あおり運転容疑、トラック運転手逮捕 「やり返した」

www.asahi.com

 

こういう事件を起こした場合、企業の責任問題にも言及する必要があると考える。特にトラック、ダンプ、タクシー、バスなどは危険と隣り合わせの日常業務であるから、無謀、危険運転をするドライバーを雇用した企業の責任も見逃せないはずなのだ。

 

もう少し未来になれば、自動運転技術によって無謀なドライバーは職を失うとはいえ(無謀でないドライバーも失うのだが)、いま暫くは人間の運転手が欠かせない。

 

もちろん、自動車であるから事故は絶えない。事故を起こしたから責任を取れというのはどう考えても無理である。そんなことをすればドライバーになる人はいなくなる。どのような職種も事故を起こすリスクはあるだけで、そのペナルティが大きすぎれば人は集まらない。

 

しかしこれは事件であるから事情は違う。こういう運転をする人が、これまで優良ドライバーであったとは考え難い。だが一般的に自動車運転を生業とする人は免許停止、免許取消しに合えば仕事を失うから、自然淘汰されるはずなのだ。

 

だから、なぜこいつは今まで見逃され続けてきたのか、という話になる。普段から危険運転などで違反しているにも関わらず雇用を続けてきたならば、それは企業としてもリスクを背負った上での行為という事で、その責任を問われるのは当然であろう。

 

一方で、企業内で研修をして教育もしています、そういう姿勢も大切である。事故や仮に事件であっても、再出発を支援する姿勢にも共感する。だから、一概に違反即解雇であってはならない。罰則が厳しいとしても、再起する窓口も極力広いのが望ましい。

 

だが、ドライバーの中にはどう見ても基地外はいるものである。僅かとは言え、いまもそういう連中が公道を走っている。昨日まではまじめな大人しい人であったのに。そういう場合は脳腫瘍さえ疑ってみるべきである。加齢によって性格が暴力的になる事もある。

 

だから、そういう人を徹底的にあぶりだして、事故を起こす前に徹底して駆除すべきとは考えるが、どうしても取りこぼしが生まれるのは仕方がない。そういう人を雇用した企業にも厳しい責任を負わせるべきとは思うが全てのケースで通用するとも言い難い。

 

一般的には、事件を起こした場合は刑事罰を与えればよく、殺人未遂で懲役15年、執行猶予なしで(別に死刑でも)構わないが、企業のペナルティはどういうものになるべきであろうか。

 

それは刑事罰ではなく、民事罰かもしれないし、社会的制裁かもしれない。その企業の保険料の見直しは当然として(金銭的罰)、取引先への追及も発生するかも知れない。こんなドライバーを雇っている企業とは契約できませんよ、と言われればそれまでである。

 

そういう対応によっては、事件を起こした当事者だけでなく企業が倒産してもおかしくはない。だから、新聞記事には企業名は乗っていないのだろうが、地元の人たちはあっと言う間に特定するし、業界内など狭い世界である。なお 2ch などを探せば何もかも特定(写真付きで)されているだろうと思われる。

 

こういう状況なので、この企業はこれらの事件に対する態度を早急に決めなければならない。ここでの態度を間違えれば簡単に倒産する。まずは取引先であろう。

 

こういう場合は、事件がホットであればあるほど良く、早く動いたに越した事はない。そうやってこの事件を企業の責任から切り離し、個人の責にすべて追い込む。それ以外に周囲の理解を得る道はない。

 

当然このドライバーは即刻解雇すべきであるし、同業他社にもそれを周知し、再雇用しないよう依頼するくらいの態度は必要だ。

 

こういう動きを裁判が始まるずっと前に始めなければならない。判決を待つ?会社を潰す気か。推定無罪?何それ?どこの名産?

 

裁判など待っちゃいられない。仮に完全な冤罪であったとしても。社会に流れた情報だけで立ち位置を決め、指針を決定しなければならない。重要なのは社会がどういう目で見るかだ。

 

日本大学アメフト事件では警察があの監督内田正人を控訴しなかった。すると直ぐに大学側を訴えてきたわけである。どれだけ真っ黒でも、真っ白だと主張する人間は後を絶たない。社会的に抹殺したと思ったら、まだいけしゃあしゃあと生き残っているのである。

 

同様にどれだけ真っ白でも黒い服を着続けなければならない状況がある。ジャンバルジャンではないが、我々の裁判制度は、その判決の確かさだけでなく、様々な面で、その理想と比較しても、明らかに原始的である。社会から浮いているのである。この制度に民主主義、近代国家の根幹を掛けている。

 

この国の司法は既に崩壊しているのだけれど…