満島ひかり

満島ひかり恋多き女かどうかは知らない。もちろん、若者喰いが演技の足しになるはずがない。若さを保つために若いエキスをちゅうちゅう吸う絵の方が幾らか説得力がある。しかし、最近の女優はどうも売れたら若者に走るらしいのである。

 

彼女はルナルナのCMから脚光を浴びたと言ってよい。その頃には結婚をしていた。それ以前の彼女の演技は、園子温に狂気と呼ばれる程度だから、まぁ、たかが底は知れている。全力で頑張った以上の意味はない。

 

実際、彼女は演技の力ではなく、ルナルナのCMでのかわいさ、それも幼さの残るかわいさではなく、妙齢のかわいさで売れたのである。

 

すると、彼女は売れることで何が変わったのか。それがどうして夫にダメ出しをするに至るか、という点に俄然と興味が集中するのである。もちろん石井裕也という人がどういう映画を作ったのかは全く知らない。

 

彼の映画に出演したのをきっかけに結婚したのだから、その才能に惹かれたのは間違いない。当然そこには、約束の地があった。それは女優としての活躍の場である。売れるまではそれで良かった。だが売れてみると、分かってしまったのだろう。こいつが思った以上に、たいした監督ではないぞと。

 

彼女がアングラの小さな場所で生きて行くには十分な才能であったのは間違いない。本気で彼女は満足していただろう。あの時までは。

 

彼女はたしか反原発の行進にも夫と参加している。社会への関心も深い、仲の良い夫婦であったのだろう。それで彼女は十分に幸せであったろう。そう、あの時までは。

 

彼女は売れてしまった。というか、業界が彼女の存在に気付いてしまった。彼女の世界は一気に広がっただろう。出会う人も、才能も、情熱も、新しいステージに彼女は登ってみた。

 

その時、彼女は今までの自分に愕然としたのだろう。昨日までの素晴らしい場所が、才能が、景色が、今では陳腐に見える。自分は映画というものが何も分かっていなかった。

 

そう意識した時、彼女はもう決して後戻りできない何かに変わった。新しいステージに立てば戻ることはできない。時々、懐かしくなることはあっても、そこは自分が立つ場所ではない。彼女の中に自尊心が芽生える。昔の自分をとても幼く感じたかも知れない。

 

だが、決して口には出してはならない気持ちもあった。それは打算。自分の打算をこの程度の男に託してしまったという恥辱。

 

二人の関係が崩れ始める。夫の映画に売れない妻が出る、それだけが二人を結びつける理由であった。結びつけていた糸が切れたなら、ふたりが別々の方向に運動を始めるのは単純だが自明な話であったろう。

 

そして孤独になった彼女の心を埋めるものが彼女の周囲には幾らでも用意されていたのである。もう、誰にも頼らなくてもいい。怯えなくていい。若い人の情熱が自分の中の打算を消し去ってくれる。それが明日を生きる活力になる。

 

これは深刻な問題などではない。満潮はいつか終わる。潮が引き始めただけの事。そういう満島ひかりという補助線を引いたならば、吉田羊にも売れる前から支え合ってきた人がいたんじゃなかろうか、と妄想がわく。それが HERO へ出演したことで爆発的に売れてしまった。長い下積みの間に築いてきたふたりの関係が崩れるのは自明であった。

 

相手が黙って彼女のもとから去ってゆこうとする。それを彼女は見ているしかない。家を出ていった後、寂しくなった部屋で泣き崩れる日があったに違いない。

 

こんな妄想をさせてくれるから、女優というのはとても素敵です。