日本のエンジニアは、ある意味では永井豪に鍛えられた所があって、マジンガーZからグレートマジンガーへのアップグレードという考え方で洗脳されてしまった。まったく同じ路線にゲッターロボもあったから、これらを浴びる様に見てきた事で、機体が刷新されるイベントがあれば例外なく否応なく興奮する仕様である。
新しい機体の特徴というのは、グレートマジンガーに尽きる。より巨大に、より鋭角に、より強力になるのが王道だ。恐らくこの考えの根っこには、日本の敗戦がある。エンジンの敗北というコンプレックスがこれらの作品にも色濃く影響している。
エンジンが同じ構造である以上、高出力にするには巨大化するのがよい。と同時にレシプロからジェットへの変遷があったため、先端が尖る方が新しいという刷り込みも加わった。ミサイル、レーダーの装備など武装の数も圧倒的に増えた。
グレートマジンガーの先鋭さのひとつに、それまで外部オプションとしてのジェットスクランダーを内蔵式に変えた所がある。おもちゃメーカーからすれば、絶対に認められないチャンスロスであるにも係わらず、そうしなければ説得力が得られなかったわけである。グレートブースターが商業的に成功したかは知らない。
一般的に外部装置を内蔵に変える方が新しく感じる。この背景にあるのは小型化に成功したという暗黙のイノベーションである。それを基本設計として、更の機能拡張を外部で持つという様式美が生まれた。これらの作品には、エンジニア的な考察が可能という楽しい側面がある。
同じマジンガーシリーズでもグレンダイザー、マジンカイザーは異質だ。技術の出所がエンジニアよりもファンタジーにある。逆にそのあたりにグレンダイザーがフランスやイラクで人気が出た理由があるんだろうか?荒木伸吾の影響も強い気はする。
エヴァンゲリオンは電源を外部化することで、逆にリアリティが増した。これは電気自動車がなかなか浸透しない状況、その原因がバッテリーにあるという現実ときれいにリンクしていると思う。
ガンダムが一般社会に強い影響を与えたのは試作機が最強で量産型は劣る、特にジムはモンキーモデルの扱いをされて不幸である。同じモデルにもグレードがあるという常識。ただし、実際には試作機で見つかった欠陥を対処した結果が量産機だから、作中での扱いは空想なのである。もちろん、試作機しか持たない装備がロマンであることに異論はない。
ヤマト型のF-Xであるアンドロメダ型戦艦は、特に帝国海軍と戦後の護衛艦の色味の違いが反映されていて説得力があった。沖田艦までを含めれば、きれいに三笠、大和、エンタープライズ(空母)いった感じでイメージが類推できた。
新型というコンセプトではスタートレックも同様であって、作品の時代とスタートレックのデザインの違いは、明らかに後になるほど進んだイメージが加えられている。NX-01はNCC-1701よりも古い時代だが、現在の我々よりも遥かに進んだテクノロジーである。その辺りの落としどころがデザインにも込められている。
ここで面白く感じるのは、ウルトラマンの防衛隊の装備である。ウルトラマンはそれぞれの作品同士の時間軸ははっきりしない。そのためか、少なくとも装備を見る限り、どちらが新しい、どちらが古いという感覚はない。ジェットビートル、ウルトラホーク、マットアロー、タックファルコンまで、どれも何かの後継機という流れではない。どれも同様に魅力的である。
このデザインの系譜にスカイホエールが登場する。青と赤という基本カラーからして異色なこの機体は、これまでのリアリティ路線から完全に転換している感じがする。これはもう文化が違うという感じである。
エンジニアリング的に見るとZATで機体の機構ががらりと変わってしまった。作品としてはウルトラマンTはとても特撮がよくなっていて、映像的には予算が増加した感じがする。撮影技術がAと比べてもひとつ上がっている感じだ。フイルムが妙に明るい。このコンセプトの違いがどこから来たものか興味深い。
キングトータスなどは、着ぐるみを使って浄瑠璃でもやる気かというほどの力の入れようで、人情物をドラマの前面に押し出している。ウルトラマンTは時代劇を特撮でやろうとしたのではないかとさえ思ってしまう。
そういう意味では時代劇の素養があった方が相性がよさそうだ。隊員たちのコミカルさ、作中にある妙な明るさが、それまでのシリーズと違っていて、加えて、色の使い方が全く変わったので第一印象はかっこ悪い。しかし、これに惹かれるのはアメリカの戦闘機ばかりを見た後に、ロシアのに妙に魅力を感じるのに近い。ウルトラマンTにハマるためにはとても長い時間が必要だったのである。
ウルトラマンシリーズを見てみると、登場する俳優たちの力量に感服する。帰ってきたウルトラマンなど新劇の舞台俳優でも連れてきたのかなという印象である。そういう人を発端にして事件が起きるのがパターンだった。
これらの作品群では、特に隊長をやる人がとても力のある俳優で、その人を中心に配置して、その人の存在感でリアリティを支えようとしていた。どの作品も隊長を演じた人の演技が面白く、他の作品でも出会ってみたいと思わせるものであった。
特撮という物語上のフィクション上には如何にも無頓着な部分も多々あるが、それを防衛隊と結び付ける事で、怪獣とウルトラマンだけでは作品にはならない所を、人間を混入させて話を成立させる。そういう構造が根幹だと思う。
ウルトラマンTでは特に名古屋章、東野孝彦の存在が印象的である。まだ見ていないが三谷昇も同様であろう。彼らの演技力があのスーツと妙に似合っている。あの派手な色彩がだんだんと魅力的に映ってくる。あれでなくちゃダメだ、あれ以外はもう考えられない、そういう存在感がある。
これはとてつもない文化である。