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ひろゆきが伝授する「論破法」 1対1の討論は厳禁!必要なのは“ジャッジ”

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古代ギリシャには、多くのフィロソフィがいた。彼らは自然を範として、思考を深めた。多くの自然哲学は、数学を生み、それはユークリッドでひとつに結実する。人類の歴史で、数学が拡張されには19世紀まで待たなければならない。それほど盤石で探求が必要な環境であり、今も探求の手は緩んでいないと思われる。

 

当時の人々を素朴と見るのは明らかに間違っており、とても深い追及が自然の観察の中で行われた。地球の大きさも月までの距離も、太陽との距離も測定と計算から求めた。天動説は今では否定されるが、当時の人々は様々な考えの中から妥当性を求めた結果なのである。そこに宗教的な意味合いが込められのはずっと後の話だ。

 

おそらく、現代の我々が当時に行って地動説を力説した所で彼らを説得できる人は少ないであろう。我々が様々な観測機器に基づいて思索をしていることを、彼らは肉眼だけでやっていたのである。

 

もちろん、そこには肉体的な活動を蔑む風潮、文化があった事も関係しているかも知れない。それが論理や形而上的な思索が進んだ所以かもしれず、一概に否定できるものではない。

 

孰れにしろ、彼/彼女らが討論好きであったのは間違いはなく、そのための弁論術は非常に発展した。それは説得術でもあったし、言論の格闘技でもあったろう。人を説得するだけならとても簡単で、古来、相手を殺すのがもっとも手っ取り早いというのは共通した認識である。

 

それをまず言論による決着に持ち込もうとしたのがギリシアであるとすれば、その価値転換の大きさには驚愕せずにいられない。人間は非常に悧巧なので、ルールが決まれば極めて強く適応する。弁論に決着があるならば、それに特化する方向に技術が進むのは自然である。

 

勝敗という考え方から、真実という概念にシフトしたのがソクラテスではないか。論を通じて一つの真理に到達できるという発想は、おそらくダイモニオンからの啓示だったのだ。もし真実というものがあるならば、勝負も真理への近似によって判定されるべきではないか。

 

だが、真理が何かわからない状況であれば、結局、勝敗は判定者によって決まるしかない。ならば、判定者を説得した者に真理があるという逆方向の考え方も成立する。

 

そういう学派は、詭弁学派(ソフィスト)と呼ばれる。その延長線にディベートがあり、説得術もある。営業術もこれに近い。相手の同意をいかに暴力を使用せずに得るかという技術である。だから哲学者と言うよりも専門家と呼ぶほうが相応しい。

 

これらは技術なので人に伝われば直ぐに使いこなせると思われているが、実際はそういうものではない。積み重ねた前段階が必要であることが多い。仁科研究所がウラン濃縮に失敗したことからも明らかであろう。使いこなせるようになるためには長い間の訓練と心からの希求が必要なのである。それなくして技術が染み込む獲得できるものでもない。

 

多くの人は同意できると思うが、技術は極めて個人的資質に依存するのである。格闘技という視点から見れば、プロレスvsシュートみたいな戦いがある。一般的にプロレスラーはシュート相手に勝利するのは困難というのが最終結論と思われる。実際には体格も違えば必要な技術も異なる。異種格闘技というものは興行的には魅力的なジャンルだと思われるが、将棋VS囲碁がナンセンスであるのに、なぜ格闘技はそうでないのか。洞窟の比喩ではないが、人々の心の中にイデアとしての格闘技があるからだろう。

 

格闘技には様々なルールや制約がある。数多くのジャンルがある。それらは、どれもイデアの格闘技という本来ひとつの所から分化したように考えられる。すると、本質的には対戦可能であるはずだ。ならば、どの格闘技が最も強いかという主張は、その格闘技がイデアの格闘技に最も近いか、その血脈をもっとも色濃く受け継いだかという争いと見てもよい。

 

進化論に例えるならば、人間の中で最もピテカントロプスに近いのは誰だ、という話であるから、近ければ偉いという話でもないとは思う。いわゆるロマンの所在である。所詮、格闘技なんざ軍隊の前では赤子である。いくら空手が無手で軍隊と対抗するために生まれたといえども、そりゃ刀相手の時代ではあるし、その工夫も、通用するはずがなかった。戦争は補給が決める、攻撃力ではない。人間は集団を作る動物なのである。

 

とすれば、これらは単独での戦いというローマの時代の剣闘士のような側面を持つことがわかる。ならば、ここで必要とされるのが、戦いの強さでも、正しさでもなく、ある条件下での勝敗という事になる。それがジャッジという存在の強調なのだろう。

 

彼らの討論術が有効に働く条件がある。ライブであること、瞬間の瞬発力がものを言うこと、最終的には閃きの面白さを競うようなものである。だから短期決戦であることも必須の条件と思われる。数時間に及ぶ討論や質疑応答形式では最終的に追いつめられると思われる。

 

科学は幾つもの討論の上に成り立つが、そのひとつに学会がある。発表して、討論し、わいわいお喋りして解散するらしいが、彼らの討論はそこが戦場ではない。

 

説得力の有効な場所には、例えば外交がある。世に優れた交渉上手はカメラの前での立ち振る舞いが上手だし、発言にも世論の興味を強く意識している。相手の出方も計算市尽くしている。日本で最も著名な交渉はイギリスvs高杉晋作であろう。かしこみかしこみ、と日本神話を吟じ、この交渉の意義をきちんと相手に説明しなければならないと嘯く。彼は交渉の長期戦を意図していたのだろう。

 

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