民間小型ロケット「カイロス」初号機、発射直後に爆発 スペースワン「原因は調査中」

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宇宙開発は人類の正義だからこんなゴミみたいな失敗如きで踏みとどまってはいけない。プラネテスの「次は失敗しません、ご期待ください。」程度では全然たりない。

 

おそらく次も失敗します、その次も失敗します。その次の次も。それでも高度は少しずつ上がるはずです。ご期待ください。

 

そうでなくちゃ。

 

後発組のメリットは先発組の失敗を回避できる事ではない。同じ失敗から立ち直れる速さにある。先例があるのである。対処も公開されているはずである。

 

そもそもH3もそうだったが初号機に本物の衛星を乗せるのはどういう了見だ?失敗する可能性が極めて大きいのは明らかではないか。

 

BASICを初披露したビルゲイツではあるまいし、一発で成功させるなんて通常のエンジニアがしていい事ではない。かつ、天才ならこんなところ(JAXA含む)にはいない。MITで教授職を取っているか、マスクん所に行って最先端に取り組んでいる。

 

もちろんローカルな天才も侮って良い訳ではない。少しは能力で劣っていても一矢報いる程度の能力は上々である。それでもテスト時間が圧倒的に不足していたはずである、予算も、時間も潤沢だったとは言えまい。

 

天才は別に賢いという意味ではあるまい。一種の早熟である。早熟とは失敗の時間が少ないという意味ではない。それでは天才の努力を軽視しすぎている。彼らは失敗を恐ろしく早く回転させているだけだ(と思う、多分)。

 

だから過去の天才たちの所業も今では高校生の教科書に載っている訳である。

 

ロケット開発など10号機までは失敗続きで構わない。戦争中のアメリカのように毎週空母を作るくらいでないといけない。そうしなければ後発組が追い付けるはずもない。

 

民間事業なので予算が潤沢とまでは言えないだろう。アメリカもソビエトナチスもロケットを飛ばすのに軍予算は欠かせなかった。戦争に勝つ為だから開発の失敗にはわりかし寛大である。だからバカみたいな試作機がくさるほど生まれる。それほど戦争というのは緊迫している訳である。

 

日本はこれに弱い。先の敗戦がまず軍事利用を拒否した。これは信念として完全に正しい。あの程度の敗戦をする国の愚者におもちゃではない本物の兵器を渡すのは躊躇する方が正しいからだ。だから日本における失敗の方法論はメーカーの中で試されてきた。この失敗がプロジェクトXを生んだ訳である(ブラタモリが終わってしまった)。

 

日本は昔から一発勝負みたいな所で成功させたい気風がある。これはもちろん、資源のない国に特有の現象と思われる。少数精鋭を好み、一発逆転を狙い、奇襲が好きで、奇策で敵を翻弄するのを理想とする節がある。要は天才軍師が理想なのである。

 

もちろん孫子には最善は物量で押し通せと書いてあるのだが、大量の物量で押し通すにはそれなりの準備を必要とする。資源と資金、このどちらも欠かせない。アメリカがあれだけの生産を実現できたのは、その計画性もさることながらそれを可能とする工業化、そこで働く労働力の確保、必要な資源の入手、それを続けるだけの予算の投入、製造したものを運ぶ物流、交通網。そのどれひとつとして欠けなかったからだ。

 

日本がヤマトとムサシを作っている間にどれだけの戦艦を就航させたか。日本が空母を沈められている間にどれだけの空母を就航させたか。もちろん飛ばす飛行機がないなどという状況にはならなかった。そもそも日本には飛ばせるパイロットが不足した。だからヒヨコに花火を括りつけて高い所から落とすような戦術しか残っていなかった。それらはすべて原爆が落ちるまでの時間稼ぎだった。結果論でいえばそれが日本の戦略だった。

 

エヴァンゲリオンではないが初号機には浪漫がある。だからプロトタイプは零号機、量産型は二号機となる。試作機への憧憬はガンダム以降の伝統でもある。それが一品モノからの脱却として高評価された。

 

失敗の原因究明は心配はいらないだろう。仮にデータが不足していても次の失敗で採取すればいいのである。原因究明にどんなデータが不足していたか、それを知るための失敗だとしたらこの価値はとてつもなく大きい。エンジニアリング的に言えば、そう大きな障壁ではないと思われる。

 

しかし資本主義の世界で更なる投資が得られるか、派手な失敗について我々素人は、その先を見通せるエビデンスを何も持っていない。だから印象で語る事になる。こりゃ投資しても芽が出ないのではないか。

 

スペースワンCANONIHIなどが出資して作った会社だから、およその許容される失敗回数は織り込み済みで計画しているはずである。三菱MRJの例を見ても、大手企業の良い所はそう簡単には撤退しない(できない)点にある。

 

つまりこの失敗だけでひるむはずがなく、どんな失敗であろうと乗り越えて先に進んで見せるはずである。かつ、コンセプトが小型衛星(250kgまで)を馬鹿みたいな回数を打ち上げて採算に乗せるであるから二号機を直ぐにでも製造して改良して南紀の浜から打ち上げるであろう(もしそうでないなら最初のコンセプトさえ実現性は怪しい)。

 

枯れた技術で作って失敗した原因はとりあえずおいておいて、宇宙工学には正義しかない。二号機、三号機、四号機を4月までには飛ばす。全部失敗しても構わないのである。