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書き溜めの集積場

防衛省、暴言自衛官の処分検討=「国民の敵」発言は否定

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最近の謝罪では、こういう言い方が多い。失礼な言い方をした、表現が間違っていた、誤解を招いた。

 

この言い分が新聞等による悪意ある誘導でなければ、彼/彼女らの本心は、私は決して間違っていない、という点では共通しており、決して主張を変えたわけではない。

 

反省など秋刀魚のおこげくらいの価値しかないのでどうでもよい。また自分の主張について取り下げないなどガリレオにおいては美談になっている。あの当時に自分がいたら、やはりガリレオを非難したであろう。なんという奴だ、全然反省していないじゃないか。等々、、、

 

日本の歴史を遡れば軍事クーデターが最も大きな事件であって、このクーデターと対峙しながらその後の政治は動いた。政府はクーデターを抑え込むことが最重要課題であって、それ以外の政策、政治行動はすべてその余暇で行った。

 

良識の海軍と戦後は言われるが、当時の人からすればクーデターを起こしたのは陸軍だけじゃねぇぞ、という話であって、アメリカと戦争する時でさえ、政府の最重要課題はクーデターの抑え込みだったのである。日本政府はその片手間でアメリカと戦争した。勝てる道理がない。

 

この軍部への警戒は戦後になってシビリアンコントロールという概念によって一応の解決を見た。もちろん、戦前からそういう考えはあった。ただ帝国憲法統帥権がこの問題を微妙に複雑にした。

 

なぜなら帝国憲法化では、軍人の暴走の前に、まずは政治家の暴走を抑制しようとした時期がある。この国に初めて政治家という素人集団が生まれた。戦争の素人である彼らが好き勝手に軍部を動かすことは危険である。少なくとも当時の元老たちはそれを警戒した。元老たちの逝去によって、軍部の重しは消えた。この真空地帯に真っ先に取り込まれたのが軍部そのものであった。

 

いずれにしろ、この少佐がクーデター予備軍と見做されるのは当然である。軍法会議を開いて即刻銃殺刑でも構わないと思う。こういう種は早めにつぶすしかない。厳罰以外の方法はない。だが、本当にこの国で軍法会議を復活させていいのか。その懸念は残る。

 

もし安易な処分、軽い罰則にすれば必ず第二、第三の暴言が起きる。それがこの国の国民性なのである。舐めた真似をする連中は幾らでも湧く。満州国を設立までした関東軍がなぜ戦争中は静かであったのか。梅津美治郎の赴任にその理解を得る。

 

日本国民には誰にでも言論の自由がある。何を主張しても構わない権利がある。だが、それは無制限の自由ではない。本来、近代国家において何もかも自由など、あり得ない。どう制限するかの考え方が近代国家の要諦である。

 

よって、それなりの権限や権利を持つ人には、より強い制限が課せられるのは自然であろう。権限を与える、その行使は自由である、という話はない。権限を与える、その行使にはこれだけの制限をつける。それが当然であろう。この制限は、単に話すな、というものではない。思想の自由さえも制限されるのである。

 

それが嫌なら自由人になればいい。退職する勇気もない人間が自由気ままに振舞えるような軍隊な世界のどこにもない。こういう自由をはき違えた人間に武力を預けるのか、という話である。

 

野党とはいえ、政治家としての適性がどうであれ、軍隊が政治家に暴論をぶつけるのは危険なのである。そう考えて、自分の行動も律せない人間が軍隊に存在することが危険なのである。そういう人が、本当に上司に命令に粛々と従うと思うのか。目の前に銃がある。それを手に取って上司を撃たないとなぜ言えるか。銃殺である。即刻銃殺である。それが嫌なら最低でも懲戒解雇。そうしない限り、それに続く人たちの足が止まらない。

 

大河ドラマ梅津美治郎をやるべきだと信じている。