日本であれ、韓国であれ、中国であれ、世論を確実に炎上させる手段があるという事は、敵を利することはあっても、自らを助けることはない。
だから韓国は大変だろうな。と思う。
自由な議論はできない分野があったり、建設的意見でさえ封じられてしまうようだと、それだけで脆弱性である。
対外的に言えば、そういうカードがある事は、外国としてはとても有利で、例え条約を結ぼうとしていても、途中で嫌になったら、炎上発言でもしておけば、あっという間に勝手に臨んだ方向に進んでくれるという事だ。ある意味、脳の信号で自由に操作できる実験鼠みたいなものだ。
外交の切り札を相手に預けているのだから、いつ、どこで使われるかも分からない切り札が相手の手にある。幾ら準備万端しても相手の選択肢にそれがあるという事の危険性にはもっと留意した方がいいのではないか。
という事くらいは国の中心にいる人たちは分かっていると思う。所が、それをおくびにも出せない。目先の利益や選挙を考えたらそこには沈黙しかない。
国内を一体化させる為にそういう世論を利用してきた。それは吾を利するものだとしても、いつかそれは自分の足元をさらうだろう。必要な時もあるが、方針転換は早いほど傷も浅い。深く刻まれると大変である。
歴史の見直しというものは、韓国であれ、日本であれ、まだ乗り越えていない課題であるし教育にもよるが100年を目途に変わってゆくものだろう。
しかしパレスチナ、イスラエル問題のように、世紀を超えて問題が続いてゆく類のものもある。あのアメリカでさえ人種差別は旺盛である。教育だけの問題では済まない。
タブーを持つことは欠点であるという事は外交においても真実だろう。結びたいにしろ、破棄したいにしろ、将来を決定する。そういう外交カードは大切にしておくべきものだろう。
そういう意味では、政治的に重要なのは如何に世論の後押しを受けるかと同時に、いかに世論を無視するかという両面で構える必要がある。そこが肝心である。
つまり為政者にとって常に使えない国民はお荷物な負債くらいの気分でいる方がいい。民主主義がこれと対面して、知恵となるのか、それとも衆愚となるのか、そこが切り分けである。
民主主義には、常に国民の対立が内包されている。