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斉藤由貴、不倫認め謝罪 仕事のペナルティーは「覚悟してお受けいたします」

 

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他人の不倫騒ぎなんてどうでもいい。藤沢秀行の嫁の新書も面白く読んだから、当事者の苦労と、それを面白おかしく読む赤の他人での感想は別物である。当然である。

 

という前提に立てば、芸能人とそれを取り巻くテレビの関係者は赤の他人ではない、という事になる。CM関係者からすれば、イメージがどうのこうのと言うだろう。だが、武井 咲の結婚や妊娠でさえ賠償金とかいう流れを平気で口にする連中にどのような正義があるのだろうか。

 

彼らの世界観は人間をブロイラーとして生殺与奪の権利を持つのを理想としている。我々がお前らの夢を叶えるフレームワークである。我々に害を与える行為は許さない。たとえそれが人間としての当然の権利であったとしてもだ。

 

不倫を報道するテレビが次のニュースですと、人口減少を嘆く。この流れの中で正常が保てるのなら、頭がおかしいか人格の切り替えに優れているのである。

 

キャラクターというものがこれだけ全面に出る現代では、状況によってキャラクターを作り替える、置き換えるという生き方が普通になっている。これをプチ人格分化と呼んでもいいかも知れない。防衛機制が精神的な健全性を保つ生物学的反応であるが、いわば道具としての人格が社会に広く敷衍し始めているようである。

 

キャラクターの切り替えは俳優と呼ばれる特殊な訓練を積んだ人にしかできないことである、と考えるのは浅はかであろう。飲み屋のおねーさん達もそりゃ器用に上手に泣くもんである。だが、そのストレスが様々なストレスのはけ口を生じ、また依存症へと進んでもそれも自然である。

 

いずれにしろ、斉藤由貴という赤の他人について理由をつけて文句を言うのは、もちろん、彼女への親近感が背景にあるのであって、例えば時空を超え全ての不倫は許すまじとかって人はあまりいないものである。

 

すると不倫への強烈な批判性の背景に何があるのか。ひとつに芸能界への親近感(距離)とテレビとの関係がある。確かに本やテレビを通じてしか知らない人でも親近感を抱くものである。宮崎駿など、まるで親戚のおじさんかと思うくらいに親しみを持っている。実物を見たことさえないのに。

 

だが、これは不思議でも異常でもなんでもない。孔子でさえ、「朋遠方より来たるあり」と言っているのである。この「朋」とは、実際の友人だけの意味ではない。本の中にいる過去の人々も含むのである。

 

不倫が許せないのは当然ながら当事者は当然である。かつ、やる方ではないのも自明である。だから、離婚慰謝料を取る場合は、これが切り札だよ、ゲール君とかいいながら、ホテルに入る写真を嬉々として見せたりするわけである。

 

これは当事者だから理解できるものであって、赤の他人が不倫警察として出動する心理にはそれとは別の何かがある。社会的に不倫許すまじという風潮が強い。その背景にはもし不倫を許せば、それが自分に跳ね返ってくる、そのような社会を許すわけにはいかない、という心理があるのではないか。するとそこには婚姻関係を特別視する心理とか社会的価値観があるはずである。

 

その価値観を支えるのが、当然であるが、結婚が素晴らしい制度だからではない。ソクラテスの時代から婚姻には様々な事が言われてきたのである。四年限界説があったり、別居婚こそ理想的である、という話もある。

 

不倫がもつ穢れは、その逆にある結婚への価値観があって、それを支えるのが家族の関係性であろうと思われる。戦後日本では企業が都市の共同体として機能していた。これが小泉改革によって破壊されたため、共同体というものがなくなってしまった。

 

結婚が共同体の最後の場所になっている。この幻想を失えば、急性アノミーに陥るしかない。小室直樹の言葉に従うなら、こうなると国家は滅亡さえ覚悟しなければならない。

 

この共同体に対する価値観が背景にあるならば、それを破壊する不倫は最大の脅威であるし、それを嫌悪するのは当然の感情であろう。そこが、かつての不倫と異なる点である。だからといって、そういう人が昼顔などのドラマ、例えば上戸彩がイメージチェンジに失敗したドラマには批判的でない、という現象も理解できる。

 

世界でも最も古い長編小説のひとつである源氏物語は国語でも歴史でも教えている。その文学性は知らないが、内容は LAW & ORDER SVU なら懲役25年もかわいいもんである。時代を遡れば、今の時代の倫理観はずいぶんと違ったものになっている。この倫理観が近代国家、民主主義、自由主義と無関係のはずもなく、だとしたら共同体の在り方とそれらの社会制度の間になんらかの関係性があるのか。

 

ともかく、斉藤由貴の不倫などどうでも宜しい。彼女がいっふう変わった人など、青春という名のラーメンの頃から明々白々である。そして、その変わった所、とぼけている所が彼女の魅力でもあり、そして演技と密接に関係しているのも間違いない。

 

だから、他の作品はどうであれ、NHK高校講座 物理基礎だけは最後まで続けて頂きたい。世の中には健全な高校生に不倫女などとんでもないとかっていう人もいるだろう。そういうものの価値観の分からない人の声は是非とも無視して頂きたい。なんといっても、この番組 斉藤由貴の最高傑作です。

 

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