「気に入らなかったらコメント書かないよ」 漫画家・久保帯人、直筆で「BLEACH」実写映画化への思いを明かす

 

原作者が気に入ったのならそれは良かった話である。 今から書くのはそれとは別の話。

 

テレビのCMで見たBLEACHBLEACHといえば卍解、これがオメガでありアルファ。0にして9,いにしてん。そのかっこよさに痺れたい。

 

例えば聖闘士星矢が実写化されるとして。邦画だから、ストーリーが下らないのは仕方がない。許しましょう。CGを見る楽しみはハリウッドにどれだけ近づいたかという、まるで日本サッカーがWCでどれくらい通用するかを楽しむのと同じ程度であるのも仕方がありません。特に気にしません。

 

下らない人道だの平和だのの演説が長くてもこれも忍耐力の鍛錬である。我慢しましょう。それもこれも聖衣がかっこいい場合の話だ。もし聖衣が百均で買ったダンボールみたいな素材だったら?誰が座して死を待つだ?

 

もちろん、脚本家の腕、演者の力、監督の感性でチープでも見入ってしまう映画はある。かっこよさに痺れる映画もある事は知っている。だが、それはこの手の邦画じゃない。

 

武具がチープであるなど許される事ではあるまい。武具がチープなら卍解に説得力が保てない。これが道理であろう。その見込みがないのになぜ手を出した。原作付きである。才能あふれる金のない作家の野心作とは違うのである。

 

という分けで一護の剣を見た時、あー折り紙に入っている銀紙ってあんな色だったけと感想を得た。結審。ギルティ、ギルティ。いつもの邦画じゃねえか。

 

真野恵里菜が出ていても長澤まさみが出ていても、それなりの演技派が固めても、彼女たちはそういうリアリティを支える俳優ではあるまい。そもそも実写のリアリティとしては厳しい路線を狙わないと行けない作品である。現実世界とあっちの世界を行ったり来たりするからリアリティにこだわるなら余程の工夫が必要なはずだ。

 

死神という世界観を現実世界に持ってくるのに漫画なら違和感があまりない。それは漫画が持つ情報量の圧倒的な少なさがその部分を支えてくれるからだ。

 

だが実写となれば、現実の空間が写り込む。肌ひとつとってものっぺりとしたスキンではないのである。それとのっぺらなCGで生まれた死神を並べるという映像空間はかなり難しい。例えば、よく似た設定である GRIMM では、メインストーリーは昼間に展開させるが、戦いは夜や森の中、廃墟のような屋内にしたりと考え抜いている。

 

CMを見る限り、破壊された町中を背景に戦っている。よろしい。現代社会でそれだけの災害が起きたら、何が出動するか、311を経験した大人なら知った上で作っているはずである。観客が持つそういう根底にあるリアリティを無視しないならば、実写で、この映像にそれなりの根拠を与えていなければならない。そのリアリティの担保が作品を下から支えるはずだから。

 

中学生が空想で楽しんでいる俺のかっこいい戦闘シーンレベルのものをそのまま映像にする作家が存在するなど信じない。そういう人のリアリティとは分かり合う必要はない、理解する気もない。初歩の物理学さえ知らない人間と話すのは時間の無駄というものだ。

 

だから、この作品にもリアリティを支える空間作りが組み込まれているはずである。例えば、会話でさらりと説明するとか、逃げ惑う人々のカットをちょっと入れました程度の姑息ではない手段があるはずだ。

 

銀紙で出来た刀は頂けないが、あれをかっこいいと感じる人が存在するのだろうか。と訝るのであるが、待てよ、ターンAも見た時もそういう感想を持った。最初はおヒゲのガンダムなんてありえないと見なかった。後から見たらコロリとやられてしまった。屈服した、征服されたと言うべきか。

 

今ではガンダム史上、ターンAこそが最高にして至上、極致のガンダムとなってしまった。このクリエイティビティ、発想の広がりの稀有さ、時代設定のなんという裏切り、キャラクター造形の巧緻。ナウシカへのオマージュのような愛すべき傑作。それと似たような話があるかも知れない。知れない。知れない。知れない。知れない…