軽井沢スキーバス転落

www.sankei.com

 

バスの事故と言えば、「関越自動車道高速バス居眠り運転事故」が直近にある。これは居眠りの事故と呼称されている。事故の原因は居眠りであるが、被害の拡大は、道路の施工に原因がある。

 

というのもガードレールから防音壁の間は通常、防音壁には正面衝突しないように、ガードレールが伸張され、仮にガードレールに沿って動き続けても壁とは正面衝突しないように施工されている。それくらいは建設関係の人ならだれでも知る常識である。ところが、本事故ではそうなっておらず、ガードレールに衝突すれば、防音壁と正面衝突するように施工されていた。

 

その点を指摘する声もあったがきれいにかき消された。マスコミが取り上げたという話も聞かない。ただ居眠りとバス会社の怠慢のみが指摘され、居眠りさえしなければ起きない事故であったと報道されている。

 

もちろん、これは居眠りをしなければ起きなかった事故だ。ただし、これだけの事件になったのはそれが理由ではない。何重にも施されていた防御壁が破られたのは311でも起きた。その幾つかは殆ど役に立たなかった。その幾つかは今からみれば慚愧の尽きぬものであった。

 

だから本件もマスコミの報道を鵜呑みにするわけにはいかない。この事故を、運転手だけの責任に帰すわけにもいくまい。もしそうならたったひとつの防御壁しか用意していなかった事になる。

 

14名もの人間が死んだのである。刑事、民事ともに、反省だけで済むわけにはいかない。これは果たして、過失なのか、殺人なのか、丁寧に検証する必要がある。

 

アメリカだったら直ぐにドラマに使われるだろう。日本でこういう問題がドラマの主題になることは珍しい。あっても深夜ドラマでなんとかお目にかかれるようなスタッフの情熱で辛うじて成り立つくらいだ。何故だろう。そういうものを誰も欲ししてないのか、それとも、誰かが握りつぶしているのか。

 

登場人物はごく単純で、運転手、配車係、バス会社の社長、発注元の担当者、発注元の社長くらいである。乗客は若い人を集めればいい。運転手の方はなくなってしまったので、彼が自殺で道連れを図ったり、心筋梗塞脳梗塞でも起こしたのでなければ、居眠りの可能性もあるだろう。

 

だが、この人は一か月前までは、近郊路線の中型バスに乗っていたらしく、いきなりスキー場、しかも碓氷峠超えは、少しハードルが高すぎるのではないだろうか。配車係は高速を使うように指示したと談話するが、実際は下の道を使うように脅したとか、けしかけたとかもありそうな話である。そこに社長の厳命が加われば罪は分散してゆく。

 

更には国土交通省が示した下限よりも安い契約をしたという点では発注元も処罰の対象であろう。それを知りつつ放置していたなら国土交通省も批判されなければならない。規模が大きくなればなるほど一話では完結しない。to be continued ... になるのだが、ならば主人公は誰で、何をする人になるだろうか。

 

事故調査の人、被害者の親族、加害者の親族、などなど、立場が違えば脚本も変わる。演出だって全く変わる。

 

兎も角、この事故はミステリーである。それを解明するのは、とても大切である。経済的に見れば、この事故をきっかけにバス会社の半数は廃業に追い込まれるかも知れない。とてもではないがそのような対策をそのような費用で継続などできない。

 

なぜこの国の経済はコストを下げ続けようとするのか。それがどのようなモデルで導かれるのかは知らない。インフレターゲットによる経済の再建を狙う人もいるが、効果はなさそうである。少なくとも、経済全体でのデフレ圧力が続いている。それはマインドで変わるようなものとは思えない。順序が逆のはずである。マインドが変わるならもう環境は変わっているはずである。