児相の相談員「冗談だと思った」 神戸の女児追い返し

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このニュースで最初に感じたのは、これを担当した職員はこれから吊るし上げられるぞ、という事だった。しかしニュースを聞けば、委託だという。更にはボランティア団体だとも。どれほどの賃金を払っているかは知らないが、見方を変える事にした。

 

訪問した小学生を保護できなかった事、決められた手順を守れなかった事は残念であるが、もしこの人が無償のボランティアなら批判する権利を誰も有していない事になる。

 

もちろん、高校生であっても子供だから保護する義務はある。しかし、同時にいたずらや犯罪行為から自衛もしなければならない。そのためには、例えば、インターホーン越しではなく、直接的には接するための設備が必要だ。そして直接会話して判断ができるようになっていなければならない。郵便局の深夜受け取りやアメリカの銀行のように防護された受付所みたいなのがなければ深夜勤務は厳しいだろう。

 

そういう話とは別に、担当者の胸先三寸でその人の運命が変わるというのは行政ではよくある話だろう。特に受付をする人の善し悪しは大きい。これは日常の業務だけではない、ナチスから逃れようととしたユダヤ人がどの窓口に並んだかで運命が分かれたのと全く同じである。

 

だが、もし、この職員が気軽に出るような人ならば、この人は強盗やいたずらにも頻繁に遭遇するかも知れない。その場合にどのような責任問題が発生しどのような補償が受けられるのか分からなければ先に進めない。明らかに深夜受付をする準備が不足していたように感じられる。これを契機として、見直しをする事案だと思う。幸いに保護されなかった子供は保護されたのだし。

 

経団連が終身雇用を近く廃止するだろうと語った。なるほど、経団連は労働者のロイヤルティー (loyalty) をどう考えているのか。終身雇用は、給与を安くし、かつ、強烈な忠誠心を得られるよい方法であるのに。

 

歴史を学べば鎌倉武士の忠誠心が土地の不足と共に失われた事は小学生でも知っている。室町時代の忠誠心が何であったかは知らないが、武士という制度は忠誠心を基本として幕末まで続いた。そのために江戸幕府朱子学を導入し統治を工夫した。

 

長州や薩摩を非難するとしたら彼らの忠誠心が幕府を向いていなかったという点だろう。だがこれが近代国家の成立であって、幕府ではなく国家への忠誠心というものが既に江戸時代の終わりには見られていたのは驚いていいかもしれない。それはロシアと取引をした江戸時代の人たちの行動にも表れているように思える。日ノ本という考え方は長い武士の時代を通じて成立したようである。

 

これが近代国家と結びつき、忠誠心を天皇に切り替えたから特攻隊までをやっても惨めな敗北を経験したのに国が成り立ってきた。そして、戦後から復興するのに、企業は新しい共同体(戦前は農村)としての役割を担った。終身雇用はそのような経緯と切ってもきれない制度であった。

 

バブル崩壊による経済的衰退は、人件費を最も重い足かせと考える事件である。多くの企業、銀行、産業が利潤を追求する過程で労働者とは必要なコストではなく、大きなリスクと考えるように変わった。

 

だから雇用だって正社員など不要だと考えるし、解雇の自由を目指すし、終身雇用も廃止したい。それは構わない、国民軍などいらない、常備軍など邪魔なだけだ、我々は全ての戦争を傭兵でやるんだと宣言したようなものである。

 

よって金の切れ目が縁の切れ目であるし、金額に見合った分しかやらないのが当然である。それを選択する自由は労働者側にある。同じ作業をするにしても、放り投げても丁寧に置いても同じ金額なら放り投げるに決まっている。それを経団連は良しと宣言した。

 

人口が増え経済が右肩上がりの場合は、労働者があふれているのでそのような方法も可能だった。だが、それが通用しなくなってきたら今度は移民を導入するという。つまり欲するのは格安の奴隷である。だから彼らはAIを必要とするのである。市場をどう形成するかなど考えた事などないだろう。

 

これまで多くの人の忠誠心によって確保されてきた品質や丁寧さ、サービスはもう期待してはならない。そういう事例がこれから増加してゆくだろう。80年代、アメリカで作っている自動車のエンジンからコーラの瓶が出てきたという笑い話があった。日本人はこれに呆れたものだが、明日の日本車のエンジンからはポテチの袋が出てくるだろう。もう驚いてはいけない。その程度の賃金しかはらっていないのだから当然の帰結である。

 

そういうやり方を選んだという事であるから、よいサービスを受けたければ金を払え、安いなら安いなりのものしか提供しないという考え方にシフトした訳である。これは決して悪い考え方ではない。

 

しかし日本人は安さでしか勝負しかして来なかったはずである。安い割りに高品質なものが日本製の特徴であったはずである。トヨタが誇るレクサスでさえ、品質は世界一であるが、ベンツより安いから売れるのである。おんぼろベンツと同じ値段にしたら絶対に負ける。そのことをトヨタが知らないはずがない。

 

どのような忠誠心で人を雇用するのか。若く能力がある時期は安く雇って、高くなったら捨てると分かっていたら、雇用される側だって対策を最初から打つ。全力では仕事をしないし、本当に大切な部分は企業には決して提供しない。能力があって若さがあって野心のある人は企業などスキルアップの場としか考えない。肩書を得るためにだけ就業する人ばかりになるだろう。

 

日本企業はそういう状況の中で企業文化を醸造する手段を知らないはずである。日本人の企業を支えてきたのはひとえに個々人の美意識である。それだけが戦いで頼りにしてきたものである。それを捨てるという訳である。その変わりとなるものを何も提案していないにも係わらずである。

 

動きの軽さ、身動きの速さでは決して中国企業には勝てない。それは終身雇用を捨てて全員を請負にした所で、何も変わらない話である。変わるわけがない。何も抜本的対策をしていないのだから。この目的は、会計上、よくなったように見せるためのものである。それで世界を相手に勝てると思っているならやってみればいい。次も特攻隊に志願する連中が現れると信じているならやってみるがいい。