【速報】次期戦闘機の第三国輸出方針を閣議決定 安全保障政策の大転換

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日本が国家として武器輸出について考える時に懸案すべきは、憲法前文の原理原則が全てである。

  • 平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、安全と生存を保持する
  • 全世界の国民が、恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する
  • いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない
  • 自国の主権を維持し、他国と対等関係に立つ
  • 日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成する

 

長々と書いてあるが、要は平和の定義は今も未確定であり、国際社会を通じて達成するとしか書いてない。それでもそれは「崇高な理想」であるはずだし、その達成を求め国際社会に参加する事を推奨する。

 

戦後すぐに於いても冷戦構造は避けえないと看破した為政者は多かった訳で、その中には戦争も避けえないと考えた現実主義者も多い。併せて核兵器の発明が戦争の形を変えだろうという事も薄々は気付いていた。その結果として核抑止という考え方が提唱された。この考えに基づいて東側も西側も動いたのは結果論的には成功した。

 

日本は西側陣営に属し、安全保障はアメリカの核をベースに組み立てている。通常兵器もアメリカ軍の参加をベースに構築している。そのため、日本軍の能力は、単独ではロシアとさえ対抗しえないと考えられる。その意味ではウクライナよりも交戦能力は低いと見るべきである。

 

これは長期戦となった時に、制海権(+制空権)を確保しなければならない島国特有の制限があり、それを中國やロシア、ましてアメリカ相手に単独で維持する能力を堅持する事は先の大戦時でさえ不可能であった。それは単に資源と装備である。よって技術論と組織論に帰結する。

 

ミサイル防衛システムも短期間しか考慮されていない。それは保有している弾薬の数、ミサイルの数を数えれば明白である。製造能力を確保している訳でもない。必要な材料を備蓄している訳でもない。これらは基本的には短期決戦の軍隊の方法論である。実際には相手はまず生産設備を叩く、つまり物流を止める為に橋やトンネルや港湾を破壊する。

 

当然ながら、自衛隊は外征軍ではない。本土を離れて遠い地で軍を展開する能力を持たない。そのような装備も戦略も持たない。これは戦後の平和主義とも関係する。侵略する装備を持たない事は、それだけで周辺国に対する安全保障である。

 

初期の頃はその意図もないし、その必要もなかったし、軍事予算をすべて民生に注力できたので合理的であった。どんな時でも復興時には防衛費はない方が望ましい。軍から再建するというのは正しい在り方ではない。

 

そもそも本土に上陸を許した時点で戦争は負けとしたものである。太平洋戦争でも沖縄までしか許していない。所が自衛隊専守防衛は上陸した所からスタートしようと言うのである。これは幻想なのである。このような戦術は成立しないと思う。

 

なぜなら敵国は上陸後の展開も十分に検討した上で成功すると判断したから開戦を決定したのである。これに対抗する側とすれば、上陸してから叩くよりも、上陸する前に叩くが望ましく、これを延長してゆけば、当然、相手国の領土で戦争をするという結論になる。

 

戦争不可避となった場合に、どちらが正しい、間違っているは原則的には決められない。戦争が始まれば、第三者が取るべき立場は3つしかない。どちらも無視する、どちらかを支持する、両方まとめて相手にする。多くの場合、どちらかを支援する。

 

安全保障には、平和裏に維持されるもの、変化するものと、戦争状態で維持されるもの、変化するものの組み合わせがある。

 

そういう中で現在の戦争においては、虐殺の有無は重要な判断基準である。虐殺の有無は戦後の民主的な政体、人権的な政体が期待できるかどうかのリトマス試験紙である。

 

我々は人道的な政府を望ましいと考える。よって戦後に独裁制やそれに準ずる政体が樹立する事は支持できない。相当に傀儡でない限り、そのような選択はしないものである。そのおかげでCIAは長期的に見れば相当にアメリカの評判を落とした。

 

逆にそのような政体が樹立すれば戦後も経済制裁を続ける事になる。現在ではその候補には、シリア、イスラエル、ロシア、スーダンコンゴなどある。

 

しかし虐殺の有無は、最終的には世界への発信がない場所では互いにエスカレーションするはずである。最後は悲惨な殺し合いと報復の連鎖となるため、長期化すれば悲惨さは避けえない。そうなると虐殺の有無などという軽い価値観ではどちらを支持するなど決めれる訳もない。

