武井壮「国会議員は司法試験以上の試験」義務化主張

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モラルや道徳の優れた人が政治家になるべきか、という話は政治家の仕事とは何かという問いに尽きる。

 

汚い溝がある。誰かが掃除すべきだと思うが、さてどうしようか。そこには幾つかの方針がある。

 

例えば関係する人だけで勝手に解決しなさい。それは政治の仕事ではないとする立場。小さい政府はこういう考え方であろう。

 

全員でやればいいんじゃないか。みなさん、さあ集まってください、ドブ掃除をやりますよ。これが理想的な共産主義である。実際にはやりたくない人もいれば、楽したい人もいる。そういう人間性を考慮すれば、理想通りに行かなかったのも理解ができる。レーニンに足りなかった人間への深い洞察をスターリンは備えていた。その代り、スターリンには共産主義への深い理想が欠けていた。

 

誰かが号令をかける。イニシャルがAAの人にやってもらおうよ。誰も断っちゃいけないよ。そんな権利はないからね。命令されたら奴隷と同じように振る舞って。王様がいる世界はちょっと怖いね。

 

自分でやってしまう。他の人は見ているだけでいいよ。これが堯舜の理想。偉いんだけど、社会が豊かに大きくなってくると、この方法では無理。規模が個人の範疇を超えてしまう。

 

お金を払って業者に頼むのはどうだろう。これが資本主義、というわけでもない。共産主義だろうが、小さい政府だろうが、王政だろうが、ぜんぶ同じ。そのお金をどうやって用意するのか。みんなから徴収するのか、誰か金持ちにお願いするのか、寄付でやるのか、何かと引き換えに出してもらうのか。

 

ドブさらいでも沢山の方法がある。政治家とは、ドブさらいをする人ではなく、どちらかと言えば、どう解決するかを率先して決める人だろう。問題を無視するもよし、解決のために動いてもいい。解決の仕方も様々。問題意識を持って、解決に向けてアプローチし、そのための方向性を打ち出す。

 

つまり、政治家とは決断が仕事という事になる。そして決断する以上、どれだけ多くの人の事を考えるかという話になる。しかし全員の賛同など得られないのだから、どこかで決断する。

 

政治とは誰かを切り捨てる仕事なのだ。切り捨てる時に、どういう切り捨て方をするか。そこが政治家の最も重要な部分という事になる。この決断の前では、金にクリーンである必要性も、モラルも規範も何もいらない。

 

試験で図れるものは官僚に任せておけばいい。そのひとつ上にあるもの。誰かを切り捨てる決断を、どうやって他人に託すのか。もし政治家を、単なる金稼ぎの一環だと考えるならば、恐らく根本で間違えている。

 

切り捨てた人をどうするのか。何も言えないようにシベリアに送るのか。これをやったのがスターリンである。お金を摘んで我慢してもらう場合もあれば、勲章で表彰する方法もある。無視して死ぬのを待つ方法もある。政治家はそういうオプションを行使する立場にある。

 

IT技術の発展によって、もしお金だけの話ならば、それを律するのは本当に簡単な話だ。ただひとつのルールを決めればよい。政治家になった人はカード以外を使うのを禁止すればいい。現金を使った時点で逮捕する。それだけでよい。

 

現金を持つからダークになる。現金さえ禁止すれば政治家に入るあらゆるお金を監視できる。これほどクリーンなものはない。コンピュータを通してしかお金をやり取りしなければ、すべてが透明になる。これほどのオープンはあるまい。

 

もちろん、現金がないと困る場合もあろう。人知れずソープに行きたい場合はどうするのか。SMクラブはどうか。ゲイやホスト狂いの人だっているだろう。だから、そういうのがばれるのが嫌な人は政治家にならなければ良いだけである。素敵、これでハニートラップの危険性はうんと小さくなった。

 

政治家を道徳を売る商売と考えるどこに正論があろうか。