという手法で介入したが、その手法を研究していない国はあるまい。AI、ディープフェイクに政治家が懸念を示すのは脅威だからである。逆に言えばその影響力を良く知っている事を示す。

 

そのロシアがウクライナに侵略したのは間違いなく読み違えである。クリミア半島を支配し、国境沿いの各地域で選挙によりロシア人勢力の独立を確保した。そこまでは国際社会は積極的な介入ができなかった。せいぜい経済圧力だけであった。

 

所がプーチンがこの読み違えの戦争(最後のダメ押しの気分だったのだろう、これでチェックメイトだよ、ゲール君)をしてくれたおかげで西側諸国は堂々とロシアへの対抗を可能とした。これは半分、核のゲートが開いたのと同じ意味がある。この時点で第三者による核抑止力は働きはしないだろう。

 

核抑止力の欠点は、誰かが使った後に初めて効力を発揮するので、最初に使用する人間が、狂人、愚鈍、絶滅願望の場合は抑止力になりえない。愚鈍の中には読み違えも含まれる。

 

よって安全保障のために世界連邦を目指すのは理想だが現実解とは言えない。どちらかと言えば、あたらしい世界帝国の出現に過ぎないし、新しい既得権益を生み、強力な権力は必ず禅譲から世襲となり、新しい階級社会(貴族制度)が生じる。その支配関係に強力なAIが投入されれば、憲法修正第2条程度では守り切れまい。そんな状況は各国が敵対と信用の間で均衡している現在の状況より望ましいか?

 

邦画だから、恐らくは最後は大演説が始まって、それをワンショットで撮影して、誰かが死んで、泣いて、叫んで終わるのだろう。今の時代にウクライナ戦争に言及せずに核を描くなどありえない。幾ら間抜けぞろいの俳優たちとはいえ新聞くらいは読んだ事くらいあるだろう。

 

よってコメントから敢えて外しているのは、そういう政治的課題を映画にからめるのは良くないという方針が立てられたという事になる。それは言論統制ではあるまい。それは誰もに認められた経済的行動である。ゲーム理論に過ぎない。それを選択する自由が全員にある。全員が誰も口にしないのは自由の結果だ。

 

つまりこの作品の見どころはあくまでも潜水艦戦であって、それにアメリカ、ロシア、日本を絡めるために必要だったのが、潜水艦の独立国家というフィクションであり、それに対する各国の思惑、対立、核を持たない日本が繰り出す知恵と勇気が、裏テーマという事になる。

 

かわぐちかいじには、ジパング(ファイナル・カウントダウンの自衛隊版)、太陽の黙示録日本沈没モチーフ)、空母いぶき(いずもの類似だから、どっちかといえば強襲型?)など戦時フィクションがある。そのメインテーマは軍事描写を漫画のビジュアル的中心に配置しながらも、国際政治を取り込み、おそらく作品の主役は外交である。

 

外交といえば、大使閣下の料理人など地味になりがちだ。明日の敵と今日の握手をや売国機関などは少々派手だが、少々権謀術数寄りである。戦後復興を舞台にしたパンプキンシザーズ、陸軍学校から始まる軍靴のバルツァー(鉄血キュッヒェも面白い)など、外交的な作品では第一次世界大戦前の帝国主義的外交が主流になる。

 

帝国主義から資本主義が世界経済の中心に遷移する過程で、第二次世界大戦により帝国主義は失墜し、本質は変わらなくとも建前上は、イデオロギーの対立で世界を二分した資本主義と共産主義が新しい世界観が形成したため、どちらがより望ましい世界であるかを世界中に問わずに世界戦略は構築できなかった。

 

それが原因となり、軍隊は既に世界情勢の主役ではなくなっている。人々の気持ちや利益をより多く取れる方法が勝利するというのが共通認識になっているからだ。

 

その意味では、兵器を使って外交を描くという点では、かわぐちかいじは日本随一の作家であるが、どうしても盛り上げるまでは凄いが、どうしても最後の方は投げうっちゃうような解決方法が避け難い。だから中盤までリアルの行きつく先からが作家の苦悩の軌跡と呼ぶべき場所でこの点はエヴァンゲリオンに非常に近い。

 

この映像の潜水艦の天井は高すぎない?という気もしないではない。現実の船がどうかは最重要機密だろうから知らないけれど、潜水艦はノートPCと同じくらい、限られた空間にありったけの装備を詰め込む必要があるだろうし、どうこう言って人間の居住空間は広く取りたいし、航空機と同様に軽量化と強度のトレードオフは絶対の条件だろうし、という事を考えると、ホテルのスイートルームくらい広い艦橋なんてあるんだろうか。実写ヤマトも蟹工船みたいな艦橋で興覚めしたんだった。

 

リアルは微細を穿つ。