能登半島地震で通行止め…国道249号の迂回路が開通

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  • 石川県などの国道や県道で計185区間で通行止め
  • 4月下旬で49区間が通れない状況
  • 国道249号は、隆起した海底の岩盤に盛り土し道路を造成。
  • 5月2日正午に開通。

 

能登半島地震は幾つかの新しい知見を日本に与えた。このような半島に敵国が上陸した場合、自衛隊には有効な撃退方法がない。

 

半島は出口を封じ込めて攻撃するしか方法がない。相手が道路網を破壊してしまえば、こちらから積極的に陸路で侵入できないのである。てごまねいている間に相手は要塞化を完成する。

 

要塞があっても孤立化すれば、それを立ち枯れさせる事は可能である。それは海上封鎖、そのための制空権、そして地上爆撃という寸法となるが、相手も補給路の確保くらい知っている。牟田口ではあるまいに。しかも大陸国である。規模が違う。

 

遮断が第一の戦略であるが、相手も同等の知能があるから、その要塞は敵戦力をおびきよせる囮という戦術も考慮しないといけない。いずれにせよ長期戦の様相は避けえない。

 

よって最善は機動力をもって直ちに短期に撃退する事である。それが難しいというのが能登地震が与えた知見であろう。

 

復興に関しても、住民の流出が止まらない。通常はそういうのを難民と呼ぶ。一種、それくらいの認識でないと自治体としてはまずい。家が倒壊した人のうち、どれだけの人が再建を考えているか、その世帯の年齢と資産に要相談となる。もし老齢の人なら同じ投資なら養老機能を併せ持つ集合住宅の方が良いかも知れない。

 

道の復旧といっても、その先の再建と卵と鶏である。道を復旧してもその先が廃れるなら意味は乏しい。道が復旧しないならその先の地区の再建は難しい。住民の意志を聞こうにも避難している。避難所が閉めらえて其れどころではないかも知れないのである。

 

伝え聞く話では、倒壊した家の登記が古いため、勝手に処分できないという話である。三代前の登記人である場合、そこまで遡れば、当事者は多くなる。その当時には影も形もなかったまだ生まれてなかった人も含まないといけないからだ。それが二代分である。その人たちにも権利の放棄を求めなければ処分さえ出来ない。

 

確かに法的にはこれで正しい。権利に対する処置としては完全に正しい。誰が本当の相続者かなんて、決まったアルゴリズムなどないのだ。話し合って親族で解決する、これが国の基本スタンスだ。

 

だが、この瓦礫を前にしてそれが理由にできるなら、そりゃ、そのような場所はそのまま放っておいて自然消滅するのを待つのが最善となる。別に悪いのは住民ではない。行政の問題である。

 

解決は簡単だ、特例として、期限を設け、それまでに周知徹底し、そこを期限に粛々と処理する。そういう仕組み化をするしかない。要は問題となるのは損害倍書の裁判を回避するための印籠である。

 

この被害に対する有効な手段もないので、瓦礫さえ撤去できない。だから人口の流出も止まらないと考えるのが自然だろう。そして見捨てられる地区になる。凡そ今は見捨てるかどうかと迷っている人たちも夏には決心する。それを決めるのは夏の蝉が鳴く中で瓦礫の山が撤去されないままなら、その風景が決心を後押しするはずである。

 

その地域に今後も住むという人はもう動き始めているだろう。だが老齢であったり、障害を負った人の中には、忸怩たる思いで手放そうとする人もいる。家があるならまだしもである。家を失えば、困ってしまうのは当然である。人間は住居を中心に生活を設計する。これを失えば流浪するしかないのである。ある人は難民に、ある人は浮浪者に、ある人は旅人、ある人はロマ、ある人は遊牧民である。

 

日本の年金は持ち家を前提とした設計である。それが叶わない都市部の労働者には国民年金ではなく、厚生年金が組まれる。二階建ての部分とは要するに家賃分も含めるという意味である。

 

結局、能登の道の付け替えひとつとっても、さてどうしようと立ち止まっている。現状のまま復興するのか、それとも集落を再構成するのか。それさえも決まらなければ道の修復には大きな違いが発生する。

 

だから二段階で対処してゆくのが良いはずだ。まずはテンポラリ的に、暫定的に、道としても数年持てばいい程度のものを通す。アスファルトで舗装しなくてもいい。砂利道でも十分である。まず一気通貫で通す。そのうち、良く使われる道が自然に要求が増える、そこをパーマネント的に整備してゆけばいい。先ずは獣道から始めよ。

 

住人には迷う時間が必要だしそのための生活の安定も必要である。するとそれを可能とするにはやはりどういう基本設計でゆくべきかが重要案件となる。

 

集落のうち、捨ててしまう部分と残す部分がある。それをどう決めるかと言えば、民主主義であるから住民の自由意志に従う。そうなると行政に必要なのは場の提供という事になる。要求する資金を全て提供するだけの予算は持っていないだろうから。

 

再建の指針は、雇用の創出に尽きる。がれき撤去がその雇用の第一候補となる。瓦礫の撤去、瓦礫の集積、そして焼却やリサイクル事業へと繋がる。これが事業化するには行政主体で補助金でやる必要がある。採算性はまず勘案しない。

 

がれき撤去で数年で雇用は維持されるが永続性は期待できない。その次に何が産業基盤となるか。生産するものは何か、が極めて重要で、農業、漁業、観光に伴う産業が中心だろうか。がれき撤去で得た能力や事業力も継続できる。北陸の一大ゴミ処理場となる可能性も模索すべきか。

 

地震の残し方は十分に観光資源になる。だから瓦礫撤去も頭使ってやれよという話になる。

 

この地震で研究者たちは歩き回りたくてうずうずしている。それは余り金にならないから無視してよい。どうせ彼らは学術興味のある所にはどんな場所でも喜んで行く生物である。

 

幾つかの町は廃棄されるだろう。そこを更地にするか、再開発しうるか、廃墟マニアの聖地とするか。そういう土地を国庫に入れるとか買い取るなどの制度も検討中と聞く。もし自分が習近平なら莫大な金を投入してでも広大な土地を買い取るであろう。

 

能登というのは日本列島の中でも特徴的で、地形的にも面白い場所である。また海産物も良さそうな場所である。ポテンシャルはある。産業がないだけで見捨てるのは惜しい。