 

まして互いの言い分をよく聞き、話しあい、憎しみや打算や権益、富の奪い合いを調べてゆくと大体の原因が100年以上前のヨーロッパに起因すると分かれば、そりゃ絶望的な気分にしかならないのである。どうすんだ、これ。

 

次に核拡散の懸念がある。核保有国が非保有国に対して戦争を行う場合、原理的には核保有国が必ず勝利する。非保有国が勝利しそうになっても核という「これが最後の決め手だよ、ゲール君」がある限り敗北はありえない。核は物量の有利さえも引っ繰り返す有望な手段なのである。

 

そのため核保有国を潰すには核を使用する前に経済流通、資源確保、食料供給を潰すしかない。その上で民衆の内乱を起こさせる。その民衆に向かって恐らくその国の軍隊は銃弾を浴びせる筈である。その結果として内戦は長期化する。その結果として新政権が成立したとしても、順調に和平に向かうかは限らない。戦争を継続するかも知れない。まして核廃絶に同意するとは思えないのである。

 

それを実現するには国家解体するしかない。どこまで国家が力を失えればそれが可能なのか。まして核を流出させる事なくそのような事は可能なのか。

 

このような状況で核保有以外に核保有国に対抗する手段はない。ロシアとイスラエル、はこの点で非難されるべきだし、南シナ海で強硬に領有権を主張する中國にも懸念は禁じざるを得ない。

 

核分散の流れが国際社会において望ましいはずはないので、これを阻止する活動が望まれる。これが日本が非核三原則や武器輸出禁止を打ち出した時代とは明らかに変わった状況である。

 

武器輸出について経済的理由を持ち込むのは順序が逆である。たかが日本技術の粋を結集した戦闘機にアメリカ相手の競争力があるとは思えない。航空ショーで乗るならゼロでもFW190でもなんでもいいが、戦争で乗るならF6F一択である。F4U二択かも知れない。P51三択でもいい。B17、B29もいい。でもB24はやだ。可能なら整備員がいい。ジェット戦闘機においておや、である。

 

強い経済は研究や学問に資本を投入できる。その一部に工学、物理学がある。その一部が更に軍事用に転用される。軍の資金は失敗に寛大であるし、幾つもの研究を平行して動かしてくれる。常に最先端を目指すからである。

 

このような効用から先ず軍で資金投入され、次に民生品に転用という構図がある。しかし、その軍が着目する前に基礎研究の充実が必要である、軍は資金の投入は決してピラミッドの最下層に対してではない。どちらかと言えば中間から上での活動を支援している。

 

武器輸出の禁止、解禁は、どちらかと言えば企業からの要件であろう。しかも国際共同の背景がある。短絡であるが現実的、と企業は評価するだろう。所詮、欲しいのは税金であって競争力が得られるなどと考えているはずがない。それでは余りに愚か者である。

 

多くの企業では平和裡では軍需より民需の方が遥かに巨大な利益をもたらす。製薬会社にとってのヘルスケア事業より医療用事業の方が規模が大きいのによく似ている。しかし広告等で人々に知られるのは市販品の方である。

 

過去の実績からも日本の兵器開発が強い競争力を持つとは考えられない。日本で最も売れたのはアメリカホンダのジェット機である。零戦の夢を見るのは良くない。日本は戦後にジェットエンジンの開発で完全に立ち遅れたのだから。

 

イギリスもアメリカと比較すると見劣りする。とはいえジェット機の開発経験は日本よりも遥かに上である。使いたいとは思わないが乗りたい飛行機は沢山ある。イタリアもタイフーン開発には参加している。

 

凡そ戦闘機ならアメリカ、ロシア、フランスであろう。その亜流に中國、ヨーロッパがある。日本はその末席に座れるかどうか。ロケットよりも開発能力は低いはずである。

 

その日本が参加したからと言って、どういう方針で何を作る気か、という話であって、F-20でさえF16には勝てなかった歴史がある。誰が買うのか。安かろう、弱かろうを買う国は少ない。それこそ独裁者国家での採用を目論んでいるのだろうか。それは武器輸出とは全く関係ない話であろう。

 

日本の仮想敵は中國、イギリスはロシアのはずである。ヨーロッパはそれ以外にアフリカや中東での紛争にもいざとなれば参加させるはずである。

 

それでも共同で開発したいのは、これ以上何もしなければアメリカの言い値で買うしかない状況になるからだろう。アメリカが次の安全保障をどのように切り替えるか、これまでの常識は通用しそうにない。

 

安全保障のビジネス化をアメリカがやりたい筈である。これは従来の権益の確保ではもうビジネスにならないという事であって、これまでアメリカがその軍事力を背景に世界のプレゼンスを握っていたのは結局は途上国の資源をアメリカ企業に独占させる事、そのための民主制の輸出であった。

 

アメリカなしの安全保障を考える必要がある。その一環としてこの話は歓迎すべきだ。それでも中國はそう脅威とは見ていない。中國はアメリカが手を引く事、それが最大の関心毎であり、トランプの再選と混乱を期待している。日本製の戦闘機に負ける気はないと思う。腐ってもあちらは第五世代戦闘機を自力開発している国である。

 

恐らく第五世代以降は、ステルスなどの塗料、材料系の発達、コンピュータによる高度な情報処理とやり取りによる迅速な意思決定、それを可能とするネットワークシステム、そしてAIを活用した無人化に向かうと思われる。

 

そのために必要なのは開発力の向上であって、武器輸出の心配はたぶん不要である。開発された製品が凄い能力を秘めているとしたら、途中でアメリカか中國がちょっかいを出してくる。天才技術者がいるなら札束か恋愛を使って獲得する。誘拐してでも手に入れる。それが無理なら命が危ない。

 

そういう中途半端な平和の理念にも係わらず武器輸出に舵を切るべきなのはやはりウクライナへの支援が喫緊だからと考える。アメリカが手を引いた後には日本はウクライナ支援の中心を占めなければならない。その時に武器輸出できないようではお話にならない。

 

それならそうとストレートに言えば良いのに何故か政府は語らない。今の自民党が得意とするどさくさ紛れで押し通すを使えば何でも可能なのにである。何かを隠す気があるように勘繰る。自分たちの無能ぶりは駄々洩れなのに不思議である。

 

どうこう言って日本の兵器が売れるはずがない。洗濯機やテレビでさえ市場を失ったのに、どうして軍事品なら競争力があると考えられるのか。相当に頭がおかしい。スマートフォンでさえ負けているのに、コンピュータの固まりである次期戦闘機なら大丈夫と算盤を弾いているなら絶望である。

 

それでも今せっせと軍事費の増強をするのは中國の脅威が数年先には現実的になるからだろう。そう予想される以上は今から準備を始めておかなければ間に合わなくなるから。

 

武器輸出に舵を切るのはウクライナの支援を継続する必要があるから。これらの背景には、全てアメリカからの要求もあると考えられる。バイデン政権は自分たちの政策を誰かに託しておきたいのではないか、そう考えられる。トランプになればアメリカは恐らくは手を引く。その準備を今から進めておかないといけないから。

 

仮想敵がアメリカとなる可能性は小さいが、アメリカを切り中國と同盟する未来だって0%ではない。それをアメリカは望まないだろう。しかし、トランプはそれでもいいよと言うかも知れない。ビジネスとはそういうものだ。

 

安全保障が大きく変わる時に、イギリス、イタリアとの共同事業は捨てがたい。今後はヨーロッパとの結びつきが強力になりそうと思う訳だし、根拠はないが、それが望ましいと思われてくる。先頭を走っていない者どうし、連携が重要である。

 

この状況において、この方向は妥当と考える。それは岸田内閣が議会政治を無視し、国会を軽視し、自分勝手に物事を進める事を支持するのとは異なる。政策の方向は支持しても、岸田政権のやり方の支持ではない。当然である。この国は民主主義国家と思うから。

 

幾ら安全保障に力を注いだとしてもこの国の政府が、東京の自治が、警察がロシア化するようでは、それを目指す勢力が政治権力を手中にするようでは、そのような政権の誕生に未来のハンドリングは託せない。

 

プリンシプルの重要性は白洲次郎の言の通り国家の背骨である。