世界名作劇場 若草物語 ナンとジョー先生 OP,ED - 小坂明子,伊藤薫

ベスト100を決めると、必ずそこには時代というエフェクトが入る。

 

近いものは記憶に新しい、古いものは忘れかけている、生まれていないなら知らない。そしてその作品と何歳の時に出会ったかでも印象の残り方(トラウマとも言う)は異なる。全く同じ作品でも10歳で見た人と50歳で見た人では異なるだろう。

 

だから投票でベスト100を決めるような企画で明らかになるものは、もちろん現在の意識である。更には恣意的行為を要求するので、その対象を無作為集団とも呼べない。よってその結果は一派的な統計とは言えないはずである。アニメーションが好きで、投票行動を行う人たちの中で最も多数意見は何かが分かっただけである。

 

まして作品の価値は個人との1:1関係である。集団の中で何が流行っているかを知るのは、作品の価値ではなくビジネスの価値であろう。

 

多く、その結果が意味するものは、誰にとっても調度よく薄められた味付けであろう。キリスト教だって、キリストの言葉が使徒や教会によって丁度よく薄められたからこれだけ広まったはずである。キリストという劇薬に直接触れたものが、まともで居られたとは思えない。彼らの運命がそう語っている。

 

日本アニメーションを語るとき、海の神兵やくもとちゅうりっぷを外すわけにはいかないが、僕たちはこれらの作品が持つ歴史的価値とその時代背景に感動しているだけかも知れず、作品が持つ価値とは何も関係ないもので興奮しているのかも知れない。この点には留意しておくべきだろう。

 

同時代のディズニーと比べれば見劣りする作品と切り捨てる人もいるかもしれない。すると、こういう言い方ができるだろう。この世界に残存しているあらゆる作品には価値と言う様なものはないのだと。

 

ならばベスト100という言い方そのものが既に不遜であって、そのベストがビジネス的な何かのためのものであって、社会的にもっともメジャーなもの、人気があるものが何か、という点では、なぜそれがメジャーなのか、というのは売上でも見れば分かる話である。

 

とすれば、そういう中に違和感のある作品が混入している所に面白さがあるはずで、誰もが知っている最近の作品や誰もがその結果に納得できるような所に面白さはない。ビジネスが悪いというわけではないがベスト100が、ビジネス的に効果の高そうな作品を探すための市場調査という意味合いしか持たないのであれば、それは作品そのものとは違う何かだろう。

 

と、そんな話はどうでもいいのである。みんな聞いておくれ。

 

ちょっとしたきっかけで聞いてしまった「世界名作劇場 若草物語 ナンとジョー先生」。カルピス劇場「フランダースの犬」の系譜を受け継ぐ作品。見たことないけど、このOP, ED が抜群にいい。優れた OP,ED を持つ作品は大概が B 級、という鉄則通りである。

 

 

どう? 

 

「明日もお天気」小坂明子。そのサビ。

きっときっと見つけてね、未来のファンタジー

すてき!

 

そして ED がまた優れもの。「青空のDing Dong 」。伊藤薫

夢と勇気と元気があふれて、さあDingDong DingDong、チャペルの鐘に

 

なんてさわかな声だろうと思ったそこのあなた。いますぐ GGR れば、そこにはひげをはやした小太りのおっさんが見つかる。これを感動と呼ばずして何を感動と呼ぶか。

 

知らないって怖いと思ったそこのあなた、その通り。この人は、ほほにキスして、Love is over、far away の作曲家だったりもする。

 

エヴァンゲリオンではないが、この感動を君に、である。