原発泊まり込み作業員「厳しいが士気は高い」

震災での行方不明者の捜索は、自衛隊員でさえ苦しいという。終わりの見えない泥沼の中では、どれほどの士気があろうと、それを継続することは難しい。

 

先人たちは、出口のない3年以上もの戦争をやりきった。その後半は一方的な戦いであったにも係らず。

 

この震災は、どんな訓練でも身につかない経験を与えてくれる。これは戦争を経験するに等しい。これは戦争だ。

 

そうであれば、幾つもの経験を与えてくれる。士気を上げるのは簡単だが、継続するのは難しい。それは組織論として語れると思う。

 

ドラッカーが流行りだが、ドラッカーを適用すべきは、今や高校野球ではなく、この大震災ではないか。

 

では我々の顧客とは誰れか、もちろん、プルトニウムである。この困難な状況においてプルトニウムは敵ではない。敵対せず、憎しみ合わず、仲よくしなければならない仲間である。

 

そして今やプルトニウムは、現場で労働に従事している人と限りなく等しくなっている。彼らだけが仲間になる事ができる能力者だからだ。

 

マネージメントは、目的ではなく手段を限定する。我々が必要としているのは、短期ではなく、長期間持続可能な組織の在り方だと思われる。

 

そう考えれば、福島で従事している人たちが、どれほど長く従事してもらえるか、これがマネージメントの第一義になる。そのためには幾つかの条件を満たさなければならない。

  • 快適な住環境の提供。
  • 充分な休息。
  • 安全の確保。
  • 将来への不安の払拭。
  • 明確なゴールとそれに至る手続きの提示。

 

組織の在り方は、最終的にはスケジュールに集約する。スケジュールとは見積もりから逆算される明確な道程表だ。快適な住環境には食糧、娯楽、休息がある。疲労は適切な判断を鈍らせ、作業を劣化させ、事故を生む。

 

特に時間との闘いの様相を示す今回の事象では24時間体制を取るのが望ましい。パン工場が24時間稼働するのと同じ仕組み、ローテーション、引き継ぎ、補充が必要である。

 

安全の確保には二つある。短期的な安全、つまり被曝の管理と、将来的への安全、被曝によって働けなくなった時にどういう保証制度があるか、である。使い捨てで士気が保てるわけがない。

 

そして明確なゴールは、自分が何をすべきでどれだけ積み上げられた時にそれが終わるかを示すものである。何をしていいか分からないけど何かをするのはゴールではない。詰まり、手続きが示されなければならない。

 

これは簡単な話である。でっかい紙にすべき事を全て事細かく列挙して行き、終わったマスから塗りつぶしてゆく。全て塗りつぶされた時がゴールである。


ゴールを示すとは、スケジュールを立案する事と同値。そこに一つ一つの作業に必要な時間を書き込めば、単純であるが、その合算が終了時期を示す目安になる。少なくとも、積算以外の方法はない。

 

原子炉の設計図を机の上に広げ、正常な個所を青く、破壊された個所を赤く塗ってゆく。それで何が可能であるかは把握できるはずだ(実際にはこんなに単純ではないと思うが)。

 

そして明確なゴールに向けて、どれだけスムーズに動けるかも重要である。これから作業をするのに、10枚の書類を書け、というのでは、とてもではないが士気など保てるわけがない。

 

食糧事情が悪い、休息する環境が悪いというニュースを聞いた時、東京電力はまともな組織構築ができない企業ではないかと思った。まるで旧軍のインパールではないか、ガダルカナル島ではないか。

 

いかなる理由があれ朝ご飯がビスケットなど、僕には耐えられない。好きなものも食べれなくて何の労働であろう。平和だろうが戦争であろうが、ご飯を食べずに、お風呂に入らずに、布団なくして、何ができるや。漫画を読まずして、ゴッドタンを見ずして士気や保てるか。

 

アメリカ軍が頼もしく見えるのは、単に彼らがここ最近、戦争を多く経験している事による。彼らは実戦を知っている。我々がいま経験している事を、実戦と訓練と似ても違う事を知っている(はずだ)。

 

組織はゴールを示さねばならない、それはスケジュールを立てることだ。幾つかの困難を迎えながらもスケジュールは存続し続ける。今、福島で働いている人たちの経験している事がこの国の色々な所に広がってゆけばいい。

 

訓練や小さな戦い程度では済まない本当の経験が広く積まれてゆく。

東京電力や政府が経験していることは、彼らを鍛え、彼らの未来を明るくすると思われる。名もなき人々と世間から呼ばれている「名を知らぬ人達」が懸命になっている事から僕も少しでも学びたいと思う。

 

忸怩たる思いで彼らを見ている人も多い、指導者を変えてしまえ、俺の方がもっとうまくやれると言う声も聞く。昨日の彼らは教科書通りの成功なら出来るかも知れない。だが、今日を悩み通し、明日はきっと上手くやり遂げる(ヒカルの碁より)者には勝てまい。

 

ここで何も学べないようであれば、僕たちには何のイノベーションも生み出せまい。最後になるが僕が最も興味を持つのは、福島で働いている人たちが、それでも、こいつはダメだ、こいつだけは原子炉に突き落とそうと思った、というような人がいないだろうか、という事だ。

 

そういう人が居るとしたら、どういう人間か、もう非常に興味がある。