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歌舞伎町って、こんなに美しかったのか...! 話題の写真家が伝える「日常の美しさ」とは

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優れた絵画が写真のように見え、優れた写真が絵画のように見える。時々、そういう事を思う。 

 
 
 
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写真のイロハを知らないけど、良い写真というのは明らかに目に映った景色とは異なる。現実はそんな色味などしていないし、こんな遠近感ではないと思いながらも、今まで見えてなかっただけなのかな、と写真の前にいる。

 

生物の中でも人間の目はそれなりに高性能だと思う。もちろん、すぐに近視になるし、白内障などの病気も多いし、昆虫のように紫外線は見れないし、鳥のように遠くも見れない。蝙蝠はレーダーで世界を理解する。どこかに磁力線が見れる生物がいるかも知れない。そういう生物は世界をどう理解しているんだろう。

 

ミミズのように明るさの方向しか知覚できない生物もいれば、洞窟の中で目が退化する進化を遂げた生物もいる。それでも視覚空間、三次元空間を把握していないとは思えないから、いったいどのような世界像を持っているのだろう。

 

ヘレンケラーにとっての世界は何色だったのだろう?

 

ラスコーの壁画を描いた人たちには見えていた気もするが、写真の登場で初めてギャロップの時に何本の足が地に付いているかが判明した。そんな写真の登場が画家たちに与えた衝撃が小さいはずがなく、描写の意味が変わってしまった気もする。

 

絵の巧さは、一般的には三次元を二次元に射影する技術に尽きる。その過程で、現実も写し取られてゆく。輪郭、シルエット、陰影の加えて、遠近法の発見は革命であったそうだ。だからといって、常に立体感が優れていたとは言えず、ギリシャ彫刻などはその究極であろうが、エジプト絵画や浮世絵などは立体感よりもデザイン性が強調されているように見える。

 

昔から模写するのが上手い画家が世界で高く評価されてきたわけではない。ただ写真の出現によって、写真のような絵はより価値が下がってしまったはずだ。それ写真があれば十分じゃん。で最近はこうも言われる。写真と見分けのつかない絵。つまり人間がやることには何にでも価値がある。

 

新海誠の作品も時に実写か、絵か分からないシーンがある。そこまで現実に近づけながら、でもこれは絵なんだ、イメージの世界なんだと、この距離感に驚いたりもする。人間の匂いがしそうでしない世界。ああいう女性の足の匂いはかすかにある方がきっと素敵だ。

 

だけど人の肌ひとつとっても、写真でも多くの修正を施している。目でみたままに耐えられるものではない。きっと目の前で見る新木優子さんは写真で見るほどキレイじゃない。だけど、きっと写真よりも興奮する。

 

写真を絵に近づける方が感動するというのは不思議な話だ。その色合いの方が、目になじむらしい。実写よりもアニメの方が目に心地よいのは、たぶん、余計な情報が取り除かれているからではないか。逆に、アニメを単調と感じるのは、無意識の中で視覚情報の取捨選択ができない物足りなさではないか。

 

実写の技術は、究極的には、目で見ても区別できない映像であろう。これはAIが人間に区別できないチューリングテストと似ている。

 

そこまでくれば、ヴァーチャルとリアルの区別は無意味になるかも知れない。現実の通貨と仮想通貨の区別がなくなるように。本当の犬とこのロボット犬で何が違うのか。結局、現代技術は何を追求しても最後は生命とは何かという問いに極まる。

 

人間と同じ温かさを持った人工知能やアンドロイドが登場した時に、なぜ有機物世界の天然ものに価値を置くのか。我々は、今でも養殖よりも天然のウナギに価値を見いだす。どう違うか、味が絶対に上という訳でもなかろうに。聞いたことがあるだろう。我々は情報を食っているんだって。

 

しかし、これらの写真が新しい認識をくれた事は間違いない。この人の作品の中に、自分では見えなかった世界がある。この人が見つけた美しい風景がある。きっと、この写真の美しさは、この人が見た感動の半分も表現できていない。この人の目に移った景色はこの人だけのものだ。この人が最初に見つけた時の美しさ、綺麗さ、喜び、興奮を、誰も知る事はできない。まだ。 

 
 
 
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これは単にシャッターを切っただけの写真ではない。光を調整し、色味を補正し、最高の感動を再現しようとしたのだと思う。その過程で、きっと自分でも知らなかった新しい発見があったんじゃないか。だからそれは感動の再現なんてレベルの低いもんじゃない。感動の上に新しい感動を階乗したものなんだ。