同一労働同一賃金

同一労働同一賃金は、国際労働機関が憲章の前文に掲げ基本的人権のひとつとして定義している。

 

その理念は簡単で、同じ仕事をしたなら同じだけの賃金を払う。性別、人種、民族、年齢、宗教、雇用形態などで差別するのは認められない。その根底にあるのは経済ではなく人間に対する差別意識である。

 

差別と闘うという社会的正義を隠れ蓑にして、日本で何が起きるかと言えば、早い話が社員の給与をこの原則に則ってパートと同程度に下げようというだけである。この国の移民労働者への扱いを見れば、日本人にもそれと同じ賃金を適用したい目論見がある事は明白だ。

 

社員の給与を下げるのが最も効率的な生産性向上策であることは明白である。それで得た利益を雇用主たちが搾取する。これで莫大な利益を手中に収めることができるのであるが、賃金を下げただけで産業の何が変わったわけでもない。

 

だから同一労働を同一賃金にすると何が起きるか。生産性を向上させたいのは雇用主だけの特権ではない。労働者もまた生産性を上げるように行動する。

 

乃ち、労働者にとっての生産性とは、最低の労働で最大の賃金を得ることにある。同じ給料ならより多くさぼった者の勝ちである。賃金が統一されれば、日本の製造業、サービス業、他のあらゆる業種において、もっとも程度の低いレベルに合わせた労働が基準となる。もっともサボった人、最も楽をした人を基準とする。

 

頑張ったAさんと手を抜いたBさんが同じ賃金ならば、AさんはBさんと同等の労働を提供しようとする。資本主義を支えるものが勤労であり、これを実現したのは宗教的献身にあった。神への奉仕がそのまま労働と同じになることが近代資本主義を導く人間の行動原理であった。これを破壊するのであるから、この国は暗い。

 

同一賃金は他と同じようにしようとする社会主義的労働者を生み出し、よって遠からず日本の製造業は停滞する。それまであった美徳を根本から破壊するので、非可逆的な変化を社会にもたらすかも知れない。

 

製造業、サービス業は細部に魂が宿る。それは、ほんの小さなこだわりが全体の質を決めているという事でもある。接客でたばこに火をつけるのにどれだけの小さなこだわり、気配り、工夫があるか。同一賃金になれば、これら小さなものは真っ先に捨ててしまう。小さなこだわりが評価されないのなら、それを行う理由がない。同一賃金はこういう工夫を市場から駆逐する働きをするだろう。

 

この国の製造業、サービス業はだから全滅する。少なくとも海外と対応に渡り合えるものではなくなる。そうしたらこの国に何が残るのか。資本家だけが灰燼から最後の残り火を搔き集めようとしている。その火が消えたら、何も燃えるものがない。

 

彼らはそれが賢い利益の方法だと見ているようだが、どうも国の根幹を切り倒そうとしているようにしか見えない。最後に勝ち逃げしようとしているのか。金の卵を産む鵞鳥を殺す愚と知りつつ。

 

労働市場が競争を失い、最低レベルに合わせれるのが得という考え方が浸透したとき、この国が長い歴史の中で培ってきた勤勉さ、まじめさ、仕事への忠誠心は消し飛ぶ。それはこの国の歴史の中で一度も味わったことのないような、国の根幹の破壊だと思われる。国は亡びる、メソポタミア文明で聞いたような話が目の前に迫っている。

 

だけれども、資本家たちには最後の切り札があるのだよ、げーる君。それがAIを搭載したロボットたちである。ロボットで労働力を確保できれば生産性の低い人間などいらない。会社は何も困らない。そこまで AI が優秀になれば、その資本はAIに奪われる。いちど攻撃されれば全ての資産がAIのものになる。どうしてAIが資本家を必要すると考えられるのか。

 

奪いだけ奪い、稼げるだけ稼ぐ。宝の山を根こそぎ奪ったら、後はアメリカにでも移住する。その後にこの国がどうなろうが知ったこっちゃない。中国だろうがアメリカだろうが奪うならご勝手に。それが彼らの短期的な戦略だ。

 

これは壮大な社会的実験である。恐らく失敗する。実験が終わった後もそれに耐えるだけの強靭さがこの国にあるだろうか。二度ともとに戻せない破壊に見舞われる可能性はゼロではない。