彼ら5人の謝罪を見て、ただ屈辱の表現に圧巻された。
キムタクの優越感、淡々と話す感情を封じ込めた稲垣、明るく務めても心の中を抑えきれない香取、一瞬で感情を発露させてしまったナカイ、そしてさらっと核心をつく発言をする草なぎ。
これは屈服と優越感の混在するひとつのユニットと思った。最初の感想としては。
しかし、ふとひとつの疑念が生じた。彼らは25年もの長きに渡り、この世界で SMAP を演じてきた人間である。今さら感情を抑えきれないなどありうるだろうか。カメラの前で自分をコントロールできないなどという状況がありえようか。
そう考えれば、するするするーとすべての絡み合った糸がほぐれ、とても得心のいく結論を得るに達することができた。彼らの見事な演技の競演。
彼らはこのような過酷な状況においても、自分たちのパーソナリティを、作り上げてきたキャラクターを、最大限に演じたのである。おそらく5人は話し合ったはずだ。どういう順番で話せば彼らの言葉が最大限の効果を発揮するかを。
お互いの長所もそして短所も知っている。どの順番で語れば SMAP の存在感が際立つか。自分たち自身のフルで演じる戦略を練ったに違いない。
そう、あの会見は彼らの演技の競演だったのである。これまで叩きに叩き、鍛えに鍛えてきた演技力の最大の発現だったのだ。そこにあるのは計算し尽くした演出と、それを支える演技力、そして SMAP というキャラクターである。
キムタクが最初に口火を切ったのは必然であった。彼だけが残る決断をしたからではない。彼が衆目を集めるのに最適だからだ。最初が彼でなければ視聴者は最大の注目をしないからだ。
誰もが目をつぶって彼の声を聴けば、あれば久利生公平の語りと何ら変わっていないことに気付くだろう。謝罪会見だろうがドラマの中だろうがキムタクはキムタクにしてキムタクである。
それが彼の凄みであるが、逆に言えば SMAP の中で最も演技力が欠落しているのである。彼には先陣を切る意外の居場所はなかった。
今日は2016年1月18日です。先週から我々SMAPのことで世間をお騒がせしました。そしてたくさんの方々に、たくさんのご心配とご迷惑をお掛けしました。このままの状態だと、SMAPが空中分解になりかねない状態だと思いましたので、今日は自分たち5人が顔をしっかりそろえて、皆さんに報告することが何よりも大切だと思いましたので、本当に勝手だったんですが、このような時間をもらいました。
次に稲垣吾郎。彼は本心を隠しきったかのように自分を表現する。その素振りはまるでチューリングが自らの本心を隠すかのようだ。そんな彼の表情の中に、人は何かを読み取ろうとする。
だから、キムタクの前置きを受けて最初の流れを生み出すために、彼の穏やかで表情に乏しい雰囲気が自然さを演出する。
最初の露払い、として最も適任なのである。おだやかにだが、この先どうなるだろうか、何が起きるのだろうかと人々に緊張の準備をさせる。だから彼は謝罪もしない。それを口にするには早すぎる。彼はただキムタクの言葉を引き継いだに過ぎない、序章の幕を開ける役割を果たすのだ。
この度は僕たちのことでお騒がせしてしまったこと、申し訳なく思っております。これからの自分たちの姿を見ていただき、そして、応援していただけるように精一杯頑張っていきますので、これからもよろしくお願いいたします。
香取慎吾。彼の明るいキャラクターは、逆に言えば深刻さが苦手である。それは彼に与えられたパーソナリティがギャグ的だからであるが、それがこういう場合には、高低差が最大になってもっとも深刻に感じられる。だから、彼に与えられた役割は謝罪を最初に口にするというものであった。これが最初の突破口である。
起承転結の承。明るさを抑えて神妙な顔つきで居るだけで、その意味する所を視聴者は明白に読み取る。彼の役割は謝罪を最初に口にし、残りの二人にどうつなげていくか。未来を決定するために、彼には長い沈黙が必要であった。何かを言いたい、いや、いっそ話すことを拒絶してやろうか。だが、それはできない。長い沈黙はそれを表現している。彼こそが苦悩を表現したのである。
本当にたくさんの方々に心配をかけてしまい、そして不安にさせてしまい、申し訳ありませんでした。
(少し間を置き)
皆さまと一緒にまたきょうからいっぱい笑顔を作っていきたいと思います。よろしくお願いします。
そして中居正広。世間の人々がどう思おうが、この人が SMAP の中ではもっとも演技力がある。戦争犯罪人から発達障害者までを演じ分ける力を有しているのは恐らく彼だけである。
だから、彼でなければ、あのため息は出せない。ため息の中にすべての思いが込められている。そういう演技を見事に演じきった。
なぜ彼がラストではなく最後から二人目であったか。ここにクライマックスを持ち込んだからだ。彼の演技力でなければ、とても表現しきれない感情がある。
これを見た視聴者は明らかに彼が何かを言いたいことをぐっと押し留めていることを理解する。そう思えるのは、彼らが緻密に計算した演出の流れの中で、その役割を見事に演じてきたからである。
今回の件で、SMAPがどれだけみなさんに支えていただいているのかということを、改めて強く感じました。 本当に申し訳ありませんでした。
(ため息をつき)
これからもよろしくお願いいたします。
だから草なぎ剛の存在感が最期で重要となる。飄々としたとぼけたキャラクターが最後に必要であった。彼でなければ許されない発言がある。
それを彼だけがもつユーモアが支えた。彼でなければ謝罪という爆弾発言はこうもさらっと流すことは出来なかったであろう。他のメンバーが同じ発言をしたならば全く違った印象を受けたことだろう。
草なぎ剛だからこの暴露は許された。他のメンバーもだから予定調和のように何もなかったような顔をして立っていられたのである。この発言には草なぎ剛という存在感が絶対に必要であり、余人をもって変えるを能わずだったのである。
皆さんの言葉で気づいたこともたくさんありました。本当に感謝しています。今回、ジャニーさんに謝る機会を木村くんが作ってくれて、今僕らはここに立てています。5人で集まれたことを安心しています。
ここで本質的には終わった。この先は解説のようなものだ。 木村拓哉が自分の言葉で最後に〆た。彼の言葉に嘘は似合わない。
最後に、これから自分たちは何があっても前を見て、ただ前を見て進みたいと思いますので、皆さん、よろしくお願いいたします。
ここには解散の言葉も継続する宣言もない。多くの謎を視聴者に残した一遍のドラマである。どのようなドラマよりも臨場感を持つ物語。これを支えた彼らの力量には感心せざるえない。
ここにあるものは、本心を抑えきれなかった感情の発露などではないし、ましてや個々人が自分の気持ちを述べたものでもない。5人で SMAP というパフォーマンスをした。計算し尽くした彼らの芸がこれほど見事な大輪の花を咲かせようとは。これを超える演技など誰に可能であろうか。
最高のパフォーマンスをありがとう。
彼らがどれだけ互いの事を知り尽くしているのか。どのような流れにすれば視聴者を魅了できるか。それを計算した上で実現した構成力、それを支える彼らの演技力に対する自覚と自信、それを生放送でやってのける人間力。
思うにこれほどの演技はそうそう見れるものではない。ここに SMAP の力量がある。こんな素敵な舞台が他にあろうか?
ブラボーー!!