山戸結希監督×新木優子がタッグを組む人気WEBドラマシリーズ第3作「毎日、思ってた」

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新木優子といえば、キリン午後の紅茶のCMだろう。

 

誰かに似ているとずっと気になっていた。一月あまり続いたこの疑問は9月に再開したブラタモリを見た時に氷解した。林田理沙だ、彼女だったのである。 

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新木優子はとてもいい具合に目が片ちんばで、それが独特の雰囲気を作っている。斜視の人もそうだが、ちょっと違った色っぽさがあるわけである。

 

斜視というと一般的には外側に対しての感覚に鋭敏だが、アイドルや女優には内斜視の人も多いそうである。視線が変わって見えるので、それだけで印象がグットくる。つまり、見る側に勘違いが起きやすい。

 

人間の目は一般的に白目があるが、近縁種であるチンパンジーの目は黒色である。これは視線を感づかれないようにするためという説があるが、チンパンジーにも突然変異でまれに白目の個体は誕生するらしい。よって淘汰の結果か、単に長続きしない遺伝であったのか。主流にはなれなかった事だけは確からしい。

 

視線が相手に感づかれないという話であるが、一般的に多くの動物の目は丸くなっており、白目部分が外から見えにくい構造になっている。眼球そのものが白くない種もあれば、白いが見えない種もあるが、人間ほど目立つ目ではない。

 

白目といえば、魚で顕著だが、目の形はほぼ円である。アーモンド状の目をしているのがどうも人間くらいのようで、そこからして独特だから目立つのであろう。その他の多くの動物の目は虫たちも含めて丸状である。目の大きな漫画が丸に近づくのには何か関係しているのかも知れない。

 

進化論はさておき、この特殊な形状にも利点はあるようで、眼球を動かすだけで視野が広がるというのがあると思われる。もし人間も丸状の目だったら、視野はかなり狭くなる。

 

そうなった原因のひとつとして頭が重すぎて視野を広くするためにしょっちゅう首を振ってはいられない、というのはどうだろう。3分くらいで思いついた説なので適当であるが。

 

おっと、新木優子の話である。彼女は両目の高さが違うので、不図した表情に、片方の目を瞑ったように見える瞬間がある。これが胸キュンとなる原因で、なんて可愛いんだ、と勘違いしてしまうわけである。なにもかも全部彼女が悪い。

 

人間はもともと左右対称ではないから、このアンバランスが時に天使を生み、時に悪夢を生む。報道で特に顕著であるが、ネガティブなニュースには、そう見える写真を多用する。これは極めてアンフェアな方法である。フェイクと呼んでもいいくらいだ。

 

イメージというものは極めて、現実と乖離するものだが、それでも人はイメージ先行の考え方からは逃れられない。これは我々の脳が数十万年もの時間をかけてその方向に進化してきたからだろう。野獣に襲われている時に、イメージを瞬間的に処理する能力に長けた方が生き残る可能性は高かった、そういう話だろうと思っている。

 

その一方で民主主義は極めて人工的な制度で、何事もゆっくりやりましょう、というのが基本コンセプトである。聖徳太子ではないが、十七に曰わく、必ずみんなでよく話し合うべし。話し合う事で納得もできよう。つまり、時間を掛けよというのが人間の叡智である。

 

イメージで決める前にもう一度考えろ、本当にそうか、それだけで決めてよいのか、他に調べる事はないか。時間はある。

 

拙速は巧遅に勝るは常に乱世の話であって、民主主義はそういう考えを支持しない。民主主義の根幹にあるのは「人間は過ちても、それに屈さないだけの強靭さを持つ」である。その人間の力に信を置く。もちろん、現代兵器はその強靭さも破壊しかねないものになっているが。

 

いずれにしろ、彼女の演技は見たことがないから知らないが、女優の主戦場はCMにある。あれだけの大根が、CMではこんなにも素晴らしい笑顔を披露する例は枚挙に暇がない。寝る暇もない毎日である。