新燃岳の避難勧告 割れる判断

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火山といえば、とりあえずはグスコーブドリを思いだす。あれは噴火させる話だが。

 

さて、気象庁や火山学者などは噴火の予測はまだまだでも、噴火してからの動向についてはある程度の精度で予測はできるらしい。被害についてもある程度のもくろみは立つ。よって、専門家の勧告に従って避難せたり解除したりするのが首長の仕事よいう事になる。

 

責任というのは、その責任を持っていると言う事であって、事が起きてしまった後では責任など問えない。

 

多くの人は勘違いしているが責任問題など存在しない。判断ミスは、二度目をしないよう未来への戒めにはなるが、失われた被害を取り戻す事はできない。

 

基本的には、全て事故である、だから事故調査とはそういう類のものだ。ときたま、事件が起きる事もあるが、囲碁でこれは事件だ、と言うのと同じ。

 

事故の一部に事件があるが、事件のほうが人間が係わった感が強い。つまり、普通は起きない事が人間のせいで起きてしまう、これを事件と呼ぶ。詰まりチョンボ

 

であれば、専門家が危険と言うのに避難させないなら事件である。専門家が危険ではない、と言ってるのに避難させるのは事件でもなんでもない。

 

この辺りは全てコストの問題である。コストをどこにかけるのか、この判断が決定する。例えば、全員が火砕流に飲み込まれる方が、避難よりも安上がりだという判断。避難を何時まで完了させるのか、集落の廃棄まで何段階に分けて考えているか。

 

首長というのは判断するのが仕事だからどれだけのオプションを手にしているかが勝負を決める。と言う事は、問題が起きたら、その時の手札でしか勝負できないという事だ。手段は過去にどれだけの準備をしてきたかで決まる。

 

始まってしまえば、状況が変わった時に、迅速にどこまで臨機応変に対応できるか、であって、もし、避難してくれ、1時間しか余裕はない、そう言われたら首長は頭を抱えることだろう。

 

急に避難となってもとても間に合わないと思えば、早めに避難させておくしかない。責任というのは、手が打てる間にしか行使できないものだから、手遅れしないように常に気を付ける、オプションを多く準備しておき、適切に行使する。責任者にできる事はそこまでだ。

 

そしてそこには間違った判断もいっぱい含まれる。その上に重要な情報、正確な情報が得られない事象も幾らでもある。自治体間で情報共有のあり方が課題として残った、と語る大学教授もいるようである。

 

事件が起きたら、気象庁も教授も責任は決して取らない。事が起きてから指摘するならそれは無能の証拠だ。

 

首長だって責任は取れない、だから、責任を行使できる間に早めの決断をしたとしてもそれは理解できる。

 

火山だろうが、牛の悲しみだろうが、空の慟哭だろうが、噴くときは噴く。昔なら若い女性を火口に突き落としていた。ポンペイの話もあることだし、国庫の余裕を杞憂する